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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:求む、「一を聞いて十を知る」(ことわざ)の具体例)

能力に恵まれた者や努力によって成績をものする生徒、そして一を聞いて十を知る人とは?

このQ&Aのポイント
  • 「一を聞いて十を知る」ということわざについて、教育現場の経験を通じて考察します。
  • 一部の生徒は教えれば理解するが、難易度の高い問題は解けないことが多い。
  • 「一を聞いて十を知る」という人は経験を積み、多様な問題のバリエーションを知っている。

質問者が選んだベストアンサー

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  • bara2001
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回答No.5

一を聞いて十を知る、というほどではなくても、一を聞いて二か三を考える、ことくらいはしてきましたよ。 ある公式があっても、それが特定条件に限定された公式であれば、教科書には無くてもそれをもっと一般化した公式にしようというのは普通のことです。 あるいは、たとえば、数列と、指数・対数を学んだ後に、これを組み合わせて級数を作ったときに一般項はどうなるか、なんてのも考えます。 私が受験生だったころ、その一年前の高校2年で考えたのと同じ発想の問題が名古屋大学の入試に出題されて苦笑した思い出もあります。 図形関係の問題は、最低限でも幾何と座標系とベクトルの3種類の解法を検討します。 ちなみに私は法学部卒の文系です。 国語、英語、社会などは知らないことは答えることはできませんが、数学は頑張って考えれば答えが見つかります。 (もっとも国語のうちでも現国の論説分はほとんどの答えは問題文中にありますが) 一を聞いて一気に十を知るのではなく、こつこつと二や三や、四や五をを積み上げている方が多いと思いますよ。

dddmmgrru
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 一般的な解法を知り、それを自分流にアレンジできるのは一種の才能だと思います。たとえば初等的な加減乗除の混合計算問題をミスしないで解こうとするときに、計算ミス回避の方法を自分流に編み出したりします(きっと裏技的な技術で機転の利く頭の持ち主なら、きっとだれでも思いつくようなものでも、他から教えてもらわないから自分で編み出したと、その当時は思いこむ)。 >一を聞いて二か三を考える これは、きっと、数学なら論理の先を見通せる力があったのだと思いますね。創造の神様はまったく不公平に才能を各自に分け与えるものですから、ときどき多くの人に見えない道がある人にはよく見えることがあるようです。 >一を聞いて一気に十を知るのではなく、こつこつと二や三や、四や五をを積み上げている方が多い 現実にはそうでしょうね。

dddmmgrru
質問者

補足

質問の主旨である「具体例」をお答えいただいた回答が一つしかありませんでした。 今回はこれをベストアンサーとします。

その他の回答 (5)

回答No.6

>申し訳ありませんがそれ以上の感想はありません。後半の文章は、これまた申し訳ありませんが意味不明です。 同じ物を見ても個人によって認識が違うという例ならあげれます、ってことで理解をお願いします。 ∞+1=∞を見て、真理と見る人もいれば・認知的不協和(いらいら)を起こす人もあります。 アインシュタインはE=mc~2を見て美しいと感じます。 いらいらが論理の脱線を阻止したり 美的感覚にそって論理が勝手に紡ぎ出される時があるのではないでしょうか。 または数学独特のお約束に気づいて気をきかせて援用しようとする。 それが十を知る状態になるかもしれませんね。 貴方は数学の世界にいるようですのできっと何か伝わると思いますがどうでしょうか?

dddmmgrru
質問者

お礼

再びの回答に感謝します。 >∞+1=∞を見て、… これは一体何を表現しようとされているんでしょうか? 集合の濃度?だとすれば非常に曖昧な表記ですね。 >>これまた申し訳ありませんが意味不明です。 という感想に変更はありません。

noname#194996
noname#194996
回答No.4

>例えば数学オリンピックあたりの問題 を解く人がそうなのですね。 ざらにはいないということでしょう。 もちろん私も出遭ったことはありません。 1を10に展開できたかどうかは知りませんが、新しいことを見つけるひとは世には少なくないと思います。皆無ではないのでしょう。このことと無関係とは思えませんが、創造という人間の頭の中の「現象」の分析はまだしっかりとは出来ていないようです。

dddmmgrru
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 数学オリンピックの問題は一例として挙げました。解法を読んでみると、小学校→中学校→高等学校→大学と段階をおって積み重ねていく数学的教養とは少し別の一種の「質的飛躍」を感じますね。ここらあたりが「一を聞いて十を知る」ということなのかな、とぼんやりと思ったりしています。 そういう飛躍が「ブレークスルー」と呼ばれたりするのでしょうね。 よく教える側は自分より頭がいい生徒に出会うと「嫉妬」するといいますね。 友人の話ですが、名古屋の予備校のスーパーレベルクラスは中学生で大学教養レベルの数学を教えているとのことです。友人がその講師をしていました。 その講座を受講している何人かの中学生でとびきり出来る女の子が一人いたそうです。その子だけが講義内容を理解していて、他の生徒はなんとプライドだけで出席しているとか。 その子は中学の数学の先生から嫌われていたそうです。 自分の経験でも、「これは頭いいなあ」と感じたのは今までで一人だけいましたね。その生徒は「10を聞いて10を知る」タイプ。教えた内容に関してはほぼ完璧に理解していました。それでもその才能に嫉妬するところまではいきませんでした。当時は、その理解力を目の当たりにして、「自分も中学生のときにこれくらい理解力があればなぁ」と思ったものです。その生徒は地区のトップ公立校に入学し、どういうわけかその後失速し、中堅レベルの大学に行きました。(人生は分からんもんです) ま、こちらが伯楽ではないから名馬をみつけられない、ということもあるでしょうね。

回答No.3

えーと まず論語の表現法を真に受ける方に問題があるような気がします。 顔回は貧乏であるが知性は完璧である人物として描かれています。 弁舌に優れていた子貢が「学問好きの顔回は私の5倍先を見通せます」と表現するのを そのまま受け止めることはないと思います。 弁舌に優れる子貢のただの修辞だと思います。 そもそも数学(または一般的な科学)で、1を聞いてそれをそのまま10倍先に当てはめるのは危険だと思います。 例えば、 ∞+1=∞を唱えたカントール(だったと思います)は、それを認めない人達に迫害を受けました。 小学生・中学生の常識では成り立ちませんから。 もちろん迫害した人間は同じ数学者・科学者です。 最初に聞いた1を大切にするあまり、新しい視点を迫害する人間になるかもしれません。 と、質問者さんの文を読んで思いつきました。

dddmmgrru
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >論語の表現法を真に受ける方に問題がある そうですか、真に受けたように受け取られてしまったのですね。 こちらも社会経験はそれなりに積んでいますから、比喩などととりたてて申し上げることもないとタカをくくっておりました。まったく表現は短くなるほど難しいものですね。 申し訳ありませんがそれ以上の感想はありません。後半の文章は、これまた申し訳ありませんが意味不明です。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.2

こんにちは。 特に数学ですが、 ちょっとヒントを与えただけで、問題が解けたり公式や定理さえも導出できたり、という人は自分も含めて周りに普通にいましたけど。 そのときは本人にとっては新発見なので、解法の蓄積とかはあんまり関係ないと思います。 そういうのを解法の蓄積の一種だと言ってしまうと、小学生でも微分法や加法定理を編み出せるのは当たり前という理屈になってしまいます。 さらには、それをきっかけに興味を持って、どんどん高度なところまで自主的に勉強し始める、というパターンもありますね。

dddmmgrru
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 誤読を誘導してしまったようですね。 教える側からすると、質問の意図が十分に伝えられないのは伝える側の未熟ということになります。 ホントを与えるのは、ガイディングといって、教育的配慮があれば平凡な理解力の持ち主でも >問題が解けたり公式や定理さえも導出できたり ということは比較的簡単な作業で、とりたてて珍しい光景ではありません。 >そういうのを解法の蓄積の一種だと言ってしまうと、小学生でも微分法や加法定理を編み出せるのは当たり前という理屈になってしまいます。 これは何をおっしゃりたいのか判定しかねます。No.1の方同様に具体的に説明(できれば)をお願いいします。 ともあれ、こちらの質問の拙さからミスリーディングしてしまったようですね。

dddmmgrru
質問者

補足

お礼中の >ホントを与える は >「ヒ」ントを与える の誤入力でした。まったくお恥ずかしい間違いです。

noname#222486
noname#222486
回答No.1

あくまでも諺です。  頭の回転が良く「一を聞いて十を知る」ような人です。 そのような人に出会うことはまずない、というかわからないでしょう。 一を言っている出題者の意図とすることを十を理解した思っても出題者と一致しているかどうかはわかりません。 頭の回転がよい人のことを諺では「一を聞いて十を知る」と言うことでいいのではないですか

dddmmgrru
質問者

お礼

早速の回答をありがとうございます。 あくまで諺だという解釈ですね。 そういう人物は周りにいなかった。 >一を言っている出題者の意図とすることを十を理解した思っても出題者と一致しているかどうかはわかりません これは何をおっしゃっているのか理解できませんでした。具体的に説明(できれば)をお願いいします。