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60年代、学生運動について教えてください。
村上春樹さんの本を読んでいて、気になったので質問したいのですが、学生運動というのは一体何なのですか?? 彼らをそういった行動に駆り立てたものは何なのですか??勉強不足ですみません。。 またその辺りのことが詳しく書かれた本などを知っている方も教えていただけたら幸いです。
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大学生が中心となって、大学側や政府といった 社会における体制側、つまりいろいろな 権力を持った側と戦ったんですね。 大学の先生たちも体制側と言われて、 ときに学生たちにつるし上げられて いたんです。今でも大学側の教育方針とか、 教授の授業の進め方、授業内容に みんなが不満を抱いていることって結構ある と思うのですが、下手に文句を言って、 就職に差し支えたらとか思うと 結局何もできません。つまり、学生に とって大学側や先生たちは、大学環境を 自由にできる権力を持っているわけです。 大学生は、政党みたいに主張を同じく するセクトと呼ばれるグループに分かれて 活動のための資金を集めて、集会を 開いたり、政府に対する抗議運動を していたんです。 60年代は、アメリカとの間で結ばれて いる安全保障条約の更新の時期に当たって いて、学生側は安保反対を唱えて機動隊と 衝突していたりしたんです。 安全保障条約は、更新時期というのがあって、 この時期に日米どちらか一方が条約破棄を 宣言すると以後この条約は無効になります。 しかし、何もしないと自動的に 更新されてしまうんです。 学生たちはこの自動更新を阻止しようと したんですね。 今でも問題になっているように、安全 保証条約は、有事の際、アメリカが日本を 助けてくれる可能性を含んでいるものの、 日本もアメリカの戦争を助けなければならない、 つまり日本がアメリカの戦争に参戦する可能性を含んで いるです。 今の学生が抗議デモしないほうがむしろ おかしいのかもしれません。 東大の安田講堂は長い間、封鎖 されていました。ここに大学生たちが 立てこもり、機動隊と戦ったんです。 この安田講堂事件の後、公には 講堂が荒れ果ててしまい、修理の 予算がないという事で、封鎖して いるということでしが、実際には 学生たちに再占拠されてしまう 事を恐れての封鎖でした。 学生運動は60年代の事とされていますが、 実際には90年代まで関係当局がおおっぴらに 監視の目を光らせていました。 例えば、日本大学の文理学部だったと 思いますが、少なくても90年代前半 まで、文化祭が禁止されていました。 屋台などの収入が、学生運動の資金源に なるという事で、警察から大学側に 文化祭禁止の命令が出ていたんです。 90年代後半から、学生運動の拠点になって いたいわゆる有名大学の様相が大きく変わり 始め、今では面影もありませんが、 例えば、明治大学のお茶の水の 校舎の周りには、深い堀が掘ってありました。 入り口を閉鎖すれば、学生立たちが 学内に侵入できないようにするためです。 東京神田、駿河台の付近では、道路の 舗装に、タイルやレンガの使用が 90年代後半まで禁止になっていた 地域がありました。 学生運動の際、学生たちが石田畳 作りの道路から、タイル状の石を 引き剥がし、機動隊への投石に 使ったため、その再発防止のためでした。 >彼らをそういった行動に駆り立てたものは何なのですか?? セクトと呼ばれるグループに分かれていた くらいですから、主張はいろいろあったと 思いますが、一言で言うと、政府など権力側に対する 不満でしょう。 今でも同様の問題は残っていると 思います。抗議デモやれとは言いませんが、 同じような不満は、よく考えると 今の学生も持っているはずです。
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・池上彰『そうだったのか!日本史』集英社 この本の第12章学生の反乱に日本が揺れた は参考になると思います。
お礼
お礼が遅れてすみません! ありがとうございます!! 本の紹介ありがとうございます。時間を作って必ず読みます。
- SCNK
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概ねすでに回答が出ておりますが、その背景に冷戦があることは否定できないでしょう。それに日本国内の政党、政治団体が乗り、直接、間接に学生にも影響を与えたと思われます。東大安田講堂の一件に限れば、それは大学自治権などをめぐるはなしでしたが、そのような背景がなければ、あの騒乱は起きなかったでしょう。 安保闘争はそれよりさらに8年程遡る話です。この時は冷戦の影響もありましたが、それ以上に、旧安保条約の内容が米国に有利な、事実上の占領体制であったため左右両派の合同の行動でした。つまり日本が米国側に付くことに反対する左側と、日本のナショナリズムを主張する右側が一部合同した運動だったわけです。しかし当時の岸首相は米機関と連携して、民族派の学生などを動員してアイゼンハワー大統領の警護に当てようとしましたから、右の中でも分裂がありました。その後、安保条約が改定されるにしたがい、学生運動は左の色彩が強くなったのです。 もともと戦後、戦地から復員して復学した学生などが、職もなくあふれていたところに、社会主義の影響をまともに受けたことがありました。それにより2・1ゼネストやメーデー事件などに学生が動員されてゆきました。 当時は、日本共産党も五全協時代で地下暴力革命路線をとっていて、山村工作隊や中革自衛隊、あるいは歌声運動など表向き穏健な形など、あらゆる形で労働者や学生を動員しました。しかし日本共産党は昭和30年、六全協により合法路線に切り替えたため、かれらは浮いた存在になったわけです。ちなみに60年安保も安田講堂事件においても日本共産党系の日青の学生は、これらの運動に合同しませんでした。これらの運動に参加した全学連の中心にいたのは、これらの運動から溢れた学生だったわけです。 その後、安田講堂で大学管理の不備が問われ、矛先がそらされ学生の主張のぶつかりどころがなくなり、全学連は分解して行きますが、それらの中で強硬路線をとった者等が、その後の過激派運動に流れてゆきます。
お礼
お礼が送れてすみません! ありがとうございます!!
直接の原因は.東大医学部で臓器移植用臓器提供者の取り扱いに関しての講義があり.その内容に反発した学生が教授に詰め寄ったことが原因です。 そのときに.学生を教授達が処罰したのですが.処罰リストに.たしか.実家に帰って講義をサボって遊んでいた人間が含まれていました。このことが.医学部学生全体の反感を買って.学生運動に発展しました。 まあ.教授達の傲慢が学生運動の発端になったのです。 その後.学生達の考え方を政府が一団となって否定しました。産業界や公務員の職から追い出されて.独自の生活を目指すようになりました。現在でも彼らの闘争は続いています。成田闘争で.最高裁の判決が出て.政府が行っていた行為が正当化されたのです。この判決を元に.現在彼らはサラ金業者として.一見違法に近い.合法的取立てを行っています。関係判決は.日本国内における犯罪的行為を合法化するものであり.日本国内での犯罪的行為を正当化するものとなりました。 ですから.法令に抵触する・しないのぎりぎりの合法な内容に関係するのであれば.学生運動関係判決は読んでおいても損はないでしょう。
お礼
お礼が遅れてすみません!!! ありがとうございます! 知らないことだらけで、大変勉強になります!
60年安保闘争は日米安全保障条約改定を阻止するために展開された闘争です。 岸内閣による改定交渉の進展にともない,1959年に社会党を中心として安保改定阻止国民会議が結成され,全学連を中心とする学生の反対運動も活発だったのですが,運動が広がりをみせたのは60年5月岸内閣が条約批准を強行採決してからのことで,強行採決という政治スタイルへの反発から自民党の一部も巻き込む形で運動が広がりを見せていきます。 つまり,安保闘争は日本とアメリカとの軍事的提携関係の強化に対する反対運動から,強行採決というスタイルをとる岸内閣への反対運動・民主主義擁護を掲げた運動へと性格が変化するなかで,国民的規模の反岸内閣運動として高まりを見せていきます。そうした性格の変化もあり,新安保条約が自然成立した後は,闘争は退潮に向かっていきます。 六十年安保闘争/出発のためのメモランダム http://www.eda-jp.com/books/memo/31.html 60年安保の軌跡 http://karano-web.hp.infoseek.co.jp/kiroku.html
お礼
お礼が遅くなって大変申し訳ありません! ありがとうございます!! わかりやすい説明ありがとうございます。サイトも読ませていただきました。
- ende
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こんばんは。 こちらのサイトが参考になると思います。 http://www.law.keio.ac.jp/~hagisemi/sakurachonmo/ronbun.html http://marukyo.cosm.co.jp/ZGR/ZGR2.html http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/undousi.htm 学生運動、と聞くと映画の「いちご白書」を思い出します。 サイト貼り付けだけですみません。 ご参考になれば。
お礼
お礼が遅くなってすみません!! ありがとうございます! サイト拝見させてもらいました。
お礼
返事が遅くなって大変申し訳ありません! ありがとうございます!! 当時の学生がこれほど問題意識を持っていて、これほど行動力があることに驚きました。私も現在大学生で、大学に対する不満ももちろん持っています。私の友達も、少なからず不満は持っているはずです。しかしそれを実際に「行動に移す」という「考え自体」を持ち合わせている学生は私も含め少ないと思います。 なぜ昔と比べ、今の学生は問題意識がこれほど低下したのでしょうか。