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安い労働力はなぜあり得るのか
安い労働力はなぜあり得るのか 対価は労働に対するものであることは間違いでない前提だと思います。 例えば中国人労働者、派遣労働者などは安い労働力と言われますが、なぜ安くなるのでしょうか? 単純労働だから、という方もいらっしゃると思いますが、その方には、なぜ単純労働ならやすくてよいのかもおしえていただけると助かります。 単純労働は誰でもでき、知的労働は出来る人が少ない、とおっしゃる方には、ではあなたが現在している仕事は、単純労働なのか知的労働でなかなか人に出来るものでないのか否か、教えて下さい。
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>安い労働力はなぜあり得るのか 至極当然ではないでしょうか。 No.3さんが示した例は、同じような業種の同じようなレベルの企業に勤める方を例に出したものです。 別の視点で見た場合ですが、大手企業等に比べて零細企業や、あるいは個人事業主の元で働いている方は当然安い労働力となります。 当たり前の話ですが、個人事業主に大手企業ほどの利益も資金力もありませんので、その個人事業主が従業員に払える給料は安いものとなります。 知的労働・頭脳労働ができる人は一般的に賃金の高い大手企業の方を選び就職することになるのは当然です。 そうなると必然的に個人事業主が雇える人はそれよりも低いレベルの人、あるいは単純労働や肉体労働しかできない人(極端に分かりやすく言えば)となります。 単純労働なら安くてよいではなく、必然的に安くなってしまうということです。 派遣労働者はそこに派遣される会社の従業員や社員ではなく、通常は別の会社(派遣先の会社より小さな会社)がその派遣先の会社に自分の会社の従業員を派遣させるものです。 当然、派遣する立場のその小さな会社は大きな会社ほどの資金力がないので、従業員に払うことのできる給料は少なく(安く)なります。 例えば、職人の組などの肉体労働を提供する会社が大手企業に成長させることは絶対とは言いませんが困難です。 (どちらかといえば、職人の組より派遣業の会社の方が可能性は高いですし、実際にある程度の大きさの派遣企業は存在します) 単純労働の場合、提供できるサービスが 「こなしてなんぼ」 の業態といえ、その提供できるサービス内容では、それ以上の多売ができません。 意味が分かりますか? サービス内容自体がそれ以上でもそれ以下でもなく、少ない経費でその何倍何十倍もの売り上げを上げることが物理的にも不可能なんですよ。 ひとりの単純労働者がこなせる仕事はその人がこなせる仕事以上のことはできません。提供する側、あるいはユーザー・消費者にその労働者が提供できるものは、自分の労働力を提供した「ひとつの企業・一人のユーザー」に対してだけです。 しかし、知的労働でユーザーのニーズに合った商品を提供する場合は、多くの人にそのサービスの提供ができます。 つまり、知的労働の方が多くのお金を生みやすいのです。 同じ単純労働でも、プロ野球などの世間に認知された人気スポーツならば、その人気から多くの消費者が沢山のお金をそのサービスに対して使って(出して)くれますので、他の人気のないスポーツに比べれば、プロ野球に関連した企業は資金力が備わるということになります。(元々大きな企業が関連していますが、単純な理論として) だから球団側は、人気選手にそれこそあり得ないような給料を払えるのです。人気選手は客を沢山連れて来て、そのお客はお金を沢山落としてくれる、つまり、人気選手が提供できるサービスは多売が可能で、多くの利益を生み出せるサービス性があるということです。 そのような特殊性がない限りは、通常の場合、単純労働は「こなした分」しかサービス性がありませんね。 よって多額の売り上げは単純労働では望めないということであり、賃金を払う側は払いたくても払えないということになります。 何度も言いますが、質問者さんがおっしゃるような、安くてもよいという訳では決してありません。 市場がそのように要求しているから必然的にそうなってしまうのです。
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- potatorooms
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プロ野球の年俸を見るとよくわかりますよ。 必ずしも、成績の良い人が、高給取りではありません。今の原監督が現役だったとき、ほぼ同じ打率、ホームラン数で、今のベイスターズ当時の大洋に、田代という選手がいましたが、片方は億、片方はサラリーマンの平均月収とあまり違わない年俸でした。 「働く」というのは、「労働時間をお金に換える」という側面は、個人の事情で、雇う側の事情を見れば、その人がどのくらいお金を集めてくるか、ということです。 雇い主に数億円の利益をもたらす人には大金を、働く側から見たときに同じような働きの人でも会社にもたらす利益が小さければそれなりになるわけです。 では、原と田代は何が違ったか。原は私生活でも人前で目に触れるとき、常に原だった。中学・高校時代から油断なく原という役割を演じていたんです。これができるから、いまだに原には原という価値を持っていて、集客力、ニュースになる力がある。 労働を時間で計ることについての質問をしている時点で、ご質問さんは(私と同様)、労働時間を換金する人生になると思います。 ちなみに、海外では大企業のCEOは億の数十倍の「月収」であることは普通ですし、国内でもゴーンさんの年収は有名ですよね。逆に、元アップルのジョブスさんは無報酬でしたし。何のために働く、ではなく、働くことで何をもたらすか、ですね。 ビジネスを作ること、これがどういう意味で、どういう金銭価値があるかを、考えてみると、ご質問の回答のヒントになるかもしれません。
- datchi417
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その安い給料でもいいから働きたい(働くしかない)という人がたくさんいるからでしょう。 企業が安い給料で募集して、応募がなければ条件を上げるしかないですからね。
そのような判断が難しいので、学歴や資格、(その他色々な基準)で賃金の差別化をしているのだと思います。 試験や面接だけで長期的なスキル向上の可能性や対人関係まで含めた総合的判断など現実には不可能です。 就業後の賃金アップも就業人数が多いほど画一化して明確な基準を設けないと不満の温床になってしまいます。 また、いわゆる仕事のスキルだけでなく、管理職のようなより複雑で総合的な判断が必要な人材は、ある程度の少数精鋭でなければ把握し切れません。企業が「正社員」とそれ以外という区別にこだわる理由の一つでもあります。 また、既得権益を守るために賃金の差別化をしている側面も当然あります。 仕事の内容に応じて「正社員」と「パート労働者」の時間当たりの賃金を同じにしてしまったら、「正社員」のスキルが白日の下にさらされてしまいます。 これは「正社員」の立場も脅かしますが、雇用側の管理コストの増大も意味します。 「雇用者」「正社員」ともにメリットがあるので今のシステムに大きな変化は起こりにくいということになります。 なお、「正社員」とその他の労働者の賃金に格差を設けないように法的に義務付けている国もあると耳にしたことがあります。 雇用者の管理負担は増えますが、パート労働者にはメリットになります。 ---------------------------- 雇用者側の都合もありますが、労働者側の判断も賃金には影響します。 雇用者としてはなるべく人件費を抑えたいわけですが、一定の賃金水準でなければ人材の確保はできません。 結果として、人が集まるぎりぎりの賃金を提示して募集を行うことになります。 人員が確保できなければ賃金水準を上げることになりますが、十分人が集まってしまえばその水準以上に賃金が上がることはありません。 このように労働者も賃金水準の決定にまったくかかわっていないわけではないのです。 賃上げを要求した労働ストなどは積極的にそのプロセスにかかわる行為です。 ------------------------- 賃金体系は会社の内規次第でどうにでもなることですから、不満を持った者が自ら労働者優先の会社を起業するのが手っ取り早いでしょう。 そういう会社が成功すれば日本の賃金体系も変わっていくでしょう。 それには労働者側の「仕事は雇われてするもの」という認識も改めていく必要があるでしょう。