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趣味=ホビー

趣味で英訳すると hobby。hobbyで和訳すると趣味。 それ以上の何事でも無い、無機質な回答しか見当たらない。 趣味とは一体何なのでしょうかね?アバウト過ぎます。 与えられる物でも趣味、自分で新しく創作するのも趣味。 前者は時代により左右されるし、ドブに捨てる金銭が伴う。 後者は時代に左右されず、金銭面はともかく独自性がある。 私は、後者を趣味としていますが、完成形で与えられる物を買って喜ぶ。 と言う前者は本当に趣味でしょうか?私には単なる市場有りきの団体行動の コレクター(自分の意思が第三者からコントロールされている) としか思えませんが、皆さんは如何考えますか? 「人それぞれの価値感の違い」の様な回答は無しですよ!

みんなの回答

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.6

4ですが。 「直訳」は要約の皮肉な揶揄かもしれませんが、 「趣味=曖昧と言う事で、答えを出すのは難しい。」ということではありません。 だいたいあなたに賛成で、「趣味だからこそしっかり考えて自分で決断するべきだ。買わされてはいけない」という趣旨です。

noname#226571
質問者

お礼

Postizos さん 雑然とした返答ですみません。 >買わせられてはいけない。 その通りです。 ありがとうございました。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2125/7982)
回答No.5

 損得無しに興味がある事を続けるのが趣味なわけで、その人の性格や嗜好から来る行為に相当します。  俗に言う依存症が原因でやめられないのは、趣味では無くて病気でしょうが、それとは違って、性格や嗜好が原因で続けているのは趣味と言えるでしょう。  デジタル社会となった現在では、デジカメで写真を大量に撮り続けている人が多いと思いますが、無制限に写真が撮れる時代になったので始まった趣味とも言えます。デジカメが普及する以前は、写真を撮り続けるのはお金と時間がかかる趣味でしたし、大量に撮った写真をアルバムに保存して収納するスペースが必要とされる趣味でもありました。  それが今では、パソコンが1台あれば、何万枚も何十万枚でも保存出来るので、お金がかからない趣味に変わっています。  同じように、マイクロフィルムが無いと保存出来なかった本が、今ではイメージスキャナーで何千冊でも、何万冊でもパソコンに保存出来るので、これもお金がかからず、省スペースの趣味になりました。  お金が無い人の趣味がデジカメや本の自炊となり、お金がかかる趣味は模型、フィギュア、アニメDVDなどの子供向けのものに変わったように思います。  要するに、お金が無い人の趣味=2次元、お金がある人の趣味=3次元という形に大きく色分けされているように感じます。  情報を収集する趣味は消費に繋がらず、物量を収集する趣味は消費に繋がる傾向があるように思います。

noname#226571
質問者

お礼

SPROCKETER さん ご回答有難うございます。 私も同感です。2次元(仮想3次元)と言うスマホ(パソコン)の中で、一生暮らせれば本当に幸せかもしれませんし、概ね抜けられない人が大半な世の中になりました。 恥ずかしながら、私はガラ携帯もスマホも所持していません。 創造性に欠ける受動的なツールは一切持たない主義で、 知見が無くて困った時にパソコンを使うくらいです。 受動でも趣味、能動でも趣味。私の頭は迷宮入りです。(笑)

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.4

今の趣味という概念は近代の物という面もあるかもしれません。 原始的な社会で、自然条件が悪くなれば生きて行けなくなるような状態でも人間は生きて行くのに最低限必要なこと以外のことはやらないかというとそうでもない。 遮光器土偶とか、火炎土器の時代にそういう土工芸・芸術品を作るのは狩や農業のために必須だと考えられていたのでしょうがその作るためのエネルギーはばかにならない割合を占めていたはずです。 だから実際には食うための物ではない物を作るのを最低限生命維持のための行為と区別するようになったのは案外近代の概念ではないでしょうか。 質問の件ですが、ただコレクター向けの商品を購入して系統立てて整理する、展示する、というのも趣味には違いないと思いますが、あなたが考える創造的というのとは違うように私も思います。 確かに人それぞれ「価値観の違い」はありますが、自分はこの価値を大事に思うという「価値観を問う」「自分が思う価値を提示する」という行為*に重きを置くという考え方も大事なように思います。それが無いと趣味としても楽しみが薄いわけで。 しかしそれは文化とか芸術の仕事に近づいて行くわけで、何のためでもないとか、お金にならないとかいうことを趣味としての純粋性と考えると趣味とは離れて行くようにも思います。 *(買う行為でもあまり評価されていない物を買い集めて提示してその良さをあらためて世に問うようなコレクションもあります。) 近現代は趣味の世界までもが経済の序列に組込まれ・仕切られていて「何の役にも立たない」という純粋性がわかりにくくなってもいます。 ただ流行りものを、雑誌の提灯記事なんかに乗せられて自分の主体性もなく買い散らかすのは「趣味」には違いないけれども「レベルが低い趣味」なんだと私は思います。「趣味ではない」ということではないと思うのですよね。 趣味の内容を問われることはその趣味に真剣であれば避けられないから安易に「人それぞれだ」などとは本心では言えないと私も思います。 ただしケンカもばからしいのでそういう逃げの口上も実世間では必要だとは思います。 レベルの低い趣味を「そんなの趣味じゃない」というような表現でけなすことはよくされていますが、これはレトリック・修辞法であって厳密に趣味じゃないかというとそうではないと思います。 以上自説に過ぎません。 辞書(広辞苑)には 趣味: 1.感興を誘う状態、おもむき、あじわい 2.ものごとのあじわいを感じとる力。美的な感覚のもち方。このみ。 として、 3.専門としてでなく、楽しみとしてする事柄。 より前に置いています。

noname#226571
質問者

お礼

Postizos さん ご回答有難うございます。 Postizos さんのご意見を私見ですが直訳すると、趣味=曖昧と言う事で、 答えを出すのは難しい。と言う判断で間違っていないでしょうか? 愚問で大変申し訳ありません。

  • Gletscher
  • ベストアンサー率23% (1525/6504)
回答No.3

生活の糧を得るためではなく、好きでやっていること、楽しみのためにやっていることが「趣味」だと思うので、既存のものか創作したものかは関係ないですね。 私はレジャー農園で野菜を作るのが趣味ですが、畑は作りません、借り物です。 種も作りません、買ったものです。 写真を撮るのも趣味ですが、カメラは作りません。 フィルムも作りません。被写体も作りません。 あるものを、買ったカメラで撮るだけです。

noname#233747
noname#233747
回答No.2

自分が楽しめればそれは『趣味』だと思いますね、私は 行ってしまえば、趣味=娯楽 本人が満足すれば、それは趣味なんです 例えば、私は趣味でガンプラを作っています 自分で組み上げる事を楽しみとしていますが 完成体を飾って眺めるのも楽しみとしています ですが、ロボット魂を買って集めたり、飾ったり眺めたりしているのも それはそれで趣味だと思っています 自己の満足感があればそれで良いのではないでしょうか? 所謂、娯楽なんですから、本人が楽しければそれでOKです

noname#226571
質問者

お礼

承知しました。

  • drum_KT
  • ベストアンサー率43% (1108/2554)
回答No.1

コレクター=蒐集 も趣味のひとつだと思います。趣味とは、通常は自分の生業としている仕事以外の活動で、自分の生命維持に必ずしも必要不可欠とは言えないが、心の潤いや自己の興味を満たすための活動全般のことを広く指します。 通常はと書いたのは、仕事が趣味だと言う方も、家事が趣味だと言う方もいるからですが、要するに人は何でも趣味として楽しむことができるということだと思います。 ちなみに、辞書には以下のように載ってますよ。 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/106221/meaning/m0u/

noname#226571
質問者

お礼

drum_KTさん ご回答有難うございます。 趣味...とは?と言う愚問の中、「生活の要!」確かにその通りですよね。 趣味には束縛が無く、金銭と快楽感、達成感は自由であり、自己管理! 犯罪に於いても趣味。例えば自分好みに女性を飼育するなど... 深いですよねー。 あまり、立ち入らない方が利口ですね。 本当に有難うございました。

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