愛犬を亡くしました。
13歳7ヶ月の愛犬を
闘病生活の末亡くしました。
犬種はウェルシュコーギーペンブローク。
お転婆で甘えん坊な女の子です。
社会人四年目、
私情で仕事を辞めたときに
愛犬の心臓病が発覚しました。
それからは闘病生活。
わたしは仕事も辞めていましたので、
すべての時間を愛犬に費やしました。
しかし闘病中にDMを発症。さらに老齢も重なり、腎臓と肺も悪くしました。
闘病を始めてから約半年。
みんなに見守られながら息を引き取りました。
実はその日、
なんとなくわたしは愛犬の命のカウントダウンが始まっていることが分かってました。
腎臓を悪くしていたため尿がなかなか出ず、その日もいつものように朝一で病院へいき筋肉に注射を打ってもらいました。(おしっこを出やすくするため)
その日はヨーグルトとアイスクリームを
少しだけ舐めてくれて
おくすりもやや強引にですが飲んでくれました。
ただ酷い貧血で歯茎はみるみる内に白くなっていました。
午後の診療は夕方から。
診療が始まってすぐに病院に行くこともできました。
でもわたしは病院に行くことを選びませんでした。
理由は分かりませんが…それを選んだんです。
肺も悪くしていたので、
日が暮れてくると呼吸困難に陥り苦しんで
貧血でふらつく体を何度も起こそうとしました。
家族に、「今夜どうなるかわからない」と伝えました。
家族揃って愛犬を撫でました。
愛犬はわたしが抱きました。
足をバタバタさせて苦しんでいる愛犬。
もう楽になってもいいよ、と思いました。
頭を撫でながら、もうがんばったね。たくさんがんばったから、楽になっていいよ。って伝えました。
愛犬はわたしの目をじっと見つめて
深く息を吸い込むと息を引き取りました。
あの時、
夕方病院につれていけば
愛犬はもう少し生きられたのかもしれない。
足をジタバタさせて呼吸する愛犬は、
もしかしたらもっと生きたかったのかもしれない。
でもわたしがそうしなかったのは
愛犬がもう十分がんばったと思ったから。
毎日薬を飲んで、病院にもいって
自分が一番しんどいはずなのに
愛犬の苦しむ姿をみて涙するわたしを
いつも気遣ってくれました。
一秒でも長く一緒にいたい気持ちは
もちろんありました。
でもそれよりもなによりも、
愛犬がこれ以上苦しむのが
辛かったんです。
でもふと後から考えたら、
わたしの判断は間違いだったのかな…
と思えて仕方がないです。
本当に全ての時間を愛犬に捧げました。
他の家族には申し訳ないですが、
わたしにしか見せない甘えん坊な姿。
たくさん独り占めしてきました。
愛犬はわたしに全てを委ねてくれていました。
だからこそ、あの時の判断が
本当に間違っていなかったのか。
自責の念にかられています。
今日火葬をしました。
腹水で体重が増えて重たかった体は
本当に軽くなってしまいました。
愛犬の匂いに包まれた部屋で、
愛犬の使っていたタオルを握りしめて。
辛いです。
同じような経験された方。
なにか言葉をいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。