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日本の首都は本当に東京なの?
京都から東京に首都を移したのは、一般に1867年の大政奉還後って言われてるけど、遷都はしてませんよね?なのに、首都は東京なんでしょうか?そもそも、遷都って法律で定められてるの?どうやったら、遷都になるの?オシエテ~~!!
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- ametsuchi
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専門家でないし、ちゃんと調べた訳じゃないのですが...。 1)江戸時代、「都(=みやこ)」といえば京を指していた。 2)江戸時代、江戸、大阪、京都を「三都」とする表現もあった。 3)江戸時代、「首都」なる言葉も概念も(多分)なかった。(自身なし) 4)第2次大戦前、東京も「東京府」、「東京市」であって、「東京都」ではなかった。 5)本題とは関係ないが、明治初期「東京」も「とうけい」と発音されていた。 6)「東京遷都」は下の方が言われるように、なし崩し的に行われた。当初、大多数の公家達は京都を離れることに猛反対していたからである。少年であった明治天皇を利用しようとする薩長・岩倉らが無理矢理東京に引っ張って来たのであろう。彼らは天皇に洋式の生活も強要した。
- nozomi500
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いま、国会やらで「首都機能の移転」といっていますね。「首都移転」というと、何が首都なんだ、という話が出て突っ込まれるからでしょうか。 「機能」だけなら、国会やら、最高裁やら、首相官邸やら、各省庁やら、国を代表する機能がそこにあればいいわけです。 とくにこれからの時代、「遷都」なんて形式を考える時代でもないでしょう。ゴルフ場にいたって、国の最高指揮権が執行できる時代ですから。 東京はオリンピックをやったけれど、オーストラリアのシドニーとメルボルンは首都キャンベラを押しのけてオリンピックをやっちゃったし、アメリカでもワシントンでオリンピックはやってないですよね。
0.そもそも遷都というのは、そうそう行われるものではないので一般的な定義は難しいでしょう。 1.天皇を中心とすると。 藤原京以前は相当の頻度で「遷都」が行われています。それは、第一に政権が不安定だったこと。第二に天皇の代替わりごとに宮殿を代える歴代「遷宮」という制度があったためです。 しかし、いずれにせよ平安京までは何らかの形で遷都の詔勅が出るのを要件と考えてよいでしょう。従って、福原遷都は正式な遷都とはされません。なお、平安遷都後も初期のころは歴代遷宮の名残として、天皇ごとに内裏内で起居する殿舎を代えたようです。 明治になって、正式に遷都の詔が出されなかったのは京都市民の感情に配慮したためで、形式的には明治天皇は東京に行幸していただけになります。しかし、だとすると、大正天皇以後はどういう扱いになるのでしょう。なお、一時期、天皇ごと大本営が広島に移ったことがあります。 2.政治権力の中心とすると。 天皇制にとらわれなければ、鎌倉幕府の成立を新たな都の成立とすることもできます。確かに幕府は公的には、頼朝個人の家政の拡張、という形をとりますが(主従制原理)、事実上は全国政権だったわけであり(統治権原理)、この意味で鎌倉以降、政治権力の二元性を反映し、二都が並存していたともいえます。 だとすると、室町幕府は京都遷都という面で捉えることもできます。しかし、創建当時の室町幕府には、まだ鎌倉が重要という意識もあった面もあり、便宜上、京都に政庁を置いたと言う節もないわけでなく、微妙なところです。 そうして、近世になると、大阪・江戸が勃興します。この意味で、明治の東京遷都は、天皇制ドグマを外して考えれば、家康からの連続として捕らえることができます。 3.近代の法制度として。 「法的」に「首都」であるとは、「首都」であることにより「法的」に何らかの特別扱いがされる必要があります(「政治的美称」という扱いも不可能ではありませんが)。 だとすると、東京の法的な特殊性として考えられるのは、特別区制度ですが、あれは沿革的には東京府と東京市の合併であり、どうでしょう。確かに、世界的にも首都は特別な行政区である場合が多いのですが。 4.とはいえ、東京が事実上の首都であることは紛れもない事実であり、そして嘗ては京都が首都であったのも紛れもない事実です。もし、両者の交代のメルクマールをどこかに求めるのなら、1867年頃に求めざるを得ないでしょう。しかし、中世近世の属人的な支配原理に鑑み、日本という国土に二つの政治的頂点が並存したと考えれば、遷都はなかったと考えることもできます。つまり、江戸は家康により首都性を獲得し、京都の首都性は明治になって自然消滅したのです。
- starbucks
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明治二年に太政官が東京に移り、事実上の東京遷都となったが、事実上というのが曲者で実際は曖昧の様です。 実際東京都自身も「首都の定義とは何か?」と疑問を投げかけていますが回答は得られていません。(下記アドレス) http://www.chijihonbu.metro.tokyo.jp/chosa/syuto/katudo/syokai/a111104b.htm 法的には何も決められていないとは、びっくりですね。そもそも天皇を味方に引き入れたら官軍になる歴史が長い間ありますので、そこら辺も日本的な曖昧さで決まっているのでしょう。
お礼
その「事実上の」というところが曖昧で、何とも日本的という感じがしますね。東京とのページを拝見しましたが、ここでも、回答はよく分からない事が書き込まれていて、結局のところ、「その質問は私の答える事ではない」というような、よく政治家などにみられる、責任逃れのような回答でしたね。
- jj3desu
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東京遷都は段階的に実施されました。 天皇は1868年(明治元)に現在の東京に来ましたが、いったん京都に戻った為、翌年(明治2年)太政官が京都から東京に移された時が事実上の東京遷都と言われています。江戸から東京に名称変更したのは元年です。 …と言う訳で明治2年に東京に遷都されています。 ただ、これは歴史や〇〇史からの見た目なので、法律でどう定められているかと言う視点ではありません。下記のURLにも明治2年に遷都となっていましたし、gooの国語辞典で「遷都」をみたら、文例が「明治二年東京に―する」 だったし、これで正解とは思うのですが...。
お礼
何をもって遷都とするのか?その辺が曖昧ですし、法律で定められてるわけではないですし、難しいところです。教科書などでも首都は東京と習いましたしね。でも、遷都の詔勅が出されてないところをみると、そうとは言い切れないような気がして・・・
お礼
詳しい回答、ありがとうございます。だいぶ、参考になりました。「1.」を参考にすれば、平安や鎌倉の時期にこの質問を投げかければ、恐らく、福原遷都と同じように詔勅が発効されてないので、正式な遷都ではないと答える事が出来るのでしょう。しかし、中央政府が内閣であるこの時代、やはり曖昧な答えしか出てきませんね。 「4.」の東京は事実上の首都、というのは賛成です。しかし、やはりこの「事実上の」という、フレーズが気にくわないですね。