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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:観念して生きることにしました。でもどうやって?)

生きる観念とは?どうやって生きるか

このQ&Aのポイント
  • 観念して生きることにしました。でもどうやって?
  • 自殺願望や生きる意欲の喪失に悩んでいます。
  • 今までの自分をぶっ壊すことが必要なのか悩んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

NO.2の者です。お礼ありがとうございました(*^_^*) お礼文の中にご質問を頂きましたので、もう一度僕の思いを書かせて下さい。 >ただ、自分はむしろ、今までの自分は死んだものとして(価値観も考え方も全て捨てて)、全く新しい自分に生まれ変わる意気込みだったのですが、この考えは良くないでしょうか? これはキルケゴールという哲学者が語った人間が登らなければならない3つの階段という考え方がまさにこのようなものであると思います。 人間ははじめは感情的で快楽的な世界を生きます。しかしこの世界はニヒリズムに囚われがちになってしまいます。そこで、そこに留まらず第二の階段を人間は登ります。それは道徳や戒律を守る世界を生きるという事です。しかしその道徳や戒律は、自分以外の誰かが決めたものですから、それに納得する事ができなければ、そこに留まる事はできません。そして第三の階段、信仰に生きる世界へと人間は到達します。信仰とは説明がつかないもの、理解できないものだからこそ敢えて信じるしか道は無いと思う態度です。そう思う主体は常に自分にあり、その自分を離さないという事です。 この階段を上るには命を懸けて、登るか登らないかを選択すべきだとキルケゴールは大真面目に考えていたそうです。私たちが蛇ならば、脱皮を繰り返さねばなりませんが、脱皮は毎回、命懸けですからね。脱皮に失敗して死んでしまう事もありますからね。自分を高めるとはそういうものなのだと思います。 僕の個人的な経験ですが少し書かせて下さい。 僕が3歳位の頃に、僕がきっかけとなって人が一人命を断ってしまったという経験をしました。 僕は小さかったし、ただそこに居るだけでどうする事もできない存在でしたが、10代の頃は自分がその場に居なければ運命は変わっていたのではと随分自分を責めたものです。そうして漠然と死というものに感心を寄せるようになりました。 僕は考える事が好きだったので実際に死んでしまおうとは考えませんでしたが、「自分が死んでしまったら悲しむ人はいるかな?」という事を随分考えましたね。そして「あんな奴死んで当然だ」と思われない生き方とはどういうものなのかという事に関心が移っていきました。 死ぬ事を本気で考えると正しく生きる事へと繋がっているのだと不思議な思いでした。 そうして20代、丁度ご質問者様と同じ様な年頃に、「自分の為だけに生きるのは面白くないから止めよう」と思うようになりました。自分の満足は自分で知る事ができますが、他者の満足は自分で知る事はできません。ですから、そういう分からないものに対する好奇心を自分の生きるテーマにしようと思ったのでした。 これは、これまでの僕の価値観には無かった新しい価値の創造でもあったと思います。ただ、今までの自分を全て無かった事にして全く新しい自分になるというのではやはり無いのだと思います。今までの自分を否定する事からは新しい何かを創造する事はできないと思うからです。あらゆる出来事を受容する事で、人生は少しずつ前進するものではないでしょうか。 そうやって20代を生きて来ましたが、現在37歳にして思う事は自分の欲望にどれだけ純粋になれるかという事です。西洋哲学を少しだけ勉強したからでしょうか、「私は」という主観もやはり大切だと思うようになりました。私はどう思うのか、私は何がしたいのか、そして私は何を失うのかといった事にとても感心があります。 ふと、死ぬ事がとても理不尽なものに思えるのは、私たちは死ぬ覚悟を持って生まれて来たわけではないからです。しかし原因があるから結果があるように、生まれ生きている者は必ず死ななければなりません。生きていないものは死ぬ事もありませんね。 生と死は表裏一体の同じものですが、死というものは謎に包まれてどういったものなのかを理解する事はできません。死ぬ事が理解できないのと同じ様に、生きる事の全貌もまた理解する事はできないのだと思います。 そして私たちが生きるという事は、あらゆる縁に応じて迷うという事だと思います。善には善に迷い、悪には悪に迷う。自然の摂理を受け入れようとしてもやはり迷う他ありません。 自分が何かになろうとするから迷うのだと思いますが、そのまま、全てが光り輝いている事に気がつく事は何より大切な事だと思います。その輝いているものの中に、もちろんご質問者様も含まれているのだと思います。 人間は一度手に入れたものはどんなにつまらないものでも手放したくないものであると思います。そういう思いも考慮に入れて全てを否定する事無く、ご自分を少しずつ変えていく事が良いのではないでしょうか。 この世界は不思議と喜びにも苦しみが、苦しみにも喜びが必ず含まれていますから、こうやって生きなければ幸せにはなれないという事は無いのだと思います。僕にはそれが希望に思えます。 ぶっ壊すのは簡単ですが、受容する事は中々難しいものですね(^^ゞ ご参考になれたら幸いです。

00l0ng_sei
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 キルケゴールの言う「信仰」や回答者様の言う「生きるテーマ」のようなものがあると、強みなんでしょうね。 「受容する」という事については、これから色々考えていきたいと思います。しかし難しいですねぇ…。

その他の回答 (5)

noname#166161
noname#166161
回答No.5

私もNO4さんと同感です。 質問者様は「自由気ままな世界の旅」が似合う方だなぁと感じました。 そして質問者様に必要なこと。。 →「自分の無いもの探しをやめて、自分にあるもの探し」をすること。 >生きる強さがない。コミュニケーションが上手くない。人を好きになれない・・・ 「ない」ことばかりを探して生きていますね^^;「ない」ことは、誰でも探せばいくつでも見つかるものです。→身長が足りない・イケメンではない・愛嬌がない・優しくない・学歴が無い・お金がない・・など 質問者様の場合・・共同生活に向いてない→1人でも生きていける         ・お金のために働きたくない→自分が食べていければ良い         ・自分のペースを乱されるのが嫌→自分のペースを持っている・・など 質問者様の「ある」ことが沢山あるんですよ!そして何より、登山やボランティア、農作業などをチャレンジする力と行動力があること。それってとてもスゴイことですよ!! まずは「自分のあること」を探して前に進んでください。

00l0ng_sei
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「あるもの探し」って難しいですよね。ちなみに、ずっと1人でいることに耐えれるほど孤独が好きでもありません。 まずは、自己啓発系の本を読み漁ろうかと思っています。

回答No.4

何だか「悪くない」気がする、質問者。 同じ「死にたい」でも、 愚痴るだけで何も行動しない言い訳だらけのリストカッター 自己否定しつつ自分を変える気などさらさらないメンヘラさん とかとは、根本的に違う。 ちゃんと行動しているし、自分の頭で考えている。 将来、大化けしそう。 …なんて上からで、すみません。 質問者は単に「現代日本」の枠にあわないだけでは? 書いてある感じでは海外には行ってないようですが。 毎日ペットボトルを大量消費しているのも 大して暑くもないのに冷房をガンガン付けているのも、日本人くらいです。 どうせ質問者は「日本のサラリーマン」になる必要はないのですから とりあえずバイトで金少し貯めて、バックパック背負って着の身着のまま 世界中の多様な価値観に出会いにでかけてはどうかと思いました。 バックパッカーというと、「人好きで、現地の人や宿で出会った他のパッカーたちと ワイワイやるのが好き」というイメージがあるかもしれませんが 決して輪に入らず孤独を好む人もいましたよ。人それぞれ。 ながく旅を続けてれば、肝炎にやられるかもしれないし、 強盗に殺されるかもしれないし、 はたまたアマゾンの奥地で質問者の生きる世界が 見つかるかもしれません。

00l0ng_sei
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 何だか買いかぶられているかも。これまでの自分は、自己否定しつつ、実は自分を変える気などなかったかもしれません。周りの人間や環境が変えてくれるかもなんて期待して…。ここ数ヶ月は2chのメンヘル板も覗いてましたしw 海外って昔から全く行きたいと思わないんですよね。でも、やっぱり今ならアリかも、と思いますね。行くならただの旅行じゃなくて、自然保護のボランティアとかがいいですね。

  • yuko0401
  • ベストアンサー率45% (240/530)
回答No.3

37歳独身の女性です。 質問者様が「うらやましい」と思ってつい回答したくなりました。 私もずっと死にたいと思ってます。小学生の頃からです。団地なので首をつるところもなく、電気コードで自分の首を絞め続けました。 その痕は20代半ばまで消えませんでした。その頃ささいなきっかけで精神科にかかることになり、当時かなり強かった薬を全部飲んで…1週間の意識不明になったことがあります。 本当なら一生後遺症が残るかもしれないくらいのレベルだったそうです。しかしまったく覚えてないのですが、実家などに電話をしていたそうなんです。そのため発見が早く一命を取り留めたと。 一生戻らないかもと言われたにも関わらず、病院側も驚く回復力でわずか3週間で退院。後遺症、肝機能含めてゼロ。 何が言いたいかと言うと、死にたいと言ってる人ほど死なないそうです。入院した病院の看護師長の言葉です。 他の方もすでに書かれてるようですし本人さまも自覚されてるように、死にたいというより生き方がわからないだけかと思いました。 この質問を拝見したのも、このカテゴリーで近い質問をしたからです。 私の質問履歴を辿っていただければわかるかと思いますが、ほんのつい先日、長年悩んでる病症が脳の障害だとわかりました。 ただ、質問者様には当てはまるかはわかりませんので、そういう場合もあるということでお願いします。 質問文を見て気になったのですが、質問者様は「死のうと思った旅行先で思い止まって」るんですよね。もしかしたら定住地を求めず、あちらこちらひとりで渡られるのが「今」の生きる糧なのかと思いましたがどうでしょうか。 23歳なんて若くて羨ましいです。 私は時代的に、大学に行きたくても行けませんでした。しかし高卒という壁があります。そこで「難しいかもしれないけど」通信制の短大で心理学を勉強するため入学しました。 「今更その歳で大学なんていってどうするの」 親含め周りに言われましたよ。でも実際は自分より年上の方が多く学ばれてます。 それに比べれば…。 今まで短期で農村とかで働かれてるようですが、親御さんは実家でちゃんと定職に就いてほしいとか考えてられるのですか?でなければ、経験を積んで言われる通り自給自足の生活とかもありと思いました。ドキュメンタリー番組でそのような生活を送られてる方をテレビで見てきましたが、元々職柄地を転々としてきた人とかが多いと思います。 私は今でも薬があっても普通の人のように生活できない身ですから、実家(に戻りました)で今は生きていくしかありませんが、質問者様はまだ試すべきことがたくさんあると思います。だから「羨ましい」。 回答になってないかもしれませんが、参考になれば幸いです。

00l0ng_sei
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「死にたいと言ってる奴は死なない」 この言葉を聞く度に、「ちくしょう、いつか絶対自殺してやる」と思ったものです。しかし、結局死ねなかった。真理ですね。 自分のこの思い悩みが、病気から来るものではないか、と考えたことは何度かあります。が、その度に「だったら何なんだよ」と思って、病院には行きませんでした。というか、たぶん病気じゃないと思いますけど。 旅ってたまにするからいいのであって、移動し続ける遊牧民のような生活は疲れるだけな気がします。結局、「どこかで田舎暮らし」に落ち着く予感はあるのですが、何にせよ現在の価値観や考え方では生き辛い事は確かです。親は、本来は定職に就く事を望んでいると思いますが、大学をさぼった頃から半ば諦めている様で、まあどっかで生きていれば特に何も言わない気がします。 回答者様こそ心理学を勉強したいという意欲がおありで、羨ましいです。自分は何もしたいと思えませんから。

回答No.2

よく生きて帰ってこられました(*^_^*) 今生きている。それだけで良いのだと思います。 人間の頭は価値を計って差別する事が得意ですから、頭だけで考えているのが自分であると錯覚してしまうとニヒリズムに囚われてしまいがちですよね。無気力で無責任な言葉を使い、全てを否定してしまう。楽しみを創造できない態度は生き辛さに繋がってしまいます。 ご質問者様が自殺を踏みとどまられたのはご自身でも気がつかない無意識の自分が生きる事を諦めないからです。無意識の自分は意識下の自分に語りかけてくる事はありませんが、心拍を早くしたり、お腹を痛くしたりといった無言のメッセージを送ってきます。 無意識の自分とは内臓の事です。要は体ですね。ご質問者様があれこれ考えているのは頭だけではないのです。体だってしっかり考えています。そして頭で考えるよりも先に心臓を動かしている。頭で心臓よ止まれと思っても、止める事はできません。体に宿るもう一人の自分は常にご質問者様と共にあって、ご質問者様が今まで生きてこられた全ての時間、生きる事だけを休む事無く考え続けているのです。 そういう自分がもう一方で居るのです。そう易々と命を絶つ事を許しはしません。体は生きる事にひたすら前向きで貪欲なのですから。 頭と体の不一致が、生きる事を少し難しくしています。この不一致を解く事が問題を少しずつ好転させると思います。もっとずっと生きる事が楽になります。体は、心臓が止まるまで生きる事に前向きであって欲しいと願っているのですから、それを頭で受け入れる事で和解へと到ります。 そして、ご質問者様がこれからどうやって生きる事への愛を再生させて行く事ができるのか。面倒でももう一度はじめからやり直す事ができるのか。その再生の体験は、同じ様な悩みを持つ人に希望を与える事になると思います。 現状が悪ければ悪いほど、その分良い方向に伸びるのりしろも大きいと思いますよ(*^_^*) これからは、ご質問者様が今までの人生を一から十まで良い事も悪い事も全部含めて、もう一度、いや、何度でも何度でももし繰り返すとしても、その全てをご自身が納得して受容する事ができるかどうかが問題となるでしょう。 もうこんな人生一度きりで良いと思ってはいけません。自分の人生を何度でも繰り返そうと思える状態まで生きていられるうちに目指すべきだと思います。どんな事があろうと、自分の人生を肯定する為に私たちは生きる時間を与えられているのだと思うからです。 ご質問者様の生きる悦びをご自分から奪わないで欲しいと思いました。 生きていれば何とかなりますよ! 諸行無常がこの世の本質なのですから、死にたい自分もいれば生きていたい自分も自分の心の中から必ず出てきます。楽しみを見つけると魂の扉が開きます。ご自身の心の中のまだ気がつかぬ扉を沢山開けて下さい。生きる悦びはご自身の生を増進させます。 どんなに辛い事があっても前向きに生きなくては面白くありませんね。 ご参考までに。

00l0ng_sei
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「体が生きたがっている」というのは正にその通りだと思います。 ただ、自分はむしろ、今までの自分は死んだものとして(価値観も考え方も全て捨てて)、全く新しい自分に生まれ変わる意気込みだったのですが、この考えは良くないでしょうか?

  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.1

人間は産まれる先を指定することができません。 嫌でも産まれた親・兄弟、友人と縁があるものです。 そのような俗世間との関わり合いを絶つには死ぬか出家しかありません。 仏教ではこのような魂の救済のために出家の道を用意しています。 自ら命を絶つとあの世で救済されないと云われています。 あなたがあの世を信じるか否かは分かりませんが、 この質問をしたのも何かの縁でしょう。 それでも自殺を選ぶのであれば、それは寿命だったということです。 もし、精神的な鍛錬を希求しているのであれば出家の道を模索してみて下さい。 ただし、出家は生半可な覚悟ではできません。 永平寺の様子を掲載しておきます。 http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/soutou1.htm

00l0ng_sei
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 出家は、高校時代から何度か考えたことがあります。 しかし、「煩悩を捨てることなんてできなさそう」とか「結局宗教なんて死ぬのが怖い人間がつくりあげた妄想だろ」などと思ってしまい、すぐに選択肢から消し去っていました。 しかし、今となってはいっそアリかも、とも思いますね。

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