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自分の作品って可愛い。

世に時めく趣味は数多く、こちらにも色々な趣味をお持ちの方が集っておられると思います。 スポーツ系などはそうでもないかと思いますが、創作系の趣味の場合、自分の「作品」が生まれますよね。ある意味「我が子」でありますので、愛着が湧くのは仕方のないことですが、その親ばかのせいで自分の作品の評価が正当に出来ません。 見る目を養っていい物を見抜くことが出来るようになれば、親の情にひかれることも少なくなっていくでしょうが、なかなか道は遠そうです。 そこで質問です。 自分の我が子を贔屓目で見ずに済むコツというか、心構えってあるでしょうか? 趣味の分野を限定せず、何事にも通じるような普遍的なものを捜しています。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hirakawa
  • ベストアンサー率27% (509/1821)
回答No.5

また出てきました。hirakawaです >プロの方って、自分の作品の欠点はどう見るんですか?欠点があるのはわかるけどこれは可愛くて捨てられない、ということがあります? そりゃぁありますよ(笑) でも、他人には見せられません。 >わたしの場合、具体的には「ちょっとピンぼけだけど、被写体がすごくわたしらしくヘンで愛着があるので捨てられない」……極端に言えばこういう風に考えてしまいます。 ちょっとピンぼけは、致命的な欠陥ですよ。 どこか一ヶ所(しかも、その部分はその写真のメインになります。)、しっかりとピントが合っていなければ、作品として成り立ちません。 失敗は許されませんから、プロは一つの被写体にフィルムを何本も使うんです。 >しかしピンボケって(意図して撮った場合もあるかもしれないけど)基本は許されざる失敗ですよね? 写真がクリアーに写っていない原因には、ピンぼけのほかにブレ(手ブレ、シャッターブレ)があります。 >ピンボケでも味があるといえる程度かな?と思ってしまう辺りが親心というか、未練なんですよね~。 一ヶ所のピントの合った所があったらボケは生きてきます。全体的にぼやけている写真は、ピンぼけではなく、手ブレでしょうね。意識的ではない場合葉、評価の対象外です。 三脚などでカメラを固定すると良いですよ。 >上達するにしたがって、こういう葛藤は少なくなっていくものだと思っているのですが、どうなんでしょうね。 わたしは他人に厳しいので、自分にそういう未練で行動させたくないのですが……恩愛の情は難しい。 プロの考え方で恐縮ですが、一番大切なことは、お金をもらうことが出来るかどうかです。私はリタイアしましたが、プロのアーティストは、どなたも、完璧を求めています。自分の作品を、客観的に見る目を養う努力をしています。 私が写真大学時代に教授でプロの写真家に教えてもらった方法ですが、色々な分野に応用出来ると思いますので、披露します。 一つの被写体を300枚撮影したとする。 全てをキャビネ(写真のサイズ)でプリントする。 全てを壁に貼る。 ボケ、ブレのある物は無条件に外す。 残った物を毎日見て、気に食わない物を外す。 これを繰り返して、貼ってある写真が1~2枚になるまで続ける。 これこそが、君の作品だ!

alchera
質問者

お礼

やっぱり欠点がある作品は、他人さまに見せない方がいいんでしょうかっ?でもそうすると見せられる作品がないなあ……(^_^;)。 うーんうーん、ピンボケはピンボケなんです。 被写体は苔(美しい苔じゃなくがちゃがちゃした苔)と蔦が付いている木の幹なのですが、本当にピントを合わせたかったのは中央やや左下の小さな葉っぱ。でもピントは偶然木の皮に(多分)合ってます。 被写界深度はもう少し深くしたかった……。(が、暗かったのでできなかった……) 広角のマクロで撮った写真だったと思います。←メモを取れ。 曇天の夕方、林の中、しかも三脚ナシ(^_^;)←三脚使え。 実は「何を撮っているのかわからない系」かもしれません。 でもいろんな緑がアヤシゲに連なっているところとか、夕方の林のじっとり感とかが気に入っていて「こういうのは駄目なのか?」と思うんです。この辺が葛藤です。 そういえば、ある意味でプロの基準は単純でしたね。「相手が納得すること」ですもの。 葛藤は単なるアマチュアだからこそのものなのかも。(わたしはスナップ写真の域を出ない写真撮りで……(^_^;)) 300枚から選ぶのは納得!の方法です。それでわたしも6枚の中から選べる筈なんですけど、「この写真はここが可愛い」「こっちはあれが」……などと思い出すのでなかなか(T_T)。 そして……見慣れると最初よりよく見えたりしませんか?(^_^;)やっぱりこれが親ばかなんだろうなー……。 デスクトップの壁紙を写真にしていると、ダメなものは飽きますね。でも……飽きないものは本当にいいのか?と考えると自信ない気もするし。 質問とは別な方向に展開してしまいましたが、今まさに写真のことで悩んでいたので、つい書いてしまいました。 再度のご登場ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • hirakawa
  • ベストアンサー率27% (509/1821)
回答No.4

随分前に、プロの写真家でした。 自分の作品は、やっぱり可愛いですよ。 まだ学校に通っているころ、先生(教授で、プロの写真家)が、講義でこんなことを言っていました。 【作品と言うものは、自分の心とか、技術の排泄物なんですよ。平たく言うと、作品は、う〇こと同じなのだから、もっと良い物を作らなければならないのです。】 その作品が良いか悪いかは、他人が決めるものだと思います。その作品が出来る過程は、作品を見る人には一切興味が無く、作品そのものに対して評価すると思います

alchera
質問者

お礼

プロの方って、自分の作品の欠点はどう見るんですか?欠点があるのはわかるけどこれは可愛くて捨てられない、ということがあります? わたしの場合、具体的には「ちょっとピンぼけだけど、被写体がすごくわたしらしくヘンで愛着があるので捨てられない」……極端に言えばこういう風に考えてしまいます。 しかしピンボケって(意図して撮った場合もあるかもしれないけど)基本は許されざる失敗ですよね? ピンボケでも味があるといえる程度かな?と思ってしまう辺りが親心というか、未練なんですよね~。 上達するにしたがって、こういう葛藤は少なくなっていくものだと思っているのですが、どうなんでしょうね。 わたしは他人に厳しいので、自分にそういう未練で行動させたくないのですが……恩愛の情は難しい。 ご回答ありがとうございました。

  • las8ty
  • ベストアンサー率34% (35/102)
回答No.3

どうもです。 まず、回答です >~心構えってあるでしょうか 客観的な評価を決めることだと思います。自分以外の人や大抵(普通)の人はどういうところで作品を評価するのかを考え、それに基づいて評価すれば正当に評価されると思います。  自分やその世界(分野)で良い言われる作品と自分の作品を比べてみて評価してみるのも良い思います。  良い物かどうか見抜くならその世界(分野)のものを見てくのが良いと思います。自分が作品に評価するのは自分が今まで見てきたもの、感じてきたもの の中と比べることでしか評価できないと思います。実際に贋作を作ってみるのも良いと思います。簡単には真似できないのならその作品は奥が深いというものですし、体験することによってその作品の作者の気持ちが少しは解るかもしれません。 ************************* アドバイスです。かなり蛇足なので余力があれば読んでください。 自分が考えて作った作品は自分の色(特色・特徴)がでると思います。 設計図や写真のようにあるものをただ作った・撮ったものはなかなか自分の色(特色・特徴)がでないと思います。 技術などで勝負する作品はどれだけすごい・難しい技術を使ったで良し悪しが決まりますが、 心で感じる作品は感性の共感でしか判断できないと思います。例えば「タイタニック」という映画を観たときにその映画にものすごく心が共感して悲しいや嬉しい、カッコイイと思ったら「すごい良い映画(作品)だったよ」と 思うと思います。逆にある映画を見て何にも感じなかった、不快に思ったなら「つまらなかった、不快だった」でその映画(作品)の評価は決まると思います。 自分が作った作品が心で評価されるものなら自分の作った作品が自分は良いと思ったらそれで良いと思います。 それに共感してくれる人がいればなおさらうれしいですけどね。 実際には技術と心の2つが絡み合っているので判断が難しいですけどね。 自分の作った作品で名誉や名声、地位が欲しいのならコンクールなどに受ける作品を作れば良いと思います。このときにある程度の客観的評価が必要になってくるときもあると思います。 本当の真の評価ができるようにこれからがんばってください。

alchera
質問者

お礼

うーんうーんうーん……。 ご回答ありがとうございました。

回答No.2

我が子可愛いです(笑) これって、どうしようもないのではないかなぁ。我が子の可愛さは、誰がなんと言おうと可愛いですよ(笑) 自分で評価するのは不可能なので、やはり他人の反応を見るのが一番だと思います。あんまり感動している様子がなかったら、だめな作品なんだなと思わざるを得ないし、お世辞でもほめてもらえたら出来がよいのだと思います。(出来が悪かったらお世辞さえ聞けないし。) やはり他人に公開することが一番客観的に判断する鍵なんじゃないでしょうか。

alchera
質問者

お礼

やっぱりそうですか(~_~)。そうだよなー。それが親の愛だよなー……。 今回の質問の直接のきっかけは、写真を一枚選ぶのに、選べなかったところからきているんです。周りの数人に5,6枚の中から選んでもらっても、みんなそれぞれ違うんですよねー。まあ一枚選ぶのが難しいほどみんな似たり寄ったりのヘタさ加減だということなんですが(^_^;)。 他人の作品は減点法で冷静に見られるけど、自分の作品は加点法で見てしまうんですよね。加点法だと一番を選ぶのって難しい。でもって、加点法で見たがる自分に未練がましいものを感じてしまって、なんかや~な気分になるのです。もっと潔くなりたい。 ご回答ありがとうございました。

  • massie
  • ベストアンサー率17% (46/265)
回答No.1

 童話を書いています。いろんな作品を読みますが、自分のが一番だと思ってしまいます。コンクールなどに出して落選しても審査員に見る目がない、感性が悪いなどと思ってしまいます。  自分の思いを込めて自分が一番いいと思う方法で表現するのですから一番と思ってしまうのは当然なのでしょう。「見る目を養う」と表現するものも育っちゃうから、その後作った作品にも「またすばらしいものができた。」と思ってしまうんじゃないかしら。  プロでないかぎりそれでいいのではないですか?  しばらく時間を置いてみると又違った面から見られますが・・・。

alchera
質問者

お礼

うーん、わたしはそこまで自信満々にはなれません(^_^;)。(3番目くらいかな……)でもたしかに好き好きってありますもんねー。自分がそれほどいいと思っていないものを気に入ってくれる人もごくたまにいたりするし……。 >「見る目を養う」と表現するものも育っちゃうから、その後作った作品にも「またすばらしいものができた。」と そ、そういえばそうですね(^o^)。 でもなんかねー、欠点もわかっているのに「それでもいいところもあるじゃん」と思ってしまう自分が未練がましくてちょっとヤなんですよ~。いさぎよくないって言うか(^_^;)。 ご回答ありがとうございました。

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