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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:小学生のときの悩み)

小学生の悩みとは?質問文章からセンセーショナルなタイトルを生成

このQ&Aのポイント
  • 小学生時代の悩みを振り返り、ささいなことで傷ついたり欲しいものを買ってもらえなかったりした経験を抱えていました。
  • バス停の場所が覚えられず困ったり、風邪をひいて学校を休むことがうれしかったりしていました。
  • 忘れ物が多くて自分の家の鍵もよく忘れてしまい、妹にからかわれたりいじめっこの命令でいじめをしたりすることにイヤだと感じていました。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.7

たくさんいらっしゃると思いますけど「給食が嫌い」という人。 特に「煮物系」が駄目だったですね。 冷めちゃうと美味しくなくなる…温かいうちは美味しいのにね。 絵が下手でしたねー。 今でも下手だけど、水彩画を描くと、塗りすぎちゃって画用紙に穴が開くんですね(笑)。 さりげなくとか、そういうのが苦手だった。 イタズラが潜在的に大好きで、女生徒を真っ青にさせてしまったことがありますね。 これは悩みじゃないけど。 自転車の「補助輪」が嫌だった…かな?。 しかし、どうしてあーも大人ってのは、躍起になって子供を自転車に乗せたがるんだろう?。 自分がエキサイトして怒っちゃうお父さんがいるけど、あれは良くないよ。 私は被害者だったからよくわかるけど(汗)。 …などなど。

その他の回答 (6)

回答No.6

「悩み」の回答にはなりませんが、私の思いでから未だにどう対応すれば良かったのか分からない経験談を少しだけ書き込ませて頂きます。(現実は小説より奇なりと言いますが思い出した事を羅列しました。読みにくい稚拙な文章お許しください) ・子供の頃って、「普通で、常識的な生活から外れたくない」ってことばっかり考えてました。 ・小学生って狭い世界なので、少しだけ他人と違うというだけで、仲間外れにされたり、無視されるんじゃないかとビクビクしてましたね。 ・子供にとって小学生低学年までは、親って絶対的な存在ですが、高学年になってくるとよその親比べたり色々知恵がついて自分の親の物足りない所が見えてきたり軽蔑したりしてきますよね。  私が親になり子供が成長して初めて親の苦労がわかりました。  ずっと自分の親の事を情けない親だと思って恥ずかしいとさえ思っていました。  こんな事なら生まれてくるんじゃなかったと何度も思いましたが、今は違います。  どんな親でも今があるのは彼等のお陰ですから感謝しています。 ・家が貧乏だったので、クリスマス会とかのプレゼントにも困ったし、遠足のお弁当とか、隠しながら食べてました((笑) ・小学6年生の時、両親が別居していた時期があり、私は父方についていたので、土曜日のお弁当がなくて、父がなけなしの小銭を持たせてくれて、それを持って、小学生なのに学校の近くの商店にコッペパン2個と小さいコーヒー牛乳を買いに行ってよく学校で食べたんですが、当時の友達はピアノやバレエをやっているようなお嬢ちゃまだったのに、とても優しい女の子たちで、私が学校を抜け出してパンを買いに行く時、一人じゃ不安だろうからってついてきてくれてたんですね。(登校前に開いているお店もなかった時代です)   ところが、教室で皆はお弁当を食べ、私は買ってきたパンを食べていた時。厳しくて筋の通った先生で有名な隣のクラスの女先生が、見回りにきて、私のパンを見るなり物凄く怒って、袋ごと捨てられ、「なんでパンなんか食べている!」と説教されました。その先生の事を尊敬していたので、「パンなんかでは栄養がない」「おにぎり一個でも大事に食べなさい」とか言われてた気もしますが、なぜ怒られているのか少し困惑するところもあり、訳もわからず、校外へ買いに行ったのがバレて、怒られているのかとも思いましたが、先生の口ぶりは、私がお弁当を嫌がって我儘でパンを買いに行っている。と思われているんだなーというのがわかり、一緒に居た友達に誤解されたのと、先生に怒られる様な事をした自分自身が悲しくて悲しくてやりきれませんでした。   両親が別居している事と、父方の実家の離れに居候させて貰っていたので、お弁当を作れない事を隠し、「そいう事は普通じゃない」と思った私は、誰にも知られたくなかったので、「パンが好きだからお弁当を持ってこない子」になる方を選択したんです。 私はとても無口で口下手な子だったのですが、他の女の子は家に帰って母親に今日会った出来事を話すそうなので、よその家の人に普通じゃないと思われる事も極端に嫌でしたねー。 その後、一緒に居た友達とは距離ができ一緒に居る事が少なくなり落ち込みましたね。   ・少し記憶が曖昧ですが、近所のお姉ちゃん(当時小5~中1?)とお姉ちゃんの友達と私(低学年)で少し離れた所に背丈程の草が生い茂っている河原があって、3人で散策に行ったら突然男の人に追いかけられて3人バラバラに逃げ、お姉ちゃんの友達と途中で合流して、怖かったけど、お姉ちゃんを探したらお姉ちゃんがボロボロになって泣きながら歩いて来ました。   何があったか何もなかったのか分からないけど、子供心に何も聞いちゃいけない。   この事は誰にも話してはいけないって思いましたね。 ・隣に住んでた幼馴染は、私の一学年上の男の子で、よく一緒に遊んでました。お姉さんと美人の母親と長距離運転手で滅多に家に居ないけど、居る時は一緒に遊んでくれる父親が居て私から見ればと理想の家庭でしたが、彼が小1、姉が小4の時、お母さんは男性と家を出て行ってしまいました。  月に1,2度しか帰ってこない父親を待ち子供達は二人で、炒めたご飯に醤油をかけるだけの焼飯等で凌ぎながら生活していましたが数年後、父親が酒に溺れアル中になり入院。子供達は施設に入いることになりました。  家で送別会が行われている時、彼は外に出てきて黙って砂に絵を描いてたので、私も隣に座って黙って絵を描いてました。  ポツリと一言だけ「あいつ(お母さん)が出て行く時、僕、目が覚めてた。  だけど布団の中で息を殺して追いかけなかった。」と言ったきり声を殺して泣いてる彼に私は「それでも3人でも和ちゃん家が羨ましかった」と言ったら「父さんも弱くて馬鹿だ」この1年後、彼の父親はアル中の治療中病院で自殺して帰らぬ人になりました。  後で知りましたが入院してから何度も自殺未遂を繰り返していたそうです。  父親が亡くなった後、自宅を片つけに来た彼等が電話も止めてあるので、電話を借りに来て、お姉さんがさし出した手は、昔の白くて綺麗な手ではなく、およそ人間の手とは思えない程真っ赤で、ぱんぱんに腫れあがり、酷いしもやけとひび割れでそれを見た私は涙が溢れてしまい、泣き顔を見られない様に背中を向けたら、彼が「施設は朝5時起きで冷たい水で掃除させられて裸足で剣道の稽古だよ」と言ったので振り向くと彼は笑っていました。   辛いとも、悲しいとも一言も言わずただ笑っていました。 ・同級生の女の子に、およそ器量よしとはいえない。小学生なのにパッと見、太った黒人の肝っ玉母さんという感じの子がいました。でも彼女は誰よりも女の子らしく繊細で心優しくて仕草も可愛らしかったのです。  彼女の年の離れた妹は母親似でフランス人形みたいに可愛くて皆に可愛がられて少し我儘だったけど彼女が良く妹の面倒を見ていたのを覚えています。   そして彼女の家もまた母親が出て行った。(世間体を繕うために公には出て行った事にはなっていなかったのかもしれません)いつも笑っていた彼女は私に、「お母さんが出て行った。(母親が出て行く時)妹だけ連れていく(と言ったと言ったのか、連れて行ったか記憶が曖昧)」ですが、自分は連れて行ってくれなかった事に傷付いてました。その後、腰が九十度にまがった父方のお祖母さんが手伝いに来ていましたが、彼女が中学生の時心筋梗塞で、ある朝突然亡くなり、暫くぶりに彼女の姿を見てすれ違いざま彼女に「大丈夫?」と声をかけたら、「うん」と笑顔で微笑んだ彼女がいじらしくて私は言葉に詰まってそれ以上何も言えませんでした。 ・小3の時同級生のお姉さんが脳腫瘍になって亡くなり、腫瘍の原因をつくったのは自分だと、荒れていた同級生。  彼女は、男の子達も牛耳るほど男勝りでしたが、一つ違いで可愛くて優等生のお姉さんとケンカした時頭を打たせたことがありそれが原因で姉が脳腫瘍で死んだと思っていました。  お姉さんの広恵ちゃんが亡くなる前、家に遊びに行った時広恵ちゃんが「本当に頭が痛いの!仮病じゃない!」と叫んでいたのが私が、広恵ちゃんの声を聞いた最後です。  その後学校に登校していた広恵ちゃんは、休み時間に机に突っ伏して話しかけられても頭を持ち上げることも出来ないようでした。  それからすぐ、広恵ちゃんは、危篤で、もう助からないと聞かされ…亡くなりました。  元々腫瘍ができた場所が悪くて摘出手術が出来なかったのか、診断ミスで手遅れになったのか分かりませんが「子供特有の心の病気からくる頭痛」と診断されていたのは確かです。  広恵ちゃんが亡くなった後なぜか私は妹ちゃんから1年位虐められお姉ちゃんを「殺したのは私」虐めて「ごめんね」と謝まられました。 ・小学1年生の女の子と生れたばかりの妹と実の両親の4人で同じ小学校に通う児童が沢山いるマンションに暮らしていたけど、実の親と溝ができ、嘘を言ったりするのでマンション中の注目を浴び、居た堪れなくなった両親がその子を実家に預け、両親と離れて暮らすことになった女の子。 ・一重や、剛毛が嫌で本気で、悩んでいる女の子達。 ・小さいころ父の同僚が自殺しました。その人には子供が4人位いたと思います。  亡くなった日の夕方、その人は父を訪ねてきました。外で遊んでいた私は、見るからに土気色した顔をして幽霊のようなその人が家に上がって待たせて欲しいというのが、なにかとてつもなく怖かったんです。知らないおじさんを家に上げるなんて泥棒とかあったら大変ですし、とにかくその人が(恐いではなく)怖かった。「お父さんを待たせてくれ」と私に何度か頼みましたが、首を振る私に、来た時より更にがっくりと頭と肩を落とし、幽霊の様に帰って行きました。  その後すぐ父が帰ってきて、待っててもらえばよかったと言いましたが、家の電話が鳴り、その人が自分の家の裏山で首を吊って亡くなったと…  最後にその人と話したのは私で、きっとその人に最後の引導を渡したのも私。  その人には私と同い年の娘さんが居たそうです。ずっと忘れていましたが中学生になった時同じクラスにその人の娘さんが居る事に気がつきましたが、卒業するまで、結局彼女には何も言えませんでした。 現在私は、大学生、高校生、中学生、小学生の子供を持つ4児の母です。 子供の頃の些細な悩みから、大きな悩みまで物凄く沢山経験しましたが、文章って難しいのですね。 思い出した事を半分も書ききれませんが、挫折しました。 乱文お許し下さい。       (みほ)

回答No.5

(いじめて)ごめんね。と私に謝ってくれました。

  • mana6152
  • ベストアンサー率62% (5/8)
回答No.4

・先生の事をお母さんと呼んでしまって  恥ずかしすぎて次の日に学校に行くのがすごく嫌だった ・学校を休むと自分がいない学校生活の時間が  進んでいるのが嫌だった ・自衛隊は「J隊」という外国人も混ざった軍隊だと  思っていた ・団地に住んでいる子は周りに友達がたくさんいて  いっぱい遊べるから羨ましかった ・1,2歳違いのお姉ちゃんがいると自分の立場が  強くなる、という法則があったのでお姉ちゃんが欲しかった こんな感じですねぇ・・・ 思い出すと結構おもしろいですね(笑)

  • LA_keyman
  • ベストアンサー率25% (163/627)
回答No.3

こんにちは。 小学生だったころの悩み。 1.プールで目を開くのが怖かった。目の中に水が入ってくるのではないかと、プールの前の日は怖くて眠れなかった。 2.名前が「○太郎」なので、おじいちゃんみたいな名前だから自己紹介とか嫌だった。 3.寝つきが悪く、世界中で起きてるのが自分だけのような気がして怖かった。(10時くらいなんだけどねw) 4.自分が死んだ後、何千年も先のことが怖かった。 5.友達に借りたマンガを破いてしまい、そのまま返した。何も言われなかったが、いつまでも心が晴れなかった。 6.親戚で一番好きな叔父ちゃんに貰ったお年玉が、姉よりも少なかったので泣いて騒いで同額貰った。(他の人から貰ったお年玉は姉のほうが多くて当たり前だと思っていたが、この叔父ちゃんだけには差をつけられたくなかった。) 7.母親の作るお弁当。小学生のお弁当にのり弁の上にシャケとか。(他のおかずなし) こんな感じですw

  • Erkin
  • ベストアンサー率32% (48/147)
回答No.2

地球温暖化でペンギンが心配だった 授業で原発について学び、原発が怖かった 弟に負けるのが嫌だった お小遣いを貰えなかった 夫婦喧嘩をみる、口論を聞くのが嫌だった 自分が大人になったとき、処分仕切れないゴミで地球が埋もれてないか心配だった 好きな女の子と遊んでいる時、それを見られ、学校で囃し立てられないか心配だった 大勢の前で幼稚な演技をするのが嫌だった(バッタのまねとか、ウサギのまねとか。) トンボをトンバ、きんぎょをきんげよと書いたテストを親に見せた時爆笑されて凄く嫌だった。 小学校1年から6年までの悩みを思い出してみましたが 貴方とは別のことではこのくらいですかね、、 あんまり覚えてないものですね

noname#158357
noname#158357
回答No.1

私は一人っ子だったので、兄弟喧嘩がうらやましかったですねぇ… ・ひとり部屋を与えられていたが、深夜の天井のシミが何かの顔に見えてこわくて仕方なかった ・学校の図書館のめぼしい本を読み終えて暇だった ・親の友達の大家族の家に行ったら大混乱で驚いた こんな感じですかねー

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