- ベストアンサー
昔は学歴としてどういう扱いだったか
戦前は今の東大、京大などは「帝国大学」と呼ばれていましたよね。それ以外は今は大学と呼ばれてても、かっては「○○師範学校」「△△高等商業学校」が前身だったなどと言われる学校があります。 これらの学校は卒業した際「帝大卒」「師範学校卒」「高商卒」などと言われる訳ですが、帝大は勿論の事として「師範学校」「高等商業学校」は今で言う「大卒」とほぼ同じ扱いだったんでしょうか。または今でいう短大、専門学校と同じ評価だったんでしょうか。 昔の大学事情にお詳しい方、宜しく御願い致します。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
理由は色々だけど、師範(教育大)卒はかなり立派な経歴だったよ。 理由としては、 帝大はほぼ男子大だったから、 女子エリートは師範を目指したこと&特に田舎ではエリート=師範卒の先生or医者、 って相場が決まってたから&師範はタダだったので貧困エリートがよく通ったから ってのがある。 商科大もエリートだったよ。 何とも言えないが、小説などを参考にすると 東京圏の商科や師範は地方帝大よりも上の扱いになってたように感じる。 地帝の躍進は、戦後じゃないのかな。 最近はまたダメだけど・・・ エリートと、待遇や仕事の有り無しは今以上に比例しなかったようだけどね。 国民全体が貧しかったってのもあるし。 夏目漱石の小説見たらよく分かるよ。
その他の回答 (3)
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1 「旧制中等教育学校への進学率は13%前後に過ぎず、特に、中学入学者についてみると進学率は8%くらい」 http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2011/08/11/1309705_3_1.pdf 平成23年 修士課程進学者数が8万人くらいで、 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei09/index.html 22歳の人口は 120万人くらい → 7%くらいの大学院進学率 進学率を考えればこんなものです
お礼
具体的なHPまで示してくださり有難うございます。 貧しさ故に進学出来なかった人が多かった訳ですが、本来進学しさえすれば大変な実績を残した人がいたであろう事を考えると、勿体無く感じます。
- tekcycle
- ベストアンサー率34% (1839/5289)
勘だけれど、 特に旧帝大なら、今の博士相当じゃないかな。 井上まおが、朝、何やらドラマをやっていたようですが、あの子供達が、「高卒じゃ就職先ねぇから大学行くわ」なんて言えたでしょうか。 小学校に行けなくても仕方がないくらいではなかったかと。 > 今の大学生は、中身は旧制中学校未満が大半です センター試験で7割取れないってのは、まともな進学校の学習内容が身に付いていないって事です。 でも、それで受かる大学が半数以上でしょう。 世が世なら新制高校を卒業できないはずなのに。 下手すると、新制中学卒業が危ない奴までいくらでも居そうです。 数学ができません、なんてのは全員そうかも知れない。 ちなみに、私立大学は通信やら夜間が主だったと聞いています。そのあたり、どういう比率か、どんな感じか、なんてことまでは知りませんけど。
お礼
回答有難うございます。 確かに現在の大学生はレベルが低くなりました。学問を渇望しながらも昔の貧しさ故に進学出来ず市井に埋もれた人が多かった事と比べると、義務教育の算数も解けないという一部の今の大学生レベルには残念を通り越し、怒りすら感じます。
- misawajp
- ベストアンサー率24% (918/3743)
>帝大卒」「師範学校卒」「高商卒」などと言われる訳ですが、帝大は勿論の事として「師範学校」「高等商業学校」は今で言う「大卒」とほぼ同じ扱いだったんでしょう そんなわけはありません なお、大学は帝大だけではありませんから「大学卒」があります(帝大を含めて大学卒が 学士様 です) その下が 高等学校、師範学校、高等商業、高等工業・・・・ それなりのランク付けされています いずれにしろ、大学卒は1%未満 高等学校、師範学校、高等商業、高等工業で数%(もっとも多くなったとき) 中学校、女学校、農学校等義務教育以上は すべて合わせても3割以下 高等学校以上はエリートコースです 大学は超エリート 、帝大は特枠エリート 今の大学生は、中身は旧制中学校未満が大半です
お礼
回答有難うございます。 現在とは比較にならない進学率の低さはその当時の社会背景があるんでしょうが、個人的に思うのは貧しくて進学出来なかった人の中にも「立派に就学」しさえすれば本来なら大変な実績を打ち立てた人も結構多かったんじゃないかという事。滅私奉公というか昔は「個人」を越えて「国の為」に働くのが当たり前の世の中です。学問が無かった故、有名にもならず功績も残せなかった人の中には本来なら革命的な仕事をやれた人もいるでしょう。 残念な話です。 今の大学生のレベルの低さを嘆く投稿が最近ありましたが、個人主義崇拝の風潮のなれの果てでしょうね。
お礼
回答有難うございます。よく分かりました。 今は大学の名前で「一流、二流、三流」と簡単に格付けされますが、昔の「師範卒」「帝大卒」というのはよく考えれば学校の名前であまり差別してないんですね。呼び方も情緒あるし、何故だか今の大学卒の肩書きよりも温かみがあります。