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学生運動って何だったのでしょう?

私は五十路半ばですが、いわゆる学生運動の時代を知りません。 でも、なんとなくですが、あの時代に高校生・大学生だったとしたら、私は運動に参加していたのではないかと思うことがよくあります。 社会を変えたいとか考えての参加ではなく、単純に、権力にたてつくことを目的として(笑) 参加した経験をお持ちの方。 あるいは、参加はしなかったけれど、参加したいと心動かされたことのある方。 あなたにとっての学生運動は何だったのでしょう? お教え願えれば幸いです。 よろしくお願いします。 この質問は、アンケートカテゴリ投稿規約の 解決すべき問題ではないが、同意や感想を求める質問 に、該当すると考えます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • mota_miho
  • ベストアンサー率16% (396/2453)
回答No.5

戦後の「民主教育」で、人間は平等、戦争はいけない、アンフェアなことはダメと教わって成長してきた青年達が、その理想と現実に大きなギャップがあることに気がついたのは彼らが大学生になったころのことでした。 例えば、ベトナム戦争がありました(「北爆」が始まったのが昭和40年)。また、アメリカの原子力潜水艦の日本寄港が問題となっていました(昭和39年頃~)。 一方、大学は学生の問題意識を受け止める場とはならず、産業界で求められる人材育成の場でしかなかったのでした。産学連携と称して大企業と癒着もしていました。 それらに反対・反発した学生の心が凝縮していったのが学生運動だったと思います。     こちら(↓)にベトナム戦争に関連した映像があります(関係ない映像も含まれています)。 Eve of Destruction http://www.youtube.com/watch?v=ntLsElbW9Xo&feature=related  

noname#148428
質問者

お礼

You're old enough to kill but not for voting. こういう不条理は、今も変わらず在る気がします。 でも、声が挙がらなくなりました。 おかしいと思わなくなってしまったのでしょうかね。 たしかに、飼われる方が楽かもしれないと思うことも多いのですが。 ご回答、ありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • boseroad
  • ベストアンサー率26% (149/558)
回答No.8

森毅センセの書いてはる本とか読むと、森センセとやりあう側、てかやりこめられる側(苦笑)ならおもろかったやろなあ、思うわ。ノンポリの思い入れはその程度。(苦笑)

noname#148428
質問者

お礼

ノンポリなぁ。 一生懸命考えてはった方には申し訳ないけど、おそらくほとんどの学生はノンポリやったろうなぁ。 就職が決まって髪を切るような。 回答おおきに。

  • dandyman
  • ベストアンサー率17% (107/614)
回答No.7

文化系における「暴走族」みたいなものですね。 共通項は 本人達の充実感 使命感 結束力 他者との差別意識、選良意識、誇り 敵がいる 大義名分を掲げる 自らの行動に陶酔する 非生産性 興味のない他人からみるとただの痛い奴 おっさんになってから思い出して熱くなる 大半はただ騒いだり盾突きたいだけの連中。

noname#148428
質問者

お礼

なるほど。 大半はただ騒いだり盾突きたいだけの連中。 そうであったと思います。 質問に目をとめていただきありがとうございました。

  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1826)
回答No.6

>学生運動って何だったのでしょう? 私は共通一時試験元年に受験しましたから、質問者様より若干下の世代ですが、当時学生運動は既に下火でありましたし、参加もその意志も全くありませんでした。 依って回答の有資格者ではないかも知れませんが、御容赦を。 私にとって学生運動とは、ユーミンの「いちご白書をもう一度」、ガロの「学生街の喫茶店」、サイケデリック・ベルボトムといった言葉の末端に繋がる、フィクションとファッションの世界。 1970年代後半に大学に入学した当時の日本は既に相当豊かであり、社会に対する閉塞感や反社会的運動とは殆んど無縁、私なんぞ大学とは遊びに行くところ・彼女を探しに行くところという認識でしたので、女子大生が多くそのルックスのレベルが高いとの評判のミッション系大学ばかり受験致しまして、その中の一校に現役で潜り込んだのですが。 ところで私の母校は原理研究会という右翼系組織が主流の所謂お坊ちゃま大学、彼らは他校の左翼、民青系・ノンセクトの連中と何やらもめており、御多分に漏れず入学早々クラスに原理研のメンバーが現れて、何やら喚いておりましたが、誰一人として興味を示した者はありませんでした。 尚原理研が悪名高い統一教会の下部組織であると理解したのは遥か後年、私の某半島嫌いはその辺りに由来するのかも知れません。 驚いたのは明治大学に行っていた高校時代のクラス・メートが、吉祥寺でヘルメットを被ってアジっていた事、後で聞くと友達が出来なくて寂しがっていたところ、勧誘されて核マルに所属したと申しておりましたが、当時下火の学生運動各セクトはこういった学生を狙うのが常套手段であったとか。 余談ながら学生時代アジアにはまりまして、東南アジアから西アジアに掛けて何度か長期旅行したのですが、学生運動からドロップ・アウトした一世代上の連中が、日本人の定宿とされているところで、ドラッグやその他怠惰な生活に溺れている様を目の当たりにして、学生運動に首を突っ込んだが卒業前に現実に戻り、無事社会へ巣立って行った人々との乖離に思いを馳せたものです。

noname#148428
質問者

お礼

「いちご白書をもう一度」がユーミンですか(それで正しいのですが)。 私はばんばひろふみでした。 あの歌が流行って、元となった映画も観に行きました。 >学生運動に首を突っ込んだが卒業前に現実に戻り、無事社会へ巣立って行った人々との乖離に思いを馳せたものです。 そうなんですよね。 私も、就職が決まって、髪を切りました。 でも、その後数年で、「ドラッグやその他怠惰な生活に溺れている」に似た生活をすることになりました。 そこから抜け出して今があるのですが、思いはなんとなく複雑なものがあります。 ご回答、ありがとうございました。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.4

昭和41年に早稲田大学へ入学しました。 当時の早稲田大学は学費値上げ反対運動で盛り上がっていました。 おかげでその年の入学式は5月に延期されてしまいました。 私は学生運動の連中を「あほちゃうか」と思って冷やかに見ておりました。 まったく関心ありませんでした。 私は思想的には中道右派ですので左翼とは合いません。

noname#148428
質問者

お礼

昭和41年に早稲田ですか。 回答者さんが感じていた空気は、私の世代ではもう感じられなくなっていた気がします。 もっとも、それは私が鈍感だったせいかもしれませんし、2部へ進んだせいもあった気はしますが。 >私は学生運動の連中を「あほちゃうか」と思って冷やかに見ておりました。 参加した経験を持たず、参加したいと心動かされたこともない方のご意見ではありますが、そうだったかもしれませんね。 全共闘世代という言葉がありますが、そういう活動をしていたのは当時の学生全体の数%だったらしいですしね。 ご回答、ありがとうございました。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.3

私は全共闘世代ではないですが、大学が中革の拠点だったので度々ロックアウトで締め出されたことがあります。 アジビラがまかれたり、アジ演説は何度も聞きましたが、当時は怖い、オルグされそうなイメージがあって深入りしたくなかったです。 ですが60年代は、“我々が動けば政治が動く、日本が動く”という希望と未来を信じていたのかも知れません。 もっと政治に対して身近に接していて、そうせざるを得ない政治情勢だったので、皆真剣だった感じかも知れませんね。 今の世代は総じてノンポリが跋扈して選挙にも行かず、そういうことを考えたりすることは、ダサイとか異質・異分子・異様な目で見られそうですが、逆に政府は、“どうせ国民はデモのひとつも起こせないだろう”とタカをくくって、国民が「不満があっても無言で服従する民」となってしまって、それがある意味“美徳化”しているのは危険のような気がします。

noname#148428
質問者

お礼

No.3 私は通っていた高校がそういう活動に熱心でした。 しかし私が入学した時にはその熱はもうすっかり冷めていて、それでも埋み火のように燃えている残り香のようなものは感じていました。 私は2部へ進んだこともありそういった活動とは縁遠かったのですが、高校時代に背中を焼かれた思いのようなものがずっとありました。 >国民が「不満があっても無言で服従する民」となってしまって、それがある意味“美徳化”しているのは危険のような気がします。 たしかに。同感です。 ご回答、ありがとうございました。

  • 0128t
  • ベストアンサー率13% (65/475)
回答No.2

学生運動。 私も当時、青年であったなら参加したと思います。 私の父は、その頃社会人ですが、労働争議のリーダーとして、会社に立てこもったり、ストに反対して仲間だけで営業したりと過激な活動をしていたらしいです。 よく、幕末の倒幕運動の志士に例えられますよね。 高度経済成長の歪みへの民衆の不満と、若者の血気、若い正義感が合わさった、感染力がつよい麻疹のようなものだったのではないでしょうか。と、私は想像します。 毎日、アドレナリンがバンバン分泌されて改革熱にうなされて、何でも出来るように思えてしまう。 三島由紀夫の割腹事件なども、そうでしょう。 ただ、日本近代史に少なからず影響したことは確かでしょうね。 今よりは若者に蓄積されたパワーがあったとも思います。

noname#148428
質問者

お礼

>若い正義感が合わさった、感染力がつよい麻疹 なるほど。 たしかにそうだったのかもしれませんね。 若い正義感ですか。 正義感は高じると暴力へ走りやすいもののような気がしますが、その典型だったのかもしれませんね。 ご回答、ありがとうございました。 No.3 私は通っていた高校がそういう活動に熱心でした。 しかし私が入学した時にはその熱はもうすっかり冷めていて、それでも埋み火のように燃えている残り香のようなものは感じていました。 私は2部へ進んだこともありそういった活動とは縁遠かったのですが、高校時代に背中を焼かれた思いのようなものがずっとありました。 >国民が「不満があっても無言で服従する民」となってしまって、それがある意味“美徳化”しているのは危険のような気がします。 たしかに。同感です。 ご回答、ありがとうございました。

noname#148428
質問者

補足

申し訳ない、#3の方へ用意したお礼を間違って一緒にコピペしてしまいました。 No.3以下がそれです。 失礼しました。

回答No.1

こんにちは 私が大学受験の時に東大の受験が中止になりました。 学生時代には全学ストやバリケード封鎖もありました。 運動家の「大学を、社会を変えるんだ」と言う行動には 憧れのようなものがありました。誘われてヘルメットを 被りデモにも行きました。(張り切り過ぎて捕まって) 今でもそうですが、何かに没頭できる人を見ると羨ましいです。

noname#148428
質問者

お礼

なるほど。 当時の学生のそれは褒められた行為ではなかったと思いますが、おっしゃるように、たしかに、エネルギーを感じました。 ご回答、ありがとうございました。

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