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介護施設と姨捨山の話
介護に苦しむ人は多いですが、いろいろ考えることがあります。 私の親戚なのですが、嫁姑がうまくいっていない人たちがとても多いです。 あるお嫁さんは、「舅の面倒は見るけれど、姑の面倒は見ない」と言ったそうです(でも、それが事実かどうかは知りませんが)。介護が必要になった今、そのお姑さんは、通うには遠すぎるリハビリ施設に飛ばされています。しかも、痴呆で何も分からなくなっているので、お嫁さんは施設の人に任せっぱなしだろうね、と周囲は思っています。 私自身、祖父の在宅介護の経験がありますが、無償で介護をしなければならない人にとって、終わりのない介護は精神的に苦痛だと思います。身内ならまだしも、他人のお嫁さんは特に。だから、介護施設はありがたいものだと思います。 でも、その一方で、ふと『姨捨山(おばすて山)』という民話を思い出すことがあります。姨捨山は、その名のとおり、お婆さんを捨てる山です。『お年寄りは山に捨てるようにお触れを出していたお殿様が、最終的にお年寄りを大切にするように心を入れ替えた』というような心温まる内容です。 そこで、現代の介護施設は、介護をするのが嫌な家族にとっては、或いは、家族の迷惑になりたくないといって自分から施設を望むお年寄りにとっては、醜い『姨捨山』なのかな、と思うときがあります。 そう思うのは私だけでしょうか・・・?
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- enamamanae
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今は「嫁の世話にはなりたくない」「子供に頼りたくない」と、自ら介護付き住宅や、施設を望むご老人も増えてきました。 家で生涯を全うしたいひとには、言いくるめられて容れられるのは、不本意でしょう。 気持ち的には「捨てられた」と思うかも知れません。 容れる側も、世話をしたくないと思っているなら、ありがたい話でしょう。 でも、施設に容れるにはお金がかかりますよね。 介護保険で賄えればいいですけど、そうでないならかなり高額です。 手と愛情はかけられない分、それなりのお金を出さないといけないあたりは、姥捨山と似て非なるもの、と思います。 それに施設には、介護のプロがいますし、事実上の放置にはなりえません。 黙っていても三食用意され、入浴排泄気軽の世話をしてもらえます。 そういう意味では姥捨山に全くあたらないと思います。 もしかしたら、そういう風に批判されることが怖いのかもしれませんね。 でも、今は時代が違います。 利用できるなら、しっかり利用し、無理に自宅介護して虐待や無理心中にいたることを防ぐ大事なツールだと私は思います。 ただ、看護学生時代にいった施設では、ほとんど家族の面会のない痴呆の方はいらっしゃいました。 学生相手ににこにことたくさんお話くださる方です。 そういう方を見るのは、大変寂しい思いを抱きました。 ただ、それは私個人の感情で、目に見えた愛情表現はないけど、放置をしないことがその方の家族に出来る最大限のことなんだと、今は考えています。
- mama4615
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はじめまして 二児の母です。 家族にも様々経緯があると思うのです。 親でありながらも親としての役割を果たさない人も居ますし、毒親って事もある。 そして現代においては 共働き家庭が増え、育児さえままならない、そんな状態で介護なんて出来る訳もなく、施設も商売ですからね、、、評判は大事ですし、手厚いと思います。 私自身 実親を引き取り暮らしてますが ボケたら面倒看れません。 共働きではない(扶養パートですので)ので 看ようと思えば看れるでしょうけど そこまでしたら 私の役目は出来ません。 私の役目は まずは 子供を育て上げる事です。 学生を脱出させて、社会人になり働ける様になる迄は 私の役目ですからね。 実親には昔から言ってます、、、悪いけどボケたら施設に入れるから、だからボケない様にしてね って伝えてあります。 親も ボケちゃったら施設でいいよ、どうせボケていて分からないから。 って。。。 徘徊したら、、、暴力振るうとか あるじゃない? 水もオムツを気にして飲めないのも可哀想だし。。。
お礼
親が痴呆になったら施設に入れるって決めている若い世代は多いでしょうね。御回答ありがとうございました。
- ki2222
- ベストアンサー率9% (30/328)
介護保険法の趣旨をかいてある法律を読めばわかりますが、姥捨て山ではないです。 入居者は手厚く介護され 介護者も規則にのっとり介護しています。 いいところであると思いますよ。
お礼
もちろん良い所であってほしいです!御回答ありがとうございました。
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お礼
もちろん、食事つき入浴排泄のお世話つき、という意味では、姨捨山にはなりませんよね。御回答ありがとうございました。