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JR福知山線脱線事故の裁判判決ですが。

事故が起きることが予測できなかったから無罪という事ですが、では予測できていれば事故は起きなかったということでしょうか。東電福島第一原子力発電所事故と一緒で想定外ということですか。お教え下さい。

みんなの回答

  • mdhcf960
  • ベストアンサー率27% (45/163)
回答No.10

法律上の有罪無罪は、倫理上の善悪とは別の概念です。 悪い人が罰せられるというのが理想ですが、実際の法律はそうとは限らないというのが現実です。 法律は「知っていて危害を加えた」のは悪意とみなします。「知らないで危害を加えた」のは善意とみなします。その屁理屈に従うと、どんなこ汚い手段を使ってでも事故が予想できなかったことを証明さえすれば法理論上は無罪になってしまうのです。 しかし! 当時の福知山線を管轄していたJRの経営者は安全性への注意を怠っていたのは事実です。運転手は過剰な要求をせまられ責任も過大に押し付けられ長期の過労状態をしいられていました。時刻表も過剰スケジュールで大勢の客が一気に乗った電車はダイヤを守るために急激な加速減速を繰り返し、カーブでは不安定になってもスピードを落とすとダイヤが守れない状態にありました。 人は許しても、天は絶対にゆるさないでしょう。 いまにこの経営者には必ず目の玉が飛び出るほどの大きなバチが当たると私は思います。

回答No.9

素人考えで申し訳ありません。 昔の国鉄は過去には多くの人身事故を起こし、その度にさまざまな改良や安全基準作りをし、 安全の向上に努めてきたのだと思います。 今のJR各社は、当然ながら、それらを引継いで、 さらに磨きをかけていると信じています。 問題の一つに上がっている「事故の予見性」について以下の様に考えます。 一般の人が事故現場を走る電車を見て、 「スピードが出てて危なそうだね~」などと言うのとは 異なるレベルで考えなければならないと思っています。 企業として、またその企業の安全対策の責任者としては、 ・過去の事故の研究 ・安全運転のための研究。 ・安全基準作り。 などなど日頃実施して、どういった場所にはどんな対策をすべきかの 基準作りをしていると思います。 また、責任者としては部下にそういった仕事をさせている事でしょう。 それらの基準が整備されており、その通りに実施されていれば 責任は問えないかもしれません。 しかし、何年もの間その基準が改訂されていなければ、 日頃、安全対策を講じていたとは言えないとも言えるでしょう。 一般の家電製品などでは、製品の設計や製造、出荷の各段階で 法律に合致するかはもちろん、安全性・操作性などのさまざまな レビューを実施して、問題の洗い出しなどをやると思います。 問題の福知山線の事故現場は以前にカーブがきつくなる工事をしています。 その時に、特に安全性について、何らかの問題抽出の手順が踏まれたかが 重要では無いかと思います。 法律及びJR西日本の社内規約でどうなっているかは、私は知りませんが、 もし、それら規約等で決められていた事を実施していなければ、 安全対策を怠ったと言えると思います。 また、実施されていたとして、その中で何らかの問題が指摘され、 かつ、その対策が講じられていなければ、責任を問われるべきでしょう。 もし仮に、安全対策の基準自体がなかったり、役に立たないものしかなかったら 歴代の責任者は給料を返納すべきでしょう。 実際の裁判の内容は判りませんが、 「予見できたか」と漠然と言うのでは無く。 企業として、「予見」するための手続きや作業を 法律や社内規約に基づいて誠実に行ったか? が問われるべきと思います。 これは福島原発にも言えることです。

noname#147438
質問者

補足

裁判の判決を知らないなら素人の推論のお答えは不要です。

noname#146820
noname#146820
回答No.8

「今まで大丈夫だったから、今後大丈夫だよね」を合言葉にしている典型的な傲慢体質。 流石!公務員。法務省は違うと思っていたのですが、他と変りませんね。

noname#147438
質問者

お礼

その通り、東電福島第一原子力発電所事故と同じですね。

noname#153385
noname#153385
回答No.7

異常な高速度でカーブにつっこむことまで想定して安全措置を講じる必要はないということでしょう。 この前病気で意識を失って事故が起きましたが、意識を失うことを想定してまで、歩道との間に防護壁作れって議論にはならないわけで。 原発の想定外は原発推進した人の言い訳ですから、同列には扱えないでしょう。事故が起きれば影響が長期・広範囲に及ぶのは想定内といえるし、一部の専門家は大津波の可能性は指摘しており、規模こそ違えど津波は過去何度も襲来してるのだから。単に千年に一度ぐらいの確率なら無視してしまえってなっただけ。自分たちが生きている間に起きなければいいのだし、起きないって思ったのでしょう。それを見ていた自然が人間の思い上がりに怒りを表したのでしょう。 こういう大事故が起きるたびに思いますが、電車や飛行機など交通機関の事故の場合は個人の責任を追及してもあまり意味はないと思います。事故当時の責任者個人ではなく、会社として遺族への事故補償は当たり前として、さらに罰金を科すなどを施していったほうが良いのではないかなと思います。個人の刑事責任を追及するのではあれば、例えば遅れを取り戻すために80Km制限のところを120Kmだせとかの指示をしたなど明らかに法令・規律違反がある場合などに留めるべきだと思います。 たとえ運転手が生きていたとしても、個人の刑事責任追及を恐れて、事故原因究明に必要な情報を提供しなかったり、真実を言わない可能性があるなど下手したら原因究明の妨げともなり、将来の事故防止という観点からは必要な対策がとれない可能性もあるのでデメリットも大きくなります。重過失がないかぎり個人免責とし、真実を証言させ安全対策に振り向ける方がはるかに良いのではないでしょうか。刑事責任が追及されると思うと、どうしても我が身が大事ですから。真実が発見されず事故が再発することの方が世の中全体として不幸なことではないでしょうか?遺族の処罰感情もあるでしょうが、事故再発して欲しくないという点は遺族の方も同じ気持ちになってもらえると思うのですが。 精神的不安は別として飛行機も今やかなり安全な乗り物といえると思いますが、過去何度となく事故をおこし、その度に対策を取ってきたからこその結果というのが歴史の事実です。諸外国では個人責任は追及せず、そのかわり会社に対して原因究明への真摯かつ全面協力義務を課しています。あと、日本みたいに個人責任追及が矢面にたつと、警察が証拠集めとして事故現場に真っ先に入ってしまい、残骸を押収してしまったり、事故現場が事故時の状況と変ってしまい原因究明の妨げとなる恐れもあります。警察が証拠集めに現場保存が必要なように、事故原因究明にも現場保存が必要なのです。 長文お許し下さい。ひとつの提言として。

noname#147438
質問者

補足

判りました。裁判官の判断が正しいようですね。被害者には気の毒ですが、運転手の過失ですね。後は控訴した高等裁判所での採決がどうなるかですね。

  • windwald
  • ベストアンサー率29% (610/2083)
回答No.6

R=304mのカーブに117km/hで突っ込むことは普通想定しませんし、 当時の常識ではカーブによる速度制限地点にATSを設置するなんてことは基本的にありませんでした。 特に後者についてはマスコミは触れませんね。都合が悪いのでしょうか。 (ATSは本来は信号機暴進を防ぐものです。) 私は、犠牲者数こそ少ないものの土佐くろしお鉄道宿毛駅衝突事故のほうこそ、 強く責任が問われるべきと思いますが、田舎の小さい鉄道会社のことなどマスコミは取り上げもしませんね。 マスコミが絡むと真実が見えない、まさしく問題点はここです。

noname#147438
質問者

補足

仰るとおりマスコミは被害者の側に立った報道しかしませんね。其れでどうすれば良いのでしょうか。

回答No.5

24000人もの死者を出した東北の防波堤工事の責任者も不問ですし、「これより下に家を建てるべからず」という石碑がある地域で、海岸沿いの低地に住宅の建築許可を出した市町村の建築課の公務員の責任問題さえも不問です。

noname#147438
質問者

補足

すべてが偽りの詐欺社会の日本。韓国等に経済で負けるのも判るようなきがします。

  • DOCTOR-OA
  • ベストアンサー率15% (298/1891)
回答No.4

全て人間がやることなので何をしても 完璧と言う事はありません。 たまたま犠牲者数が多かったので反響が 大きかっただけの事です。 毎日何処かで起きている交通事故死と 何ら違いはありません。 事件をマスコミが扱うと真実が見えなく なる事が世の中の一番の損失です。

noname#147438
質問者

補足

完璧を追求する努力は必要ではないでしょうか。真実を報道しない日本は滅びます。

  • zxzzxz
  • ベストアンサー率24% (39/161)
回答No.3

「予測出来ていたのに対策しなかった場合」にのみ過失致死傷罪となるのです。 原発も論点は同じですが、 原発は「国が定めた安全基準をクリアしていたうえでの自然災害」なので 刑事責任を問うのは100%不可能です。 福知山線の場合はATS未設置だけではなく 日勤教育などの罰制度により速度超過を招いたという面もあるので 事故を予測できたのではないかという話になったわけです。

noname#147438
質問者

補足

事故を想定しなかったから、罪が無い。何か納得できません。東電福島第一原子力発電所事故だって大津波の危険性を無視して稼動していました。福知山線だってあのカーブでスピードオーバーなら事故になる事は考えられないことは有りません。何でも想定外なら罪を問われないなんておかしいです。そう思いませんか、皆さん。

  • joqr
  • ベストアンサー率18% (742/4026)
回答No.2

安全対策が後手に回るのは仕方がない事 普通に考えればそうでしょ? >では予測できていれば事故は起きなかったということでしょうか そんな屁理屈、幼稚園児にだって通用しない 人のやることに絶対はない ミスは必ず起こる 最後は運次第

noname#147438
質問者

補足

ミスが起きて多数の犠牲者が出てもミスだから許されるのでしょうか。ミスは罪になるのですよ。

noname#194996
noname#194996
回答No.1

同様の急カーブが他にもいくつもあった。 他のJR と比べて特に西日本で安全設備の普及に遅れが著しかったとはいえない(遅れていたことは事実だが)。 >予測できていれば事故は起きなかったということでしょうか 予測して、ATS をそこにつけていれば起きなかったでしょう(自動的にブレーキがかかる)。 >東電福島第一原子力発電所事故と一緒で想定外ということですか。 そのとおりです。想定外は平均的な平凡人間には普通のことで、とがめだてするようなミスにはならないそうです。大会社のトップもこの場合は平凡人間なのだそうです。

noname#147438
質問者

補足

あらゆる状況を想定してこそ事故対策がなされる。想定しなかったから罪は無いなんておかしい。

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