- ベストアンサー
不自由な体のことを聞いてくるようになった息子
- 34歳の母親、左半身が不自由な状態で子育て中。子供からの質問に困り、悩んでいる。
- 子供に「なぜ手が動かないの?」と聞かれ、どう答えればいいか悩んでいる34歳の母親。
- 子供達に対する正直な答えが見つからず、心が痛む34歳の母親。アドバイスを求めている。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
Ano.7のsuiennです。 皆さまの温かい回答が続々と届いていますね。私、その一つ一つに深い感銘を受けながら、読み進みました。。 今元気な方々でもいつ何時、障害を持つ体になる可能性があります。決して人ごとではありません。 私は聴覚が子供の頃からですが、視覚は40歳あたりに加わりました。 現在この二つの障害がありますが、今後また新たな障害が生じる可能性はあるのです。人間である以上、誰の身にも起きてくるはずです。年を取ると、体があちこち痛いなどと言いますよね。脳疾患などで障害を負ったりすることもあり得ます。 質問者様の場合、お子様たちがこうやって小さい時から、見ていますので、社会に出ても、障がい者に対して深い思いやりを持って接すると思います。気持ちも理解できるはずです。 今の時点で、もう障がい者に対する教育が始まってますよ。障がい者に対する偏見を持たずに、お子様たちは成長するでしょう。世の中には健常者だけではなく、障がいのある人もいるんだと言うことを、抵抗なく受け入れるでしょう。 通常、子供の頃は、障がい者 と言うものを見ないでいます。で、社会に出てから改めて認識します。そうすると障がい者に対する偏見などが生じます。 本当は小さい時から、障害者と接する機会を設ければいいなと常々思っています。 その点、質問者様のお子様は恵まれていると思って過言ではありません。 お子様の成長過程で、色々悩む時もあるかと思いますが、質問者様は堂々と接してください。 「障害があることは何も恥ずかしいことではないよ。どのようにしたらできるかをあれこれ工夫しながら頑張っているんだよ。もちろんできないところはやってもらうけどね」と伝えていいですよ。 自分の障害はこうであると説明して構いません。自然に覚えていきます。まだ小さいからと思わないで、堂々と説明してください。 不快感を感じたらごめんなさいね。 私の視覚障害は、視野障害で、白杖を持たないと人とぶつかるなどして危ないです。しかも夜は殆ど見えないのです。 それでも、辛いとは思いません。 パソコンで文字を打つ時も、文字を拡大するソフトを入れています。そうしないと細かい字は見えないのです。 また、何か文章を書く時も、手書きだと行が曲がってしまうため、できる限りパソコンで作成します。 孫にもこうしたことを教えていくつもりです。 自分の障害はこういう状態なんだよと教えるのです。小さい時は理解できなくても、大きくなり次第に、ああ、そうか。こういう事だったのかとわかる時期が来ます。 自信を持ってやっていってください。また何か悩みが生じたら、質問すればいいですよ。
その他の回答 (11)
- tebyoshi
- ベストアンサー率21% (29/138)
補足です。 子供への対応ですが、治らないんだよ、と伝えても良いと思います。何でなったのか分かりやすくお話したら良いと思います。母は「もう動かないから、動く方をいっぱい使って強くしてるの」とよく言っていました。 抱っこされた記憶はないですが添い寝はたくさんしてもらいました。授業参観で一緒に体操をする時は座って片手でしていました。通知票の保護者欄も左手で書いた文字(毎日練習していました)。出来ない、やってあげられないではなく「こうすればできる」があります。 私は二女ですが姉が私の面倒をみてくれました。質問者さんのお子さんもきっと協力して育っていくでしょう。 大丈夫です。
お礼
ありがとうございます。 私もできることをたくさんしてあげたいです。
- tebyoshi
- ベストアンサー率21% (29/138)
はじめまして。 私の母は三十代で髄膜腫のオペの後遺症で右上下肢麻痺の障害を負いました。当時は医療技術も低く発見が遅かったため病因が解るまで脚や脊髄を何度も手術し、私が物心ついてもかなり長い期間入院していました。離れている時間が長くて、お見舞いに行き、母とリハビリの訓練室に行くのが私は好きでした。(母にとってはリハビリは一番の苦痛だったそうです) そこには両足を切断された方、母と同じく麻痺の方がたくさんいて、幼いながらに色んな人がいるんだと感じました。 母は利き手、足を失いましたが左手で料理も洗濯も仕事(幼稚園教諭でした)も少しずつできるようになり、その過程をみて育った私は誰よりも母を尊敬しています。母は気が強く、私には涙は全く見せませんでしたが、私は今、母が障害をもった同じ年齢になり、子供をもつ母となって「ああ、お母さんは想像を絶する苦労をしてきたんだ」と分かりました。陰でどんなに泣いていただろうと思います。 今は歳をとってすっかり頑固で口だけは達者というスーパー(手がかかる)おばあちゃんになった母。私の娘に(孫)にまで「おばあちゃんワガママ」と言われてしまいますが(笑)苦労して育ててもらった分、今親孝行しているつもりです。孫も障害のある方に対して幼い頃から手を添える子になったのは母のおかげです。 母は強し。母がよく言っていました。
- HOPinDEER
- ベストアンサー率73% (3803/5162)
こんばんは。 No.8様のご回答や皆様のご回答に心打たれ、感動し、 私もお邪魔します。 私はそういう体の不自由はありませんが、 46歳で待望の初産をし、1歳8か月の我が子の子育て中です。 この子がやがて、周りのお母さんと私が、あまりにも見た目動作に かけ離れていると知った時、聞いてくるのかもしれません。 「お母さんはどうして、おばあちゃんみたいなの?」 この質問が来ることを少しは恐れていましたが、 このご質問&ご回答で、勇気が出てきました。 この子を授かるためにしてきた努力や思いを恥じることなく、伝えようと。 どんなにあなたを心から願い、多くの方があなたの誕生を喜んでくれたか。 この子がたとえダウン症でも構わないとその検査も拒んで、 産れてきてくれるその命を尊重することを誓いました。 この子は全くの健常者で生まれてきてくれましたが、 たとえダウン症だったとしても、それを気にしない子に、命の尊さを尊重できる子に育てようと。 そして、私が周りのお母さんよりも、おばあちゃんに見えたとしても、 それでも大好きなお母さん!と胸を張っていられるような考えの子に、 自信もそんな存在になろう。 そう思えました。 なんだか回答になっていないですが、 重ねた年月のどうしょうもないこともまた同じと思えました。 これも治らないのです。 今見た目は30代後半に見えるらしいですが、 それでも、本当の30代後半の人とは違う、どうしょうもないことです。 ありのままを伝えて、どうしょうもないではなく、 できることはどんどんしていこうという思いで頑張ろうと思えました。 そんな姿勢をきっと子供は見ていてくれると思います。 本当に回答になってないですが、失礼いたしました。
- ライフ *゚+。(σ‐σ)。+゚*(@InTheLife)
- ベストアンサー率54% (338/622)
質問者様と似た病状を持つ者です。 私の場合、機能障害が出ているのは、主に下肢(片足)です。 バランス感覚が悪く、重量にも耐えられないため、子どものおんぶやだっこが不可能です。 私は独身で、子どももいませんが、学生の頃、実習で3歳の子どもと遊んでいた時、子どもが「先生、ボクをおんぶできないのは、お手々が短いからでしょ?だんだん長くなるんだよね?」と尋ねてきたことがあります。 (私)「違うよ、足に力がないの。○○君が大人になっても、ずっと治らないし、おんぶもできない。落っことしちゃったら困るから」 (子)「…フーン。じゃあ先生、お馬さんごっこならできる?それならボクを背中に乗っけてゆっくり動けるでしょ?」 (私)「おっ、いいね。でも危ないかも知れないよ?」 (子)「傾きそうになったらボクがとめてあげるから平気だよ!」 自分が病気の真相を打ち明けたことで、それまでにこにこしていたその子の表情が一瞬こわばり、戸惑い顔に変わったのを憶えています。 「大人が護ってあげるべき子どもに、逆に気を遣わせた」と私は落ち込みました。 でも、自分の弱みをありのままさらけ出したことで、限られた条件の中でできる遊びを見つけだすことができたから、結局、話してよかったのかなと、今では思います。 (余談ですが、「騎手を落っことしそうなお馬さん」ごっこは、意外と新鮮さがウケたのか、他の園児にも好評でした。) 5歳の甥っ子からも、「あんよ痛いの?」と尋ねられたことがあります。 「人間になったばかりの人魚姫なの♪」と私がおどけると、甥っ子はムキになって「ウソだ~」。 そこで、「実は、生まれつき、足を思い通りに動かせない病気にかかってるの」と、まじめに打ち明けました。 「だから、あなたのお母さんにも助けてもらわないといけないことがいっぱいある。でも、皆を心配させないよう、一生懸命頑張るからね」と。 治らないと知った子どもを悲しませまいと、言葉でごまかそうとしても、子どもは敏感なので雰囲気で悟ります。 また、一時的でも「治る」という期待を抱かせることが、期待を裏切られた時の子どもの心に、予想以上の傷をのこしてしまうかも知れません。 ご質問とは逆説的ですが、私の両親は、幼い私に、私を侵した不治の病をどう説明すべきか、思い悩んでいたようです。 私が3歳ぐらいの頃、私の母は「リハビリを頑張って続けたら、あなたの病気は治る」と私に説明しました。 私は張り切って、日々、リハビリを続けましたが、回復のきざしはほとんど見えない。 6歳の頃、母に「稽古を続けても、なかなかごほうびはこないんだね」と語りかけた時、母の目にはうっすらと涙がうかんでいたので、私は「あぁ、やっぱり治らないんだ」と悟りました。 小学生の頃、縦笛や図工の授業で、どれだけ練習を積んでも、上達のスピードが同級生とは何となく違うことに気づきました。 そんな私を不憫に思ったのか、ある日、母が唐突に、「あなたの病気は足だけではなく、わずかだけど手も侵している」と、私に話しました。 その時、私は、そんな自分の身体が悔しくて情けなくて、大泣きしたのを憶えています。 両親はそんな私を見て、「ごめんね、代わってあげるものなら代わりたいよ」と、うつむいていました。 今では、両親が私に病気の実態を包み隠さず打ち明けてくれたことを、私は感謝しています。 私の手の症状に関しては、障害の認定を受けるほど重度ではなく、このことは家族しか知りません。 そのため、何も知らない知人友人・職場の仲間から、からかいや叱責を受けることがたびたびあります。 (ずるい考え方かも知れませんが)そんな時、「どうして自分はこんなにぶきっちょなのか」と自分を責めずにすんでいます。 子どもさんが、物心ついた頃、友達などから「なぜ、あなたのお母さんは皆のお母さんと違うの?」といった問いかけを受ける日が来ることを、覚悟しなくてはなりません。 そんな時、「お母さんは身体が不自由で治らないんだ。皆から見たら、変かも知れない。でも、お母さんは治らない病気だからと諦めずに、いつも自分たち家族のために頑張ってくれている。自慢のお母さんだよ!」…と言ってほしくありませんか?? 子どもを持たない私が生意気に申し訳ありませんが、「障害(病状だけでなく、偏見等も含めた生活環境)との闘い」は、あなたご自身だけが背負う運命ではなく、お子様が今後共有する宿命でもあると、私は思います。 だからこそ、勇気を出して、ありのままを話してみませんか。 本当のことを知ったお子様は、初めはショックを受けるでしょうし、泣くこともあるかも知れません。 でも、真摯に生きるお母さんの背中を、子どもさんはちゃんと見届けてくれますよ!!
お礼
遅くなってすみません、ご回答ありがとうございました。 そうですね、いつか子供たちに、 「どうしてママは他のママと違うの?」と聞かれる日が来ますよね、 それでもありのままを伝えていく勇気がわきました。 あたたかいお言葉をありがとうございます。
- suienn
- ベストアンサー率32% (131/403)
まえの回答者様の言うとおりですよ。心配させてかわいそうだと思う気持ち、わかりますが、自然に教えていってください。 3歳とは言え、いつも一緒にいるので、様子を見て、自然に理解していきます。こういう時はこのように手を貸してねなどとさりげなく話すといいでしょう。自然に覚えていきます。 私にも孫2人いますが、娘が、私の視覚、聴覚両方に障害があることを伝えています。 孫は小学1年生と4歳。 娘が、「おばあちゃんはおめめが見えないから、手引きしてあげてね。またお耳が聞こえないからそばで話してね」などと、言ってくれています。一緒に暮らしていませんが、時々娘のところに行った時に、そうしています。 そうすると難なく覚えてくれます。 普通に話せばいいんです。 いつ治るのという質問に対しては、もう治らないのと伝えてください。嘘をつくと、あとで事実を知った時に、裏切られた感じを抱くと思いますので。 私の経験上です。 私がまだ小さい頃、親に、「いつになったら、私の耳、治るの?}と言ってました。その時、そのうちに治るよ と言うから、期待してましたが、結局治らず、現在まで過ごしてきました。はっきりもう治らないと言ってほしかった。裏切られたって感じでした。 複雑な気持ちかな・・・・・・ 試行錯誤ですね・・・・・・今後、お子様たちが成長するにつれ、色々な事が出てきます。その時々で対応することになると思います。 なんか、わけのわからない回答になりましたが・・・・・・ 小さい頃は、言われたことが理解できないでいても、年齢を重ねるにつれて、ああ、こういう事だったのかと、わかる時がきます。 障害があっても、自信を持って子育てしてくださいね。力になりますので。 健常者だって、できることとできないことがあるのですから、同じ事ではありませんか。 堂々としていてください。何も恥ずかしくありません。 できないことはやってもらっていいのですよ。遠慮しないで。ご家族の方がサポートしてくれていると言うことで、安心しています。 不快な感じを受ける部分もあるかなと思いながらも、私の感じたことを書かせてもらいました。
お礼
再びのご回答ありがとうございました。 息子たちには嘘や裏切りのないよう、 正直に伝える勇気がわきました。
- Ama-teur
- ベストアンサー率44% (8/18)
お優しいお子さんですね。 「心配させてしまっている」ということより 「人のことを心配できる優しいお子さんに育っている」という事を 認めてあげ下さい。 そして自分の育て方に自身をもって、 ゆっくりお話してあげてください。 回答もあまりお役に立てないかもしれませんが 焦らず、ゆっくり話してあげてください。
お礼
ありがとうございます。 優しい子に育ったことを誇りに思います。
- fuken
- ベストアンサー率23% (217/923)
自我が備わり、周りの状況と自分の状況などを理解してくる頃ですね。 普通の成長ですよ。 気持ちの変化は大切です。 色んな事に気づくのは大切だと思います。そのままの成長で構わないと思いますよ。 体の事も正確に答えても理解していくと思うし、手伝いもしてくれるになるでしょう。 心配が無いように・・心が痛まないように大人になるのは危険かもしれません。 子供の成長には刺激が有れば有るほど豊かな人間に育つと思います。 守るばかりでなく、良い方向に導くのが親の責務かと。
お礼
ありがとうございます。 心豊かに育てばよいと思います。
一番大切なことは、お母さん自身が何を聞かれても 「悲しい顔」をしない、ことだと思います。 これからお買いもの、保育園、いろんな場所で同じように 障害を持った人を見かけることもあると思います。 家族が支えてくれてるから、何も心配ないんだよ。 パパもいっぱい助けてくれてるよ **君(3歳のお兄ちゃん)も助けてくれるから ママはとっても助かっているんだよ と、いつも明るく話していくこと。 ママが心配そうな顔、辛い顔、困った顔、をすると、子どもは不安になってしまいます。 子どもに何をしてほしいか、どんどん頼みごとをしましょう。 ママに何をしてあげたら、ママが安心するか? 生活の中で学んで行かれます。 きっと、学校へ入学しても、友達をいじめる側にはなりません。 私自身、一時的ではありますが、左手を使えない期間がありました。 子どもにいっぱい手伝ってもらいました。 そのたびに、笑顔で「ありがとうね、とっても助かるよ」 と声をかけました。 二男くんは・・お兄ちゃんが一緒に教えてくれますよ! 人として、一番大切なことを家庭で学ぶことができますね。 いずれ・・義両親(子ども達にとってはおじいちゃん、おばあちゃん)が 今のあなたどころでなく、大変な時期が来ます。 きっと、子ども達もいろいろと助けてくれるようになりますよ。 あまり・・頑張りすぎないようにね!
お礼
ありがとうございます。 人として、一番大切なことを家庭で学ぶことができるとしたら、 それはとても良いことですよね、 感謝の気持ちを忘れずいつも笑顔でいることを心掛けたいと思います。
- Knotopolog
- ベストアンサー率50% (564/1107)
包み隠さず,正直に,ありのままを,大人に説明するつもりで,話してあげて下さい. それが,お子さんの為でもあり,ご家族の為でもあり,貴女ご自身の為でもあると私は思います. 本当の事を言って,お子さんを心配させては可哀想だと,お思いになるのが,普通の心情です. ですが,曖昧で,奥歯にものの挟まった様な,あやふやで,ウソを含んだような事を言って,その場をしのげば,その時はいいでしょうが,その後,ますます,苦しくなり,取り返しのつかない事になりがちです. 正直に話したうえ,お母さんが,いつも明るく明朗に活動・生活していらしゃれば,お子さん達は,それが,一番嬉しいのです. お子さん達が大きくなった時,正直に話してくれて,ありがとうと感謝されるように,お考えになられたら如何でしょう. 忌憚のないところを書いたつもりでしたが,勝手な事を書いて,ご気分を害されたかも知れませんが,お許し下さい.
お礼
ありがとうございます。 そうですね、心配な面もありますが、正直にありのままを話していこうと思います。
優しいお子さんですね。 詳しいアドバイスはできませんが、男の子ということなので「お母さんはからだが不自由だから○○くんにいろいろ助けてほしい」と伝えれば、お子さんも「頼りにされている(自分は必要なんだ)」という気持ちや「使命感」が芽生えるのではないでしょうか。 ただ、当然ながら甘えたいときもあると思うので、そのときはうんと甘えさせてあげてください。
- 1
- 2
お礼
またのアドバイスありがとうございます。 世の中には私の何倍も大変な人がたくさんいると思っていましたが、 suiennさまも大変なご経験をされているのですね、 私も子供たちには障がい者に対する偏見だけは持ってほしくないといつも思っています。 言われてみれば私自身もこうなるまでは「障がい」なんてまるで他人事でした。 実際そうなるまでは、または身内にそういう人がいなければ「明日は我が身」と考えることは 本当に難しいと思います。 だから毎日大切に生きなさいと、将来子供たちに話してやろうと思います。 そして幼い時から私と接することで、偏見のない優しいおとなに育ってほしいと思います。 本当にホッとしました、自信がついたような気がします。ありがとうございました。