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国鉄「54」

国鉄の機関車・車両で、「54形」と名付けられた物は、不遇な扱いを受けたと聞きましたが、どういう事でしょうか?

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  • ultraCS
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回答No.1

C54 作られたのが昭和恐慌まっただ中で17両しか作られなかった。その後、方針変換で製造終了。少量数で使いにくいので現場でも持て余す。 ED54 ブラウンボベリ(スイス)製、2両導入。ブフリ式という特殊な駆動方式で、複雑な構造で保守しにくく、少量数のため、現場で敬遠 EF54 EF52のギア比を高速型に変更した機関車、少量数で使いにくいため現場で敬遠、その後、ギア比を低速に変更し貨物形のEF14に回バンして形式消滅 DD54 54のジンクスの大部分はここから発生しています。機関はマイバッハのライセンス、変速機はメキドロのライセンスによって国内で生産された期待の本線用箱形機でしたが、推進軸折損による棒高跳び事故を連発し、運用休止して対策が行われました。機関、変速機とも国産に比べ繊細で、当時の国鉄の保守で対処しきれなかった面もあり、運用縮小となります。 結局、製造量数の泊無さで不運に終わった車体(C54/ED54/EF54)、複雑で繊細な機構を国鉄技術陣が使いこなしきれなかった車体(ED54/DD54)デス。1950年代の日本の技術ではドイツやスイスのような精度を維持できなかったのです。54は偶々重なっただけで、他にも少量数故持て余された機関車はいろいろあるし、複雑な構造を使いこなせなかった機関車もあります。

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