宗教者の方の、信仰とは
宗教熱心な友人と話をしていて、不思議に思ったことがあります。
私はわりと無宗教で、クリスマスにもお正月にも特に興味がない方です。
お寺を廻ったりするのは好きですが、庭が綺麗で空気が澄んでいるからとかそういう理由です。
食物は、もとは生きていたものなので、残さないように、感謝して頂く...くらいでしょうか。
生きていることに関しては、色々あって自殺未遂もしましたが(プロテスタント系の学校で暗いお説教ばかり毎日聞いていて気分がうつうつしたり、いじめにあっても全員クリスチャンの先生なのに全然助けてくれなかったりして鬱病を発症したので、宗教嫌いな面もあるのかも・・・)、
今は寿命まで生きたいと思いますし、きっと何かのご縁があって今生きているのだろうと思っています。
悩んでたくさんの本を読みましたが、もしその本の内容を「ぜんぜん面白くない」と言われても、「ああそうかー、この人には合わないんだな」くらいにしか思わないと思います。
なので
「自分の信仰している宗教を侮辱されると自分が侮辱されているようにつらい」
とか
「信仰しているものがないのによく生きていられるなあと思う」
という友人の気持ちが不思議でなりません。
もしその宗教団体が空中分解したらどうなってしまうんだろう・・・と思ったり。まあ大きな団体なので絶対ないとは思いますが。
私は出来ればたくさんの意見を取り入れて自分を作っていきたいのですが、
彼女は既にひとつの教えに沿って生きているので、どうしても齟齬が生まれてしまいます。
でも仲のいい友人だからこれからも付き合っていきたいですし、
純粋に、
信仰とは自分である
信仰とは生きる理由である
という考え方のもとが知りたいです(さすがにそこまで突っ込んで聞けないので・・・)。
レスはゆっくりになるかもしれませんが必ずさせていただきますので、
どの宗教でも構いませんので、信仰されている方の心の内をお教えいただけたら嬉しいです。