- ベストアンサー
娘が弾いていたピアノ、棄てられますか?
- 娘が弾いていたピアノが突然処分されてしまった背景には、維持費や場所の問題があったようです。
- 娘が海外でジャズピアニストとして活動している間も、練習に使えるピアノがなかったということです。
- 母親は娘のピアノへの思い入れや演奏活動について理解していないようで、関係がうまくいっていないことが悲しいと娘は感じています。
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既に、沢山の回答があるので冗長のような気もしましたが、前問の「この回答へのお礼」と「この回答への補足」を読み、このご質問も読んでみて。。。との事もあったので、感じた事を少し。。。 子を産んだ母親は、子に対する無償の愛:慈愛を持っています。 そうでなければ、生まれてきた子が育つを訳はありません。 そして、親が子を思う気持ちは、生涯変る事はないのではないでしょうか。 経験から、そう思います。 しかし、子が成人する頃までの長い間には、諸般の事情によって、親子の間に誤解や軋轢が生じることだってあると思います。 それは、多分、愛情の延長上にある甘えがお互いの中にあるからではないかと思います。 いわゆる、親離れ、子離れが出来ていないと、お互いに、過剰な期待や要求をしてしまう所から来るのではないでしょうか。 貴女は、お母さんをとても愛していて、お母さんの事が気に成って仕方がないのではないかと、ご質問から読み取れるのですが如何でしょう。 また、お母さんの言い分が分からないので、想像に成ってしまいますが、お母さんだって、個々の事(例えば、ピアノの件)では、貴女に対する不都合な事を仕出かしたりしても、心の底では貴女を愛していない筈はないのではないでしょうか。 そして、貴女もお子さんの親に成っているのですから、親が子を思う気持ちは理解できると思いますが、お母さんが貴女を思う気持ちだって、貴女がご自分のお子さんを思う気持ちと同じだと思いますよ。 親は、子を育て上げれば、その頃からは、老いが始まって来ます。 今は、貴女がお母さんの事を気に掛けてあげる時が来ているのではないですか。 ピアノの件について。。。 確かに、子供が使っていて愛着を持っているであろう物を処分するいのは、気に掛かって難しですね。 ですから、お母さんだって、共同使用していたお姉さんに確認しているのですよね。 では、私には、何故聞いてくれなかったのか?という疑問がわくかもしれませんが、それは距離の差が災いしているように思います。 特に海外にいる人には、物理てな距離以上に、精神的遠さを感じることもありますよ。 また、貴女が愛用していたピアノが、特別な価値ある物でなければ、お金さえ出せば新しいものを買う事が出来るのですから、諦めたら如何ですか。 そして、お母さんも、貴女が子供の頃のようなオールマイティー(almighty)な親としてではなく、年取って弱くなってしまった親として、見方を変えて見直してあげて下さい。 きっとお母さんの違った面が見えて来ると思います。 そしたしら、お母さんとも、子供の時のような心の通った交流が出来るのではないかと思います。 親は大事ですよ。 特に、海外に要る人にとっては。。。 海外の知人が言っていましたよ。 「長い間、海外で生活していると、若い時にはそんなに思わなかったのだけれど、時々、日本へ帰りたくなる事がある。 しかし、兄弟は居るのだけれど、親が既に居ないので、帰るところがない。」と。
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- Yusura
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#9です。 いろいろ補足いただき、ありがとうございました。 また他の方へのご返答も拝見しました。 なぜ一言相談してくれなかったのかという気持ちはよくわかります。 が、私の意見は変わりません。 欧米の違い云々はご質問を拝見したときから覚悟して回答しました。 なぜか、欧米圏に出た人々は「欧米ではこうなの。そして私の方が欧米のことをよくわかっているのよ?」という論調でこちらをさとしにかかりがちですから。 でも今回のことはそんな文化の違いは関係ないですし、回答者の中にも欧米との文化差を知悉して回答している人もいると思いますよ。 アジアと欧米の違いをよくご存じなのであれば、なおさらなぜ、純日本人のお母様に早めに連絡をとらなかったのですかってことになりますし。 その、あなたは「仲がよくない」と仰っているお母様とのことですが・・・。 実家にしょっちゅう帰省されているらしいこと、お母様と今回のことで話をされたとのこと、これらから拝見するに、噛み合っていない部分もあるようだがごく普通の親子という印象を受けます。 私は、ピアノを捨てたと聞いて以来、父と口をきいていません。年賀の挨拶すらしていません。「仲が悪い」とはこういうことです。 質問者さんとお母様は別に仲が悪いのではないと思います。 あなたはご自分でも書いていらっしゃるとおり、「母からこうしてもらいたい。自分の望むことを、口に出さなくてもしてもらいたい。」という気持ちが非常に強い方だと思います。そして自分の思っていた反応と違う反応が返ってくると、それを自分への批判だとか無理解と受け止めがちな方のように見受けます。お姉様への対抗心と依存心も感じます。 おそらく、お母様にとってあなたは非常に「重い」子どもだったはずです。 成人したのにも関わらず、今でも甘えたがりの子どものような態度のあなたをまだ多少重いと感じていらっしゃるのではないでしょうか。 だから、その重い娘が距離的に遠い海外に住むこともあって、つい身近で重くなかった上の娘のほうに相談したのではと思います。 「なぜ一言相談してくれなかったのか。」という疑問を、お姉様には持っていらっしゃらないのですか? だって処分前にお姉様が連絡をとってくれていれば、間に合いましたよね。 それと、もしお母様が最初にあなたに相談なさっていたとしたら、それをお姉様にお伝えになりましたか? 「姉よりもずっとさわっていた、だから私のピアノ」と仰っても、お姉様だって「自分の大事なピアノ」と思っていた可能性だってあったわけです。(お姉様が実際どう思っていたかではなく、あなたご自身が、ずっと放っていたお姉様も同じように感じるのに違いない、と思えたかどうか?) 前回にも書きました通り、自分の自我とお母様とのそれをまだ上手く分離できていない。お子さまが自立されるときも大変そうですね。 補足を拝見しても、いまだに質問者さんは精神的に幼い子どものまま母親との関係を捉えており、親子であっても自立した成人同士という印象を受けません。 回答者はみな、そのあたりを疑問に感じて回答していると思いますが、あなたはそれを「必要以上に批判が多くてびっくり」と仰っておいでです。 批判ではなく、親子の精神的依存が一生続く日本人であっても、あなたの態度を疑問に思うということです。 ピアノのことは整理を着けられたとのこと、でも同じ精神構造のかぎり、別の同じ問題が起こるだけだと思いましたので、あらためて書き込みいたしました。 謝ってもらえて気が楽になれたとのことですが・・・。 あなたはいま、お母様に謝れますか? 長い間、調律費とか場所ふさいでいたのにごめんねって。
お礼
今回、Yusura様は本件のタイトルをご覧になり、偶然貴女にも同様のシナリがあったので(ピアノの処分をめぐって)「父と喧嘩している娘」として、回答にいらしたご様子。 しかし、「私の意見」とは何でしょうか? 「本題」には答えては頂けず、かじられた心理学を応用されたいのか、”精神分析”、、、一体それが私の何になるんでしょう…? 私対母、いえ姉に至るまでの Yusura様独自の”精神分析”、、、、当たっているにしろ、いないにしろ、見知らぬ相手に対し、「重い子供だった」「依存心がある」 「問題が続く」、、果てには「子供の自立の時が大変だ」等と、無謀にも負の情報を書き並べていらっしゃる。 おそらく貴女は母親ではないと思います。 お腹が痛い、という人のお腹を(頼んでいなにのに)割いて悪いものを見つけ、「あぁ、これはもっと悪くなりそうだ」とつぶやき、お腹を開けっ放しにして行ってしまわれた。 精神分析された側の心境です。 そもそも「心理学」とは何でしょう? 今の自分を深く見つめ解析し「より幸せな人生を生きるため」将来の自分、正のベクトルへ持っていくため用いられるべきではないでしょうか? 私はそう思います。 闇雲に心理学の知識を用い、貴女はご満足かもしれませんが、ある種危険な行為だとも思います。 私を最後にNet上ではお止めになった方がよろしいかと思います。 私は昔から、「努力家」と呼ばれ、向上心を持った人間です。 しかも実生活でとりあえず幸せにしているものですから。 どうぞご心配なく…。 春に3度目(過去2回でした)の帰省をしますが「元気な顔を見せて!」と言われております。 最後になりましたが、数回に渡りつまらぬ質問への投稿のお時間を割いて頂いたこと、感謝致します。
補足
再びお読みいただきありがとうございます。 >あなたはいま、お母様に謝れますか?長い間、調律費とか場所ふさいでいたのにごめんねって。 Yusura様はいかがですか? お父様にそう謝れましたか? 私の母は謝ってきた、というより「バカだね、私!」という感じでしたね。 私は「ピアノが弾けることが嬉しい」とは何度か伝えています。 調律はおそらくずーっとしてないと思います。 >もしお母様が最初にあなたに相談なさっていたとしたら、それをお姉様にお伝えになりましたか? はい。 私はその辺は緻密に連絡をするタイプです。 >「姉よりもずっとさわっていた、だから私のピアノ」と仰っても、お姉様だって「自分の大事なピアノ」と思っていた可能性だってあったわけです それは全くありません。 器用貧乏で何かを習えば何でも一通り形にはなるのですが、飽きっぽい性質なので、「私なんて、楽譜ももう読めな~い」といってアッケラカンとしています。 はっきり「また弾こうなんて全然思わない」と言っている位、興味がないです。 >早めに連絡をとらなかったのですかってことになりますし という意味がよく解らないのですが、 >「なぜ一言相談してくれなかったのか。」という疑問を、お姉様には持っていらっしゃらないのですか? 言いましたよ。 姉は「○○にも話して、とっくに知ってると思った」という返事でした。 私と母のことももう少し書きますと、母も父も非常に難しい人&変わった人で、姉にしても結婚後は一度も実家に宿泊したことがありません。 夫は勿論、義理兄も(”一般的な”親らしいところのない)私の両親を好きではありません。 海外に出て幸せを築いた私を「よく頑張った」と言っているくらいです。 帰省しても私は両親の所には行かず、姉夫婦の所にお世話になります。 ただ、「口をきかない」程険悪なわけではなく、誕生日に花束をネットで手配したり、ほどよい距離を置きながら、ある種気を遣っているつもりです。 とにかく、物心ついたころから母とはウマが合わないのです。 「○○が日本を去って解放された」と言っていたことを、姉から聞かされてもいましたし、経済的にも余裕はあまりないので、10年の海外生活の中、3回しか帰省していません。 その位距離を置いた方がお互い精神的に良いようです。 2年前に帰省した時にも、「妙な言動が多く」 Yusura様の仰る”精神構造”に戻ってしまいます。。 そうです。 私はたいへん”重荷”だったわけです。 「欧米文化」は、事実を書いたまでです。 私は幼い頃から「親の支配的な態度(もちろんこのような抽象的な表現は用いませんでしたが)」が嫌いでしたし、カウンセリングも自分の意思で頻繁に受けていました。 教育もどちらかというと「大和的なもの」でないリベラルなものを受けています。 外国人と仕事をしたり、海外に出たり、プライベートでも外国人のBFが多いです。 自分の考え方や理想は(元々)日本人と少し違っていたようで、これは友人にも姉夫婦他親戚がよく口にしていたことです。 おそらく貴女様がイメージされていらっしゃるであろう、「欧米かぶれ」というのとは違うと思います。 >精神的に幼い子どものまま母親との関係を捉えており、親子であっても自立した成人同士という印象を受けません。 それはおそらく当たっているでしょうが、 (笑) > お子さまが自立されるときも大変そうですね。 というのは、注意したいところですが、我々の歴史を知らない面識のない方から頂く言葉として、、どうでしょうね? 私はネット上で、こういった立ち入り方はしない主義です。 その辺のことは自分なりに考えております。 身近にも理解者はいますし、努力しております。 姉や義理兄は「随分成長した」、「反面教師とすればいい」と励ましてくれています。 これは距離を置いたこと、母になったことでだいぶ変わったと言われました。 母本人でさえ「(苦難に)負けずに進んでいくあなたに 頭が下がる」とも言われました。 ところで、Yusura 様にお子様はいらっしゃいますか? 実は Yusura 様から、「回答」を頂いていないので、もう一度お尋してもいいでしょうか? (母親でいらっしゃるのでしたら) 「娘が弾いていたピアノ、本人に相談せず棄てられますか?」
>「親がお金を出した」物でも、子供に与えられていれば、または子供が主に使っていたものならば、それはもう「子供のもの」です。 それならば、自分で調律の費用を払えばよかったのでは・・。 もうとっくに自立してるんですよね? 調律の費用を払い、「自分のピアノ」を常に気にかけている事が 伝わっていれば、勝手に処分される事はなかったと思います。 ピアノが弾けるようになったのは、もちろん本人の努力の賜物でしょうし、 親が子供の才能(素質)を伸ばすのは当然のことかもしれませんが、 大人になった以上、自分のものは自分で管理するのが当然のような気がします。 人の物を承諾もなしに処分した母親にももちろん非はあったでしょうが、 ここは日本ですし、母親はずっと日本で暮らしている日本人ですよね。 海外では・・なんて言ったら可哀そう。 もう許してあげたらどうでしょうか。
お礼
遅くなりましてすみません。 回答ありがとうございました。
補足
>もう許してあげたらどうでしょうか。 この件は一件落着した、ということを他の方(No.9様他)へ補足しております。 「ピアノの調律などの管理費」についてですが、そこまでコミュニケーションができなかったことが先ず「残念」でした。 (海外では・・ 云々は、まさか母には言っていません。 非難もしていません。 少なくとも、私は子供とコミュニケーションができる親でありたい、です。 ) また、「帰省」というのは、「国内に住んでい実家に帰る」と、(移民した)海外から祖国に戻り、「実家」に帰る、というのとではずいぶん違う、ということもご考慮ください。 ややノスタルジーが働いたのだろうと思います。 この質問を投稿したときは、単に「子供が使っていた(大切な)ものを、本人に相談せず、捨てられるか」というごく普通の親御さんに対する、どちらかというと、アンケート程度の気持ちでした。 母子の問題は非常にパーソナルなものです。 必要以上に批判する回答が多く、びっくりしていたところです。(saromeme様のことではありません) 私は幼少時代から、両親(特に母)にはこう接してほしい、という思いが姉よりも強く、細かいシーンを今でも憶えています。 執念深い、と取るのは自由ですが、これは感受性の問題なので仕方ないと思います。 私はそういう性格を持って生まれてしまいました。 ですから、私は自分の子供が望むこと(目に見えるものだけでなく、接し方や話し方、また表情まで)よく考え、母親の私を芯から信頼できるような、安定した情緒を持たせたいと、努力しています。 必要以上に愛情を表現するようにしています。 自分が悪いと気づけばすぐに「感情をこめて謝ります」(母はこれが全くできません) 子供に何かを買ってやり、それが今の子供と深いつながりがあるものは、相談もせず、捨てるような親にはなりたくありません。 物理的なこと、維持費等の問題が出たら、話し合いたいと思っています。 eメールもスカイプも出来る時代ですからね。 長々と失礼しました。
- Yusura
- ベストアンサー率50% (607/1207)
私にとっては、タイミングの良いご質問です。 実は、私たち姉妹が子どもの頃弾いていたピアノを、父が数年前に売り払ってしまったのです。しかも自分の趣味の高価な道具を買うために。 私も帰省の折にピアノを弾くことがすごく楽しみでした。 年1回さわれるだけでも自分の中ですごく特別に感じていました。 だから売り払ったと聞いてすごく腹を立てましたし、心にぽっかり穴があいたように感じました・・・が、 その感情は単なる身勝手な、子供っぽい陶酔に過ぎなかったのかもしれないと、この年末自分の中でひとくぎりをつけることがありました。 話がそれるようですが、以前、このサイトでとある女性の回答を読んだとき、彼我の違いをまざまざと感じたことがあります。 その方のお母様が(不倫か何かだった気がしますが)恋人と旅行に行こうとしていた時に、「いま戻ってこなければ母を見捨てるからね。」とメールしたら母が慌てて戻ってきたざまあみろといった回答だったと覚えています。 これを読んだとき、三十かそこら、もしかするとそれよりも年上、充分に大人のはずの回答者が「母親が自分の母以外の顔を見せた事に怒ったちいさな子ども」の立場を取り、それを自覚もしていないというのが私には驚きでした。 「子にとって、親はいつまでたっても親」は悪い意味でもなんだなあと。 件の回答者のメールは、「母はいつまでも自分の母でいてくれる。」「私を見捨てることなど決してしない。」「私が望むものを与えてくれる。」ことを疑いもしない、全身を預けきった子どもでなければできないことです。 一方私は母を早めに亡くして父親しかおりません。 この父は自分が「いま戻ってこなければ私は親を捨てるよ。」なんて言えば、「じゃ、好きに生きろ。バイバイ」の返答しかしない人間です。 だからもし自分がまだ親の庇護を必要とする年齢だったなら絶対に送れない内容だな、この人は私と違うと思ったのです。 けれども先日、ふいに自分も同じだったのかもしれないと思いました。 電器店に電子ピアノの展示売り場ってあるでしょう。 今までは興味はあっても素通りだったのですが、ちょっとした事情でじっくりふれる機会が年末にありました。 実際さわってみて、値段をみて、私でも買えるなと思うと、ひどく「自分は自由だ」という気がしました。 いまなら自由に、ピアノを買って手元に置くことができる、とわかったからです。 実家のピアノに固執する理由はないし、もしそこまで「実家のそのピアノ」であることが重要なのなら、私はもっとずっと前に親にひとこと言って自分で引き取ればよかったのです。姉妹にも相談して。それも私の自由でした。でも私はそうしなかった。 どこかで、「ピアノは自分の大事なものなのだから、親は私が望む通り扱ってくれなくてはいけない。」と思い込んでいたのでしょう。 ピアノ=大事、だからピアノ=私の物との思い込みから処分に腹を立てながら、ピアノを置く場所や手入れの費用は、ピアノ=実家にあったものだから、実家のもの。というダブルスタンダードを持っていたんですよね。 その根底にあるのは、親に対する甘えではないでしょうか。悪いかたちでの。 幼児期の幼児のように、自分自身の自我と親のそれとを上手く分離できていなかったのです。 「娘のピアノへの思い入の深さ」がわからないのでしょうか、と仰っても、何年もほったらかしていた、調律費も払わない、日本にいたときだって途中から電子ピアノを弾いていた・・・。 客観的にみると、「そのピアノ」への思い入れなど伝わらないですし、そのピアノはお母様の物というふうにしか見えません。 お母様からみれば、子どもに与えたとはいえ、ご自分が大金を支払って購入し、ずっと自宅において調律費も払ってきた。 子どもたちが巣立って維持費が負担になるのだからしょうがない。 下の娘は特に音楽の道に進んで恩師の話や演奏活動の話など聞かせてくれ、音楽には思い入れがあるみたい。ピアノがきっかけになったみたいで良かった。だけどこのピアノは弾かないで電子ピアノばっかり弾いてるし、もう役目を終えたのね、というところだったのではないでしょうか。 ピアノの調律費がいくらか、私も支払ったことがあるからそれがかなりの負担なのを知っています。 もし誰かが「あなたの家に私の物をずっと置いておいてね。大きさも維持費もかさむけど、あなたの負担で。」と言ったらすごく図々しいと思いませんか? 親は他人ではありません。でも、もう実家を巣立ったわけですよね。 実家を巣立つのは自立のためでしょう。 お母様と仲が悪いと仰っておいでですが、あなたはピアノ自体よりも「親が自分に与えてくれること」にすごくこだわっている気がします。 質問内容を拝見するかぎり、質問者さんは別に子どもでもないですよね? それなのに、自立した大人なら言わない、子どもみたいなことを仰っている。 ご実家を出られてどの程度になるのかわかりませんので、質問者さんがまだ二十歳そこそこの方なら申し訳ありません。 いくら自分の自由といっても、ピアノを手元に置けるような住宅は、はたちそこそこには経済的な負担が大きいでしょうから。 でも、たとえ物としての思い出のピアノはなくなっても、そもそもピアノ自体が親の与えてくれたもの。 それに、ピアノがくれたものは自分の中に持っています。 質問者さんもそうではありませんか? 年末帰省された時に弾くピアノは、もう自分の道を歩んでいらっしゃるのですからご自分で用意できると思いますし、ご実家が「自分のため」に犠牲を払うことにこだわる必要はないと思います。 親御さんがあなたに与えてくれたものは、ピアノという物ではなく、音楽そのものだと思います。 だって運命的な出会いもあったんですよね? 仲がよくないと仰ってるので、いろいろ思うところがあるのでしょうが、親から与えられたものをもう少し考えてみてはいかがでしょうか。 少なくとも、子どもが大人になって家に置いて出て行ったピアノを処分するというのは、特に子どもに対して敵意があるわけでも無理解だからでもないと思います。 あくまで自分のものを処分した、にすぎないですよ。 回答のいくつかはあなたをつきはなしているから、質問者さんには辛辣に聞こえているかもしれません。 けれども、第三者からみれば、「それだけ大事なものだというのならばなぜ、自分で引き取らなかったのか?なぜ、何も言わなくても親があなた以上に大事にしてくれると思ったのか?」というのは自然な疑問だと思います。 最後に、回答が冗長なことをお詫びします。
補足
同じ立場(ピアノを弾いている人)からの回答があれば、、と思っていた矢先、真摯な回答ありがとうございます。 また、質問を投稿した時はやや感傷的になっていました。 言い足りなかった点を書かせていただきます。 (補足1) 実はこの「事件」は一年半以上も前のことで、たまたま「帰ったらピアノを弾きたい」と言った時に、姉から聞かされたのです。 その際は非常にショックでまさに「心に穴が空いた」状態でした。 「身勝手」でしょうか? 「自分にとって思い出があるものが自分の意思の届かぬ間に消えてしまったこと」対しての感情は簡単にはぬぐえないと思います。 また、直接親を非難した覚えもありません。 単に、「一言も相談してくれなかったこと」が私には納得がいきませんでした。 これまで、母にもこの件には触れずにいましたが、今回思い切って尋ねてみると「ほんとだね。 バカだね。 後悔してる」 というような返事がありました。 だいぶ楽になれました。 (補足2) 事実を知ったとき、ピアノの師(74歳カナダ人男性・子供4人、孫X人・妻とは離婚)にも、「実家にあったピアノが相談もなく処分された」ことを話したのですが、非常に驚かれていました。「そいつぁ、ひでぇな~。 日本に帰っても練習できんじゃないか。。」って感じでした。 海外暮らしの中で、夫(欧州人)の両親も含め、親子関係にも微妙に「和」(精神的依存が一生続く)と「洋」(個人主義が強く、独立すれば本人の意思を尊重し干渉はあまりしない)があると常々感じています。 しかし、今回の例のように、「親がお金を出した」物でも、子供に与えられていれば、または子供が主に使っていたものならば、それはもう「子供のもの」です。 処分する必要が出た際、Confirmation(確認)と取るのは常識だと思います。 「親が買ってやったものだ。それを処分するかどうかは親に権利がある」といった考え方はしません。 そうした考え方をしがちなのは日系、中国系、韓国系、つまり儒教文化圏の人達です。 また、「音楽そのもの」は(神からの/或いは持って生まれた)”Gift(才能)”で、「親から貰った」とは考えないと思います。 驕って書いているわけではありません。 こんな私も一児の母で。子供はバレエや音楽(ピアノには素質を見出せなかったので別の楽器)をやっていますが、持って生まれた資質を伸ばすのは親の役目と思い、貧乏な中頑張ってレッスン費を出しています。 また、「親が習わせてやっている。 感謝しろ。」とは直接言いたくありません。 (頑張ってお金出してるから、頑張ろう、という程度です。) 子供のもの(例えば美術作品等)を無断で捨てると悲しそうにするので、よく話し合ってから処分するようにしています。 こちらこそ長々と失礼しました。
わたしは思春期の頃からピアノの音が大好きになり、 弾ける人に憧れ続けていました。 親に「ピアノを習いたい」と言い出せず、 また自分に弾けるわけもないと諦めていましたが、 社会人になって、どうしても弾いてみたいという思いで、 自分で電子ピアノを買って、習い始めました。 毎日練習して、昨日まで弾けなかった所が上手く弾けた時の嬉しさ・・。 もし子供が出来たら、絶対にピアノを習わせたいと思っていました。 わたしにとって「ピアノ」は特別な存在に思えます。 でもそんな気持ちは他のひとにはどんなに言葉を尽くしても絶対わからないでしょう。 質問者様のお母様自身はピアノを弾く事は出来るのでしょうか。 もしかして全く弾けない、音楽には興味がないという人ではないですか? もしそうなら、お母様にとってピアノはただの「音の出る機械」に 過ぎなかったのかもしれませんね。 「娘のピアノへの思い入れの深さ」が分からなかったとしても、 それは仕方ないでしょう。 「娘が弾いていたピアノ」であっても、 今弾いていないなら、 必要ないと考えてしまったんでしょうね。 ショックだったでしょうが、 親にそこまでの期待をするのは酷かもしれません。 親だから子供の気持ちを何もかも理解しろというのは。 わたし自身も同じような気持ちを母親に抱くことはあります。 何歳になってもです。 たとえば「わたしがこんなに悩んでいるのに、 どうして深刻に受け止めてくれないのだろう」とか。 わたしと母親は別に仲が悪いわけではないです。 でも別々の人間だから、物事の考え方も違えば、 価値観も違うんですよね。 なんといっても5歳からピアノを習わせてくれたご両親には 感謝して欲しいなと思います。 何年もレッスンの月謝を払い、調律をし、ピアノの維持してくれたんです。 きっと発表会などにも出ていたことでしょう。 一生の財産を得ることが出来た質問者様は幸せです。 (大人になってから習うとなかなか苦労します) 思い出の詰まったピアノはなくなってしまったかもしれませんが、 質問者様はいつでもどこでもピアノさえあれば、 自分の思うままに弾くことが出来る筈です。 悲しむ必要なんてどこにもないですよ。
お礼
質問する際、やや感傷的になっており、ごく簡単に書いてしまったようです。 もちろん「ピアノを習わせてもらって」という感謝の気持ちは何度か伝えていたつもりです。 母も「○○はピアノが好きだったもんね~」と言っていましたし。 そういう経緯もあったので、「棄てられたから悲しい!」というより、上記の流れから、どうして「私に一言もなく棄てたのだろうか」と思ったわけです。 思いやりのある回答ありがとうございます。
補足
私と母は、「常に仲が悪い」わけでなく、姉と母の関係よりも「相性が悪い」とよく感じます。
- ekopon
- ベストアンサー率10% (111/1076)
棄てたんじゃなくてタケモトピアノに電話したのだと思います。 きっと今頃見違えるようにきれいになって、 外国の誰かに嬉しそうに弾いてもらっていることでしょう。 大人なら自分のものは自分で買って自分で管理しましょう。
お礼
あの、、自分のものは自分で買っています。 電子ピアノですが、2台。。 (質問の趣旨はNo.8の方へ補足しています。) ご投稿ありがとうございます。
>日本にいた頃も実家を離れていましたし、途中で電子ピアノに切り替えてて弾いていたからでしょうか? そのときにはすでに、廃棄されたピアノは、置き去りにされている、ただ場所をとるだけの物になっていたのです。 結婚する時に持って出ないのなら、「悪いけどしばらく預かってくれる?」と、ひとこと言わなければならなかったんですよ。 必ず引き取るということも。 私は、そう簡単に捨てたとは思えないんですが。
お礼
「帰った時に弾けばいい」ということは当初言っておりました。 ずいぶん昔の話ですが。。 また、実は今回母からも連絡があり、姉の報告と少しズレている点もありました。 母もとても反省している、と直接聞いたので、少し落ち着きました。 ご投稿ありがとうございます。
『「調律など維持費も掛かるし、場所を取る」ということで母から相談を受け、やむを得ず処分した』んだからしょうがないですよね。 もし、お母さんが捨てる前に相談してきたらどうしました? 『うん、いいよ』とは答えないでしょうね。 『じゃぁ、あたしが引き取る』と返事できましたか? そのくらい『思い入れの深さ』はあったのですか? お母さんも捨てなくてすむなら捨てなかったでしょう。 現実論、調律だけだってお金はかかります。 ピアノ本体が無くても、写真や思い出は残っているはず。 それが残っていることだけでも、お母さんや家族に感謝ができるはずですよ。
お礼
>もし、お母さんが捨てる前に相談してきたらどうしました? 『うん、いいよ』とは答えないでしょうね。 そこが実は質問のポイントです。 私に一言なかったことが残念でならなかったのです。 維持費云々の理由を直接私に話して、コミュニケーションが取れていれば、まずいぶん違うと思います。 事後報告も母からではなく、姉からでしたので。 また、実は今回母からも連絡があり、姉の報告と少しズレている点もありました。 母もとても反省している、と直接聞いたので、少し落ち着きました。 ご投稿ありがとうございます。
- ntmtm1
- ベストアンサー率37% (81/218)
あなたの音楽に対する気持ちはよく分かりましたが 母親ひとりを納得させられないのに音楽で人を納得させられますか。 >母と私は、確かに仲が良くありませんでした。 この一言ですね。親子で仲が悪いというのは余程のことです。 母を大切にせず自分は大切にされたいというのは甘えですね。 ピアノが無くなったのは仕方ないことです。今までの行いの結果です。 このことを根に持たずこれを機会に母親と仲良くなるよう心がけるべきでしょう。感動を与えるミュージシャンになるためにも思いやる心を持ち人格を大きくすべきではないでしょうか。
- roshinante299
- ベストアンサー率33% (16/48)
>娘が弾いていたピアノ、棄てられますか? はい。使ってませんから。 「娘のピアノへの思い入れの深さ」より、 「調律などの維持費も掛かるし、場所を取る」の方が深刻です。 練習するピアノは、自分で用意しましょう。
お礼
>練習するピアノは、自分で用意しましょう。 はい。 練習するピアノは、自分で2台用意しています。電子ですが。。。 廃棄の理由を姉から聞いて納得はしましたが、母から直接相談があるのとないのとでは大きく違っていた筈なので、それを言いたかったのです。 質問の表現が悪かったです。 失礼しました。
補足
そもそも質問は、 娘が弾いていたピアノ、「本人に相談せずに」 棄てられますか? とするべきでした。 「 」があるのとないのとでは、私の中ではずいぶん違いますし、回答も変わってくると思います。
- carrotcake
- ベストアンサー率36% (660/1784)
うちのピアノは中古で買ったものです。 中古が流通しているということは、手放す人も多いということです。 日本の住宅事情では仕方のないことですよ。
お礼
仕方のないことは、姉からの説明で納得しました。 母が直接私に相談してくれたのとそうでないのとでは全く違う、と思ったのです。 ご投稿ありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
回答にお越しいただき、ありがとうございます。 >確かに、子供が使っていて愛着を持っているであろう物を処分するいのは、気に掛かって難しですね。 私も、そういう親でありたいです。 複数の方が「自分のものなら自分で管理すべきだ」と書いていらっしゃいますが、モノがモノですし、、。 住宅事情や距離の問題もありますから、結局は当事者で決める問題であるかと思います。 処分は両親と姉の3者で決断されたわけですが、母は姉が、姉は母が、“私に報告している”と思い込んでいた感があります。(なお実家は比較的広く場所を多く取ってもいませんでした。) 10年間の海外暮らしの中、2回しか帰省(姉のところに滞在します)していないのですが、一回目に実家を訪れた際「ママが使っていたピアノだよ」と娘に見せました。 その頃は育児でピアノを弾く時間は限られていましたが、2回目に帰った時は名の有るジャズピアニストについて、ピアノ・ライフが返り咲いた直後でした。 それをeメールでも、電話でも、また帰省中にも興奮気味に話していた経緯もあるので、次回3月の帰省が決まった時に知った“処分事実“に対して「え!? 何故?」と思うのは自然な感情ではないでしょうか。 もう諦めています。 が、海外から「兄弟は居るのだけれど、親が既に居ないので、帰るところがない」と感じるように、「今の私の原点であるピアノがそこに無い」という寂しい気持ちを表現したかったのです。 そういったノスタルジーを含む感情はおそらくどなたにも伝わっていなかったように感じます。 >子を産んだ母親は、子に対する無償の愛:慈愛を持っています。そうでなければ、生まれてきた子が育つを訳はありません。そして、親が子を思う気持ちは、生涯変る事はないのではないでしょうか。経験から、そう思います。 素晴らしいお言葉をありがとうございます。 これからも日々努力し、向上していきたいと思います。 ――――――― 母に対しては「気になってしょうがない」のというのはちょっと違いと思います。「マザコン」と称しましょうか、、(笑)但し本来の用語はMother's boyで母に愛着・執着する男性に用いるものだそうで、私の場合は「母親に対する複雑な感情(feeling-toned complex)」の辺りかと思います。 独身の頃、「好きな男性が怪我をしている。助けたいが母が隣に立って観察している。」 当時の「母と私」をよく現している怖~い夢を見たことがあります。