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ハンディを抱え挑戦した学生スポーツを引退、後悔
現在、大学四年で来年卒業をひかえている男です。(片目に障害を持っています) 自分でも甘ったれた相談だとはわかっています。 また長文ですが、人生経験豊富な方、またそのような方でもなくても是非回答をよろしくお願いします。 先日、大学で最も打ち込んだスポーツチームを引退したのですが、それ以降元気が出ず、人と顔を合わる気分にもなれません。 そのスポーツでは引退まで、自分の納得いくプレーができずに引退試合となってしまいました。(試合はリーグの最初はスタートからでてたのですが、プレーが悪いため途中で変えられ、最後のほうはあまりでれませんでした。)ちなみに僕の同期では最終的にはスタートからはずされたのは僕だけでした。引退の後も、コーチに「もっとプレーで頑張って欲しかった」と言われてしまいました。 もちろん、実際に実力が足らなかったのは事実であり、これは受け止めなければならない事実であるという事はわかっています。 ・・・・そしてここからが本題なのですが、 僕は高校時代の怪我の後遺症が原因で片目があまり見えません。 正直、スポーツを始める上でこの後遺症それなりのハンディ(遠近感、視野等)がありました。しかし、私はこの事をチームメイトや監督コーチ含め、誰にも言っていません。理由はこの事をできない自分に対する言い訳にしたくなかったからです。 怪我をした当初は目を言い訳にただ無気力に生活をしていた時期もあったのですが、当時の自分には絶対に戻りたくありませんでした。またこの後遺症は最初はかなり苦しめられたのですが、一度大学受験の成功をきっかけに乗り越え、これが僕の大学生活の自身に繋がっていました。ハンディがありながらこのスポーツのやる事に決めたのも、この経験があったからです。 そんな状況でのスタートだった事もあり、僕は大学四年間このスポーツは自主練習も人一倍したし、誰よりも努力してきたつもりでした。しかし、最終的には納得できず、実際チームの成績は良いカタチで終わる事ができたのですが、最後の引退試合後、僕は心から喜ぶ事ができませんでした。 正直に、自分自身反省すべき点は沢山あったと思います。日々の練習の全てに集中できていたかと言えばそうでないし、もっと練習を重ねる事も、考えて練習する事もできた。後遺症なんて関係なしに、単純に努力や工夫が足りなかったんだと思います。 ただ、今チームを引退して、結果として後悔が残り、非常に複雑な心境になってしまいました。 まず、「誰かに後遺症の事を言っても良かったのでは」、また「ハンディがありながらも頑張った自分を評価して欲しい」と思う自分がいます。 この四年間の結果をふまえて、自分に能力がない、努力が足りなかったとチームメイトや監督コーチに思われる事が悔しくてたまりません。「俺はこんなに厳しい状況なのにやりぬいた」と考え、またそれを他人に認めさせたい自分がいます。 怪我を負ってから約五年間、どんなに辛い状況でも、ハンディから逃げずに向き合い、それを乗り越える事で自分への絶対的な自信にしてきました。本当に辛い状況を経験し、その後も努力をし結果をだした(受験、就職活動等)こともあり変にプライドが高まり、自意識過剰になっていた部分もあるのかもしれません。 また、一人で気張らずに、もっとチームメイトに心を開いて相談すれば良かったとも考えてしまいます。ただ僕は意地を張っていただけで、チームメイトと腹をわる事ができなかっただけではないかと、寂しい気持ちもあります。 また、高校時代もこの怪我が原因で当時熱中していたスポーツ(大学生活のとは別のもの)を続けられくなった事もあり、スポーツに特別な執着心をもっていました。来年から社会人で、スポーツだけに真剣に打ち込む事もできないと思いますし、学生生活最後の引退試合というのは僕にって特別な意味を持つものでした。チームのみんなと喜びを共有し、嬉し涙を流したかったのです。 ましてや社会人になるともう二度とそのような感動を味わう事ができないのではないかと(これは杞憂かもしれませんが)思うと、本当にやるせない気持ちになります。 このような事を考えてしまい、今は昔のように自分自身に対してなかなか自信がもてずにいます。 今まではどんな事があっても、辛い状況を乗り越える事が将来の糧になると考え頑張る事ができたのですが、しばらく無気力状態が続いてしまっています(卒論等、やることは沢山あるのに)。今後もそのスポーツチームでのOB交流戦や、懇親会等があるのですが、皆に顔をあわせたくありません。 また来年から社会人ということで私の一度しかない青春時代(学生時代だけが青春かはわかりませんが)を台無しにしてしまったのではないかと嘆いてしまう自分がいます。 頭の中では今の自分は悲観的になりすぎているのは理解できているのですが、どうしても激しく動く感情が抑えられません。おそらく、もう「学生」、というフィールドやり直しが聞かない事が一番の原因だと思います。 今までも辛い時期はありましたが、「再挑戦」、「リベンジ」を考える事でモチベーションに変えてきました。もちろん、今回の反省は社会に出ても活かすつもり(絶対に)ですが、やはりもう二度と戻らない学生生活を考えると、非常に後味が悪く思えてしまいます。 自分で書いていても甘ったれているのは理解していますし、「あの経験も良い経験だった」と言える大人にならなくてはいけないのもわかってます。ただ今は高校時代の事も思い出してしまったり、色々考えてしまい、気が動転してしまっています。悲観的な気持ちから抜け出せません。 ちょっとした意見やアドバイス、体験談、また。こんな僕に対する「喝」でも今の僕には非常にありがたいので、どなたかご返答よろしくお願いします。また数も多ければ多いほど嬉しいので、小さいな意見でもいいので、みなさんよろしくお願いします。
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- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
小さな意見でも良い、ということなので、少しだけね。 考え方とか、そういうことはもう既出だと思うので。 アドバイスというか、これからのことを。 これからまだまだ長い人生を過ごしていくわけですが、その中で「ああ、そんなこともあったなぁ」という瞬間が何度か訪れるはずです。 何かのきっかけで記憶が繋がる…そのときに、その瞬間が「幸福感で包まれたもの」でありたいと思うのです。 手ひどい失恋をして「もう二度と恋なんかするか!!」と思っていても、いつしかその傷を治す方法を知っている人が現れたり…偶然、というものを受け入れていくことで、救われることは案外と多いものです。 ですから、楽しく毎日を過ごせるように。 楽しく過ごすということに、確たる方法はありませんが、コツとしては「おもいつき」を大事にして欲しいですね。 下らない事でも、自分が面白そうだと思うならばやってみる。 それが何かに繋がって、自分で体験したことがない「場所」に連れて行くきっかけとなる。 「丸」を目指さないでください。 凸凹があるのが人間の真正の姿であります。 凸凹があるからこそ、人と人は触れ合える。 球体であるならば、そこに「とっかかり」は見つからないから。 凹んだり、脹らんだりするからこそ、触れたくなる、確かめたくなる。 人間とは、そういう生き物です。 目を閉じて。 目を閉じたなら、両目も片目も関係ないよ?。 目を閉じたままで、心を開けば…我々は遥かに広い世界を視ることが出来るんだから。 それが「ヒト」の最大性能さ。
- mimazoku_2
- ベストアンサー率20% (1905/9108)
「お礼」読ませていただきました。 自分から「障害」について語るのは、勇気が必要です。 しかし、相手も「何故?(知りたい)」という気持ちを抑えています。 だから、あえて自分が一歩を踏み出し、「さらけ出す」のです。 すると、相手は、一度に理解できなくても、少しづつ理解してくれます。 それにより、友情が生まれ、友人達はその部分をカバーしてくれます。 「私はココまで出来ますが、足らないところは素直に助けて」と言えば、友人達も「出番だ!」と助けてくれます。 私も最初の内は、そうでした。 でも、冗談をしゃべるように「あっけらかん」としゃべってしまうと、相手方はすぐに理解してくれます。 そう言うことが出来ると、社会に出た際の「打たれ強さ」に跳ね返って、あなた自身を強くします。 まずは、現在の周囲の人に話してみることです。 きっとその友人達も「どうして?」という疑問が、一気に解消され、より親密な付き合いに変わると思いますよ。 私の場合、近所のおばちゃん達にも話しているので、よく挨拶しますよ。(結構いいもんですよ。)
お礼
二度目の投稿、ありがとうございます。 そうですよね。僕もなかなか自分の事に対して「語る」勇気がありません。 それを言ったら相手がどう思うか考えてしまうと中々いえません。 年配の方やある程度人生経験を重ねた方だと割りと言いやすいのですが、 特に同年代だと「相手も対応に困ってしまうんじゃないか」と考えてしまったりするんですよね。 「言い訳に思われたくない」なんて気持ちもあります。 もう僕もこの状況になってから長いので、基本的に自分自身の中では処理できています。 だから自分の中ではもう乗り越えたつもりだったんですが、「人との関わり」という点ではまだ整理できてなかったみたいですね。 今回こうしてここに書き出し、他の方から意見を貰う事で気付きました。 これからはちょっとずつ「人に伝える」努力もしていきたいと思います。 それが甘えにならないようにとか、バランスは難しいかもしれませんが、また自分なりに考えていきたいと思います。 二度も親切なご回答ありがとうございました!
- mimazoku_2
- ベストアンサー率20% (1905/9108)
こんばんわ。 あなたの気持ち、よく分かります。 私自身、17歳で交通事故に遭うまで、健常者でした。 事故以降、私の右腕は全ての機能を失い、2級の重度身体障害者になりました。 最初の4~5年は、もがきましたけど、社会に対応しなければなりません。 職業訓練校、身体障害者援護施設などに入所し、就職も決まり、社会復帰をしました。 あまつさえ、転職もし、結婚、子作り、離婚、抑うつ神経症にもなり、休職も1年半を経過し、継続中です。 障害は隠すよりも、公にして、周囲の人に知ってもらう事が大切です。 その上で、健常者と同じ土俵で戦う必要があります。 こんな私ですが、車の免許も取りました、運転は悪友の協力があり、ミッション車で覚えました。(今はそんなことしてないよ。) スキーもします、卓球もやっていました(リハビリでね)、野球もやります、自転車だって、コーナーを攻めます。(今はやっていないが・・) 障害を自分の欠点と感じるでしょうが、数年経てば、見えないものが見えてきます。 まずは、自分と向き合い、周囲の人達に話しましょう、それで貴方の周りは、変わってきます。 そして、他人の「視野」を借りることで、自分の視野が広がります。
お礼
「公にして、周囲の人に知ってもらう事が大切」ですね。 僕の場合はminazoku2さんに比べれば、全然軽いものです。最初は今の見え方に慣れるまでは苦労しましたが、スポーツのような特別な状況を除けば、日常生活はなんら問題はありません。(車の運転も最初は苦労しましたが) minazoku2さんのような経験をしてきた方の言葉は、僕にとっては非常勇気付けられる言葉です。 僕の悩みなんて本当にちっぽけなものだと思いしらされます。 自分と向き合い、周囲の人たち話すこと。これは僕にとって大きな課題です。 言わないでも何とかできてしまう分、気張って尖ってしまうんですよね。それで変なプライドばっかり高くなる。 これからもっと周囲にも自分にも素直になれるように、少しずつ頑張っていきたいと思います。
補足
(全体の補足の場所がわからないので、一番最新の回答の補足に書かせて頂きます) みなさん。回答ありがとうございます。 こうやって自分の思いを込めた文章を書き出し、それに対して客観的な意見を貰うことは、色々な事に気付かされます。おかげて少しだけ気持ちも楽になってきました。 思い切って書き込んでみてよかったです。 できればもっと、もっと色々な方の意見、アドバイスを聞きたいです。 できるならば10人くらいの意見が聞きたいなと思っています(同じ方の二回目でも嬉しいです) そのためまだまだ回答は募集したいと思います。 みなさま、どうぞよろしくお願いします。
こんばんは。 「ハンディを隠す」 ⇒ 「頑張ってないような言われ方をする」 ⇒ 「自分としては頑張ってるのに」、初めから分かっていたことですよね。「ハンディを明かす」 ⇒ 「言い訳してるように思われる」 ⇒ 「言い訳のつもりはないのに」、やっぱ、どっちに転んでも負の効果がある訳で、それを選んだのは貴方な訳で…。 体育会系の出身ですが、OB会に行ったことがありません。行きたい人だけ、行けばよろしい。 スポーツって、根性焼きじゃあるまいし、楽しめばいいんですよ、結局。 人生は何でもありです。後悔しちゃいけないって、誰が決めたのですか。チームメイトは一生の友達になるって、誰が決めるのですか。4年間が無駄だったとしても、絶対それを活かさないといけないって、誰が決めたのですか。無駄になったものは捨てておけばよろしい。リサイクルに回す手間をかけなくてもよろしい。
お礼
そうですよね。人生って何でもありですよね。 何故だかわからないのですが、僕は「親友といえば学生時代の友人」という勝手なイメージがあります。 社会にでてからは利害関係がでてくるから難しいってよく聞くのですが、だからってそれは絶対じゃありませんしね。 僕は四年間が「無駄」だったとまで割り切れるかはわかりませんが、将来に絶対に活かさなければならないと変に気をはることはやめようと思います。 回答ありがとうございました。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20252/40150)
良かったじゃない? こうして卒業前に書き込めただけでも。 これだけでもかなりの貴方の整理になっている。 書き終わった「後」の貴方は。 どこかで風通しが変わっている自分を感じているんじゃない? 気持ちをこめて自分自身を辿ってみる経験は。 今の4年という節目を控えた時期だからこそ「出来る」事。 貴方もわかっているんだよ。 じゃあ今何が出来るんだ?と。 答えは何も出来ないんだよ。 貴方は貴方として既に「走破」した後だから。 今思えば・・という部分は。 走り終えた「後」だからこそ思える事。 ハンデの事を伏せる選択も。 誰に頼まれた訳でも無く、貴方「自身」が選んだ事だから。 納得がいくプレーが出来ればそれはそれで爽快だけど。 納得がいくプレーが出来たら「いいな」と。 そういう気持ちで走り続けた4年でもあった訳でしょ? その納得の中身を。 貴方は自分自身で、という部分に「限定」していた。 敢えて周りにも相談しなかった。 実は出来なかった。 一人で気張りやすいのも貴方のそのもの。 この4年は貴方に対して特別な時間として残っていく。 同時に、 こうして今の貴方が抱えているモヤモヤもまた残っていく。 それは悪い意味での残りではなくて、 貴方自身に必要な「気づき」として。「課題」として。 単に学生自体は今しかないから、という問題に限らず。 あの時こうしていれば、ああしていればと。 それを「今」言っても始まらないよと。 そういう状況って今後貴方が社会人として進んでいく中で 沢山沢山あるんだよね? 周りに言い訳しているようで、 結局自分に言い分けしている。 そして、言い訳し続けても。 その自分をケアするのもまた「貴方自身」なんだよね? 貴方は部活動を通して、 自分自身の「課題」を発見出来たんだと思う。 ハンデの部分を言い訳にせずに進んだ志は高いよ。 自ら「挑戦」と捉えている。 思うようにいかない事も想定してのスタートだった筈。 今の自分として出来る事をやりたい。やり切りたい。 最初はそうだった。 でも、貴方は部活動を続けていく、積み重ねていくうちに。 パフォーマンスの充実や中身や評価に対しても 求めていきたい「欲」が出てきた。 別に悪い欲じゃない。 ただ、その「欲」に対しても丁寧に向き合おうとするなら。 それこそ貴方の目のハンデも含めて、 もっと周りと強調して、理解のある足場を創って。 不安定になりやすい自分自身の心の風通しも良くして。 その上で自分の進めるフィールドを広げていけば良かった。 柔軟性が必要だった。 でも、貴方は最初からのスタンスに拘ったんだよね? 貴方は硬かった。柔軟性が無かった。 頑張る事も大事だけど、 活動「自体」を楽しむ事、 それこそ悔いの無いように活動していく事。 自分が今出来る事を丁寧に考えていく事。 貴方に必要だった部分。 でも貴方は、 敢えて何も「変えない」プロセスを「選んだ」。 選んだ貴方が走破した後に感じた気持ちは。 どこかで別のやり方があったんじゃないか? 自分自身の向き合い方に工夫が必要だったんじゃないか? 最後の思うように腑に落とせない感覚に対して。 貴方は後から色々な理由を付けて。 自分なりに懸命に懸命に腑に収めようとしている。 でも上手く落とせなくなっている。 それはそれで貴方のプロセス。 別に構わない。 貴方なりの整理だから。 ただね、貴方の場合は中身は違えど。 高校でも似たような挫折を経ている。 だからこそ大学でも~という気持ちがあったにも関わらず。 結果的には似たような「残照」を感じている。 それが今の貴方の「キツさ」なんじゃない? それって簡単にわかるよ、なんて言えないよ。 貴方にしかわからない事。 貴方は言われなくても自分なりに意志を持って動いている。 ただね、 今だからこそ言える事があるんだとしたら。 高校自体にも不本意な形で活動を断念した経験が「ある」貴方なら。 大学での活動に対しては。 自分自身のハードルを下げて、 素直にハンデの事も理解ある中身には共有してもらって。 もっと穏やかな気持ちで活動に向き合って行けば良かったんだと思う。 その積み重ねこそ。 実は貴方なりの「納得」だった筈なんだよね? 気持ち良くやり切る経験。 自分なりの挑戦に対する納得。 ただ、貴方はそういうスタンスを意志を持って選ばなかった。 敢えて同じ条件でキツさも含めて挑戦する事を選んだ。 選んでいるんだよ、貴方は。 選んだ結果はやっぱり受け止めていく必要がある。 まだ大学生活は残っている。 残りの大学生活の中で整理していく。 今日明日中の課題じゃない。 今すぐする必要も無い。 ただ、貴方にとってはしっかり受け止めて進んでいく必要がある部分。 今後の社会人生活で「ブレない」為にもね。 貴方はわかっているんだよ。 わかっている自分に対して、 わかってしまう事で過去になってしまう事に 逆らおうとするもう一人の自分が居る。 その葛藤なんだと思う、今はね。 今は葛藤でも、いずれ折り合うよ。 それも貴方だから。 貴方の敵では無いから。 もう一人の貴方だから。 ゆっくり折り合っていけばいい。 大切な貴方の人生なんだからね☆
お礼
びっくりしました。読んでて涙がでてきてしまいました。 僕は結局弱かったんだと思います。「言わない」んじゃなくて、「言えない」だったんですね。 僕は一見人当たりが良くみられるのですが、実際は変なところでプライドが高いところがあります。(怪我をしてから特に) 今回も正直、他の選手に対して「(自分と違って)たいした苦労もせずに上手くなって、調子にのるな」「一番頑張ってるのは俺だ」という気持ちが少なからずありました。だから上手い選手に教えを請うような事もあまりできなかった。そのような選手の悪いところばかりに目がいき、上手くコミュニケーションを取ろうとしなかった。仲間を認めようとしなかった。プライドが邪魔をして。 だから、最後にチーム全体の功績も心から喜べなかったんですね。 せめて、信頼できそうな仲間にだけでも相談しておくべきだったのかもしれません。 高校のときは、それこそ部活は途中退部だったんですが、同期に理解してくる友人はいたんですよ。(その友人は、僕の中では大事な友達です) 僕の大学のチームの同期はみなプライドが高く、全体としてあまり馴れ合うような事はせず衝突ばかりしていたため、あまり積極的に悩みをぶつけることもできませんでした。(これもただの言い訳なんですが) blazinさんの言うとおり、今回こうして振り返った事で一つ「課題」が見つかった気がします。 またそのことで、少し気持ちが楽になった気もします。 大きな「葛藤」を乗り越えた経験は、高校時代もありました。 今回もまだ葛藤は続くと思いますが、残りの大学生活でしっかり整理していきたいと思います。 回答ありがとうございました。
- flower-p
- ベストアンサー率22% (40/174)
相談者さまの文章を読んでとても感動してしまいました。 ハンディを抱えながら、大学受験を勝ち取り、またスポーツにも 一生懸命に挑戦されて本当にすごいなぁと思いました。 私でも多分ですが、言わないでスポーツチームに入ると思います。 言わないで入る人と、言って入る人と人それぞれだと思います。 どちらが正しいかなんて答えも無いと思います。 そして本当の事を言っていたらもっと打ち解けられたんじゃない かなぁって後悔される気持ちもとても良くわかります。 私だったらと言う意見しか言えないですが、 私だったら、その後の付き合いを大切にします。 大学時代の友達って一生ものだと思います。例え大学4年間の 間に認めて貰えなかったとしても、これからまだまだチャンスが たくさんあります。OB会に参加したり、チームメイトと合ったりして 本当の事を話していったら良いと思います。 ハンディがあること、それを隠して辛かった事、コーチに怒られて 悔しかった事、、、ありのままの気持ちをチームメイトにぶつけて 行ったら良いと思います。引退したら、チームメイトではなく友人に なるし、これからは友情を育んでいかれてはどうでしょうか。 誰でも、きっとそんな辛い思いをして頑張っていたんだ。 話せなくて辛かっただろうにって、心から思うと思います。私でも 思います。そうやってお互いを知っていくことから友情は育まれると 思うので、相談者さまはきっとかけがえないのない友人が出来るのでは ないでしょうか。大学4年間の活躍より、一生苦楽を共に出来る友人が 出来たら4年間以上に楽しい人生になるのではないでしょうか。 これからいくらでも心を開いていけるし、みんなわかってくれると私は思います。
お礼
チームメイト、仲間はとても大事ですよね。 元々うちのチームの僕達の代はプライドが高い選手も多く、そのぶん衝突も多い代で、あまり馴れ合うような事はしてきませんでした。お互いの批判も多かったですし。 それが皆で四年間を負え、最後に引退を迎えれば自然と認め合えあう事ができるのだろうと勝手に思ってました。 でもやっぱり、そう簡単にはいきませんね。もっと別の面で歩み寄る努力も必要だったんだと思います。 この先、チームメイトとはどんな関係になるかはわかりません。チームメイトにも色々な人がいますし、私は来年から社会人、今住んでるところを離れる可能性もありあます(海外なんて事もありえます)。 それでも、できる限りOB会等に参加したり、飲みに誘ったり、自分から歩み寄る努力はしてきたいと思います。人間関係ってそういう努力も必要なんですね。 僕は変なところでプライドが高く、自分から歩み寄るのが苦手です。恋愛も似たような理由で苦手ですし(笑) 難しいですね、人間関係って。 回答ありがとうございました!
お礼
回答ありがとうございます。 「おもいつき」ですね。 僕も高校時代に怪我をして以来、できない理由は考えないでなるべく何でもチャレンジする事にしてます。 やらないままにしておくのはもったいないですもんね。 凹凸でも良いってすごくいい言葉です。 そりゃ長い人生失敗もあるし、歪んだ感情を持っている自分がいてもおかしくはないですよね。 凹みっぱなし、歪みっぱなしは駄目ですけど、そんな自分を受け入れる強さも持ちたいと思います。 回答、ありがとうございました!
補足
皆さん、回答ありがとうございます。 また、まとめて補足、皆さんへのお礼を一度を書かせていただきます。 高校時代に怪我を負った最初の頃は、僕も本当に苦しみました。今も悩み、ここに書き込んではいますが、当時は今よりもずっとずっと悩みました。毎晩泣いてましたし、まともに立ち直るのに一年以上かかりました。 そしてそんな経験乗り越え、一つこれから大切にしようと考えた事は「言い訳しないでチャレンジする」ことです。 最初は目の後遺症を言い訳に逃げてばっかりだったので。それで家に引きこもったり、学校サボって町をぶらついたりしていました。そんな毎日は本当に苦痛で自分が嫌いになるばかり。だから僕は当時目前にあった大学受験に専念しました。弱くなった自分を乗り越えるため、必死に勉強しました。その結果、学校の先生や親も驚くくらい成績があがり、それなりに誇れるような大学に通える事になりました。(卒業する時、先生は泣いてました)。そして、その経験が、それが今までの自信でした。 そして大学生になり、「言い訳しないでチャレンジする」という精神を胸に今回のスポーツを始めました。終わってみて、最後がうまくいかなくて、それが全部台無しになった気がました。 よくよくなって考えてみれば、そんな事はないですよね。 皆さんからの回答を見て、僕も数日前よりだいぶ冷静に考えられるようになりました。 なんとなく気持ちを吐き出したくてここに書き込んだのですが、本当書き込んでみてよかったです。 皆さんの意見は本当に勉強になるし、前向きに考えるヒントになるので、回答はまだまだ募集させてください。(どのくらいの方が見ているかはわかりませんが) よろしくお願いします!