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人生の選択

この前ふと思ったのですが(別に自分がそういう気持ちじゃなく多分テレビでそういうシーンをみたのかな) 生きていて精神的もしくは肉体的に苦しく死にたいと思っている人はたくさんいると思うのですが,死ぬと言う選択はなぜ一般的にダメと言う事になってるのでしょうか? 確かに悲しむ人はいます。しかし本人は死にたいほど苦しんでいるのです。 特に宗教関係者からの意見もお願いします

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  • parts
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回答No.3

宗教関係者ではありませんが・・・一応、宗教学は多少学びましたので回答します。 質問者様はもし、死にたいほど苦しいことがあったとして、死ぬことが最善の策だと思いますか? まあ、死にたい人を引き留めることは、誰にも出来ないかもしれません。 それが、本当に死を望む生き方であるならですよ。死することが正義なら、誰にも止められないでしょう。 ただ、多くの場合、死というのは質問にもあるように、苦しみから来るものです。ある意味、まやかしです。死という選択をしない人の多くは、苦しみを受け止めてもその苦しみだけ、喜びを味わったり、苦しみを分かち合える人がいたりするのです。もしも、その死を望む人に、その喜びや分かち合える相手がいれば、死にたいと思う人は、死にたいとも思わないという可能性があるのです。それが、答えであり、人の生きる力というのは、どれだけ負をため込む、どれだけ正を維持できるか、または増やすかによって、変わるのです。もしも、正を負によって失えば、人は簡単に死を選びます。 本当に死にたいわけではなく、死にたいとその瞬間に思う。それを避ければ、人は50年生きるかもしれません。それだけのことです。 ちなみに、自殺を防ごうとする人が世の中にいる理由は、自殺者を抑えられなければ、負が増え不幸が広がるからです。元々、人は群れて生息する集団の心理をもつ生き物です。例え自分が一匹狼のように思えても、自分で衣食住を用意し、一人山小屋や無人島で暮らすことが出来る人は、ほとんどいません。人は、誰かに助けられて初めて、生きることが出来るのです。 その中で、集団の心理はとても大事な条件となります。人々の心が荒み、支え盛り上げる人(ムードメーカー)が一人もいなければ、その集団は集団自決をするかもしれません。先細り子供が減り、絶えるかもしれません。自暴自棄に陥りテロに身を委ねるかもしれません。個の自殺は、そういった集団不安心理を助長する原因となります。 しかも、その心理が分からないと答える人ほど、いざ自分が同じ立場になると、死を選択しやすくなるという、落とし穴もあります。分からない人の多くは、自分は強く、自分で何とかなるものだと思っています。しかし、いざ負のスパイラルに陥ると機能しなくなり、人に頼ることも難しくなります。 結果的に、孤独となります。それにさらなるプライドなどがあれば、死がより身近になり、死が正しい選択に見えるようになります。その周りに、家族や大事な友人がいて、自殺したと聞けば、その家族や友人の心も影響を受けることでしょう。 尚、宗教観は、あくまで人を支えるためのバイブルでしかありませんが、それが必要ない人にとっては、よりどころでもなく、煩わしいものになるでしょう。即ち、宗教観というのは選択の自由があり、必ずしも強制されるものではありません。 そして、教典や聖典などはよりどころであり、信じる人の生き方を支える程度です。 教典や聖典には、死を尊み、自殺を戒める記述があることもありますが、信仰心を持つ人の多くは、それだけをピックアップしたりはしません。どちらかというと、先に書いたように集団で支え合っている心理と己の役割、そして己の小ささを説き、そこから死を選ばせない生き方をさせることが本来の宗教観です。 死が悪いというよりは、死を軽々と選択させる社会は、人々にとっては危険な社会であるということを、知れば誰もが簡単に、自殺者を自分達には関係ないとは言えなくなるでしょう。今は、大丈夫でも将来において、自分が同じ立場に置かれる可能性もあります。 そう考えれば、自殺者を引き留める人、ダメだと諭す人がいることは、とても大事なことです。全く、無関心になり、誰にも止めてもらえない社会が現実になれば、人類は滅びるしかないでしょう。集団で存在していても、お互いがお互いを気に掛けないのですから、個の精神力の弱さが露呈しやすくなります。

tarono1
質問者

お礼

回答ありがとうございます 大変参考になりました あなたの言うとおりだと思います

その他の回答 (3)

  • fujitapari
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回答No.4

客観的に見て、「その辛い状態はきっと克服できて、先に幸せが待ってるよ」と思えるからです。 「今、死ぬのはもったいないよ」という優しい気持ちか、お節介のどちらかが有ります。 「あなたに、その苦しみが分かるか、耐えられるか」と言われても、「はい」と言える自信はありませんが、そういう人は必要と思います。 自分もそういわれて成長した部分は多いと思います。 親や先生やクラブの先輩や、近所のガミガミオヤジなど。 人は基本的に良い人なのでしょうね。

tarono1
質問者

お礼

回答ありがとうございます そうですね元々はみな良い人だと思います 後は許せるか許せないかで変わって来るのかな

  • dogday
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回答No.2

死というのは触れ合えなくなる=縁を切る行為ですので、コミュニケーション上許容される行動ではありません。 私は、死にたがる人には、一度死んでみることを薦めますがね。 死ねば本望なんだし、死ねなかったら諦めろって、いえますから。 そんなに死なないことは経験済みですし、死んじゃう人は命の細い人ですから、自殺しなくてもそれほど残りの人生残っていません。 死に憧れちゃいけないし、もっと生に執着しなきゃ生きていけない。 論より証拠で、自分と向き合うことを薦めます。

tarono1
質問者

お礼

回答ありがとうございます 参考になりました 他人の事を知るよりも自分の事を知るのが一番難しいかも知れません

noname#154773
noname#154773
回答No.1

人生は本人のモノでも人間関係は共同体のモノだからではないでしょうか?

tarono1
質問者

お礼

回答ありがとうございます 最近つくづく思います。 人はどこかで繋がってると

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