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何故シゲティはプロコの協奏曲第2番を演奏しなかった

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番は十八番(おはこ)のように演奏していました。 また、ソナタも第1番、第2番共によく取り上げていました。 では、何故に協奏曲第2番は演奏しなかった(CDも無い)のでしょうか?

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  • urax2
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回答No.1

シゲティはプロコフィエフと個人的に親交があって、1番のコンチェルトは献呈されたンですよね? で、各地で演奏して録音も行ってこの曲の普及に努めました。ところが、2番はなぜかハイフェッツに捧げられました。そしてハイフェッツはこの2番をシゲティと同じく各地で演奏・録音して普及に努めました。 互いにライバル心や嫉妬心があったかどうかはわかりませんが、そういう「すみわけ」「役割分担」だったのでは? また、あのころはすでに「初演後、○年間は○○さんに独占演奏権」みたいな契約があったのかもしれませんね。 いまでも「1番はシゲティを」「2番はハイフェッツを」というファンも多いですよね。 そのへんの謎、伝記や評伝をたどって調べてみるといいかもしれません。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確か1番の協奏曲は他の人が初演後、シゲティが演奏会で頻繁に取り上げやがてプロコフィエフ自身もその解釈の素晴らしさにこの曲をシゲティに献呈するに至ったかと。 そうですね、2番はハイフェッツが好んで演奏してきましたし録音もあります。 シゲティがハイフェッツにライバル心があったかは分かりませんが、仰る通り暗黙の役割分担(巨匠同士の紳士協定?)をしていたのかも・・・ この2曲をあらためて聴いてみると、1番の前衛的・鋭角的な様がシゲティの即物的な表現や音質により合っていると思います。

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