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「優しさ」を訓練する
- 優しさを身につける訓練方法として、司馬遼太郎さんの作品『二十一世紀に生きる君たちへ』には助け合うことが大切であるというメッセージがあります。
- そのためには自分の中で他人の痛みを感じることやいたわりの気持ちを育む訓練が必要であり、自分自身や友人の感情に共感することが重要です。
- これによって他民族へのいたわりの気持ちも芽生え、人類が仲良く暮らせる時代になる可能性が高まると述べられています。
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訓練じゃなく、自然と出る感情だと思いますよ。 私は家庭を持っていて、持ち家に妻と子供が住んでいます。 私は一家の主ですから、外敵から家族を守らなければなりません。 7~8年前だったか、新潟の堤防決壊という災害がありましたね。 あれをテレビで見ていて、「うわー、すごいなー。でもうちは高台だからあんなことはないな」という思いと、「大変だなー、もし俺んとこも水が浸いたら、耐えられないな、これ以上借金も出来ないし」なんて思いで見ていました。 画面が変わり、中年の主婦が「誰でもいいから手伝ってー」と叫んでいました。 とても人事とは思わず「よーし、俺行く」。あくる日有給と休日を入れて、5~6日の予定で中ノ島まで車を飛ばしました。 今度の震災も初老のおじさんが「選択の余地がある人はまだいい。俺みたいに銀行が相手にしてくれなくなった年齢のものにとって、選択なんてないよ」 定年を迎えた俺にとっては、その言葉が身にしみてわかりました。そりゃ、いくらかの預金はあるが、家を建てるだけの余裕はありません。現役ならローンも組めますが・・・。 岩手に1ヶ月行ってきましたよ。
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- hiro822
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目の前に事象よりもひと回り外側から見て、 その上で相手の気持ちを読むことではないでしょうか。 友達が転ぶ。 なぜ友達が転んだのか、不注意だったのか、踏まれた石の方はもっと痛くなかったか、 転んだ責任はどこにあるのか。どうすれば友達は転ばずに済んだのか。 というような内容を考えた上で、 それでも傷ついた友達は、自分が痛いという一人称でしか物事を捉えられない、 ということを、忘れないことではないでしょうか。 他者の目線からの意見をそのまま言ったら、友達は傷つく。 でも、友達の目線から意見を言ったら、友達の視線をますます狭くする。 その中庸を得て、物事を話す訓練をしたら、優しさを身につけられると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 私は司馬遼太郎さんの本を読んで、友達が転んだりして、ああ痛かったやろうな、とか友達が喜んでいたら、嬉しいんやろな^^ とか言うような感じる気持ちを自分の中で作りあげていけばいいと思っていました。 でも回答を読んで、そんな深い考えもあるんだなと考えさせられました。 とても参考になりました。 ありがとうございました。
- zxc55
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> 友達が転ぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ち 自分も転んだことがあるから、痛かったろうなと感じることができる。苦労は買ってでもしろというのは、人の痛みを知るためなのかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 本当にそうですね。 私も多くの苦労を重ねて、人の心の痛みが分かるような人間になろうと思います。
お礼
>>画面が変わり、中年の主婦が「誰でもいいから手伝ってー」と叫んでいました。とても人事とは思わず「よーし、俺行く」。あくる日有給と休日を入れて、5~6日の予定で中ノ島まで車を飛ばしました。 すごい行動力ですね!見習いたいです。 そして、すごい優しい方だなと思いました。 私は和歌山県に住んでいて、先の台風12号で大変な被害を受けました。 同じ和歌山県民としてこれはほっておくわけにはいかず、今度、市内のバスで被災地直通行きが出ているので、それに乗って私も困っている人々の助けになりたいと思います。 回答ありがとうございました。