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無宗教の供養・初盆・一周忌について
- 無宗教の供養・初盆・一周忌についてまとめました。
- 無宗教の方法で父の供養をするためのアドバイスをお伝えします。
- 父の初盆・一周忌・その他の供養方法について考えています。
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質問者が選んだベストアンサー
こんばんは、はじめまして。 私の亡き父は無宗教で、亡き母はプロテスタントのクリスチャンでした。 二人の遺児として、私は信念をもって、何もいたしておりません。 自宅のリビングに家族写真(遺影に見えなさそうなのを)を飾っているだけです。時々傍に二人が好きだった花(仏花にあらず)を飾ります。 仏壇も位牌も作らないし置きません。 もちろん生まれてこの方私は初詣に行ったこともございません。(神道を信じる方にかえって失礼と両親の考え) これまでの経験から言うと、亡き父の無宗教の重視して、お盆や法事等を「信心していないので、かえって不敬にあたる」とつきあい程度にさえ行わない姿勢を通すのは、この日本ではかえって風当たりが強いですよ。 お盆の時期だけは、両親のためより、仏教が当然と考えてお参りしてくださる親戚が戸惑ってしまわないように、遺骨が納まっている納骨堂にお花を飾り線香とろうそくを置いて自由にお参りしていただけるようにしています。
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- 光明寺 徹性(@koumyoji33)
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こんにちは。 質問者様は無宗教ということなので、供養も初盆も一周忌も必要ないのではないですか? 供養をしたいとか初盆、一周忌をするという行為は宗教に基づいてする行為です。 新しく宗教を立ち上げられるならともかく、どの宗教に基づいて行われるのか決めないとできません。 宗教とは考え方を拠り所とするということです。 仏教ならばお釈迦様のお示しになられた考え方と私の人生の歩みを照らし合わせて、仏教を私の日々の歩みの指針とするということです。 キリスト教ならイエスキリストの示された考え方を指針とします。 それぞれの宗教には考え方があってどの考え方を拠り所とするかによって歩み方も変わってくるのです。 死後の世界も、仏教なら極楽もしくは浄土です。 キリスト教やイスラム教なら天国です。 無宗教では死後の世界はありません。 お父様は浄土真宗でご葬儀をされましたので浄土で仏様となられて質問者様を見守っておられます。 質問者様は偏見をお持ちのようですが、私は浄土真宗の道を歩まれたお父様なら、浄土真宗をお勧めなさるかと思います。 お父様を安心させてあげるためにも自らが安らぐ宗教を見つけてください。 お父様が一番喜んでくださるのは、質問者様が精一杯の人生をお歩みくださることではないでしょうか。 そのためにも指針はお決めくださった方が心安らぐ日々をお送りいただけるかと思います。 質問者様が、お父様の喜んでくださる生き方をされることが一番の供養です。
お礼
ありがとうございます。 浄土真宗への道は父自身が決めたわけではありませんので勧めてくるとは思えません。 浄土真宗に偏見はありません。祖母が信じる道と同じ道に行きたくないだけです。 私と同じく無宗教である父や母のように私は私の道を決められます。 故人を偲ぶ儀式の名称を供養・初盆・一周忌などしか知らなかったため、 無知ゆえに、それらの言葉を使いましたが、 故人を偲ぶ気持ち・行動は宗教の垣根なく行えるものだと思います。
>生前は父も無宗教でした。 入門は、仰られる通り、父本人の意思とは無関係で行われた祖母の一存です。 入門を父が望んでいたとも思えません。 日本人は自分が亡くなるまでは無宗教の人が殆どです。 私の夫も両親もそうでしたし、もちろん私も無宗派です。 でも一たび亡くなれば、当然の様に昔から受け継がれてきた、ご先祖様の宗派のお墓に入ることになります。 仏教の家、神道の家、色々ですが、キリスト教や創価学会などは別として、日本の家には受け継がれて来た宗派があります。 だからおばあ様も何のためらいも無く、お父様をご先祖様と同じ宗派のお墓に葬られたと思います。 >宗派を問わず受け入れてくれるお寺もあるのですね。 しかし、お寺に持っていくと檀家とまではいかないにしても、 何かしらのしがらみが生まれそうなのですが、永平寺は大丈夫なのでしょうか? お父様をお預けする以上、お守をして頂くお布施は必要かと思います。 せめて年に一度くらいはお参りに行かないといけませんしね。 まさか預けっぱなしで放ってしまわれるなんてないですよね。 それなら写真とお骨を置いて、自分の祭り方で祭られた方が良いともいます。 お父様が生前好きだった物をお供えしたり、時にはお骨とお酒を酌み交わしたり、 悩み事を聞いて貰ったり、楽しかったことを聞いて貰ったり、朝夕のご挨拶をしたりとか。 いくらでも祭り方はあると思います。 何度も気に障る事を言いますが、お父様は本来祭られるべきところに既に祭られておられます。 自分の怒りに任せて色々とお父様を振り回しても、何ら良い結果は得られないと思います。 ご両親の離婚や何やかやと、きっとおばあ様が関係して、質問者様としては許しがたい問題が沢山おありなのだと思います。 お気持ちは本当に良く分かりますけどね。
お礼
ありがとうございます。 私が生きている間は預けっぱなしにするつもりはありません。 ただ私は子供が出来ないため、その後は父には申し訳ないですが 預けっぱなしになってしまうでしょう…。 分骨後に遺骨をずっと手元に置いておくのは法律違反だというのを見て どこかに預けなければならないのかと思っていましたが、いいのですか? もしいいのだとしても私が死ぬ前にどこかに預けなければなりませんね。 祖母が私だけを攻撃してきたなら怒りはおさめられたと思いますが 父や母の事を傷つけたのは、たった1年足らず許せそうにありません。 死後何も言えなくなった父をないがしろにし、母も犯罪者扱い。 母が悔しそうに泣いている姿が頭から離れません。許せません。
我が家も浄土真宗西本願寺派です。 浄土真宗では、全ての人は死ぬと直ぐに阿弥陀の元の参ります。 だから49日を掛けて浄土に行くと言う、他宗派とは全く教義が違います。 本来はお墓も仏壇も必要ない、心でお祭りする宗派です。 亡くなられた魂は皆さん「南無阿弥陀仏」の5文字の元に集まって、阿弥陀様と共に子孫を見守ってくれていると言う教えです。 だから子孫の争いは喜ばれません。 本来は高い仏壇も、お墓も、何も必要ないのです。 阿弥陀と共に、ただただ子孫の繁栄を見守ってくださいます。 だから無宗派で祭るのと何ら変わりません。 様は祭る人の心です。 ご自分の好きな様になさって良いと思います。 意に沿わないかも知れませんが、お父様は既にご実家で浄土真宗で祭られているのですから、質問者様がどんな祭り方をしようと、関係ないのです。 様はご自分の気持ちを如何に折り合いをつけるかの問題です。 だから気のすむ方法で全くかまわないと思います。 また無宗派で供養したいと言うことは、何処の祭り方にも属さないと言うことです。 ご自分が一番気のすむように、誰かに祭り方を聞くと言うことは、その教えてくれた人の宗派に従うと言うことです。 本当に無宗派で祭るんであれば、別にここで誰に問うことも無いと思いますが?
お礼
二度もご回答いただき、ありがとうございました。 だんだんと方法が見えてきました。
- mibuna
- ベストアンサー率38% (577/1492)
浄土真宗は門徒の死後は極楽浄土へ往生したと必ず言いますので先祖供養は必要ありません。 (私も門徒ですが真宗禿のこの屁理屈には反吐が出ますが教義でそうなっているので仕方ありません)
お礼
ありがとうございます。 しかし浄土真宗に倣うつもりはありません。
- bara2001
- ベストアンサー率30% (647/2111)
いまどきはマンション住まいで仏壇の無いお宅も多いです。 (マンション用の一見家具に見える仏壇もありますが) 箪笥の上にお骨と遺影と位牌を置いて、簡単に供養される方もいます。 >初盆や一周忌は、父の好きだったお酒やおつまみをお供えすれば、 > 帰ってきた父は喜んでくれるでしょうか? それでよいのではありませんか。 それで気がすまなければご自分で般若心経くらいはあげても良いかもしれません。 (すごく短いお経ですが、仏教のエッセンスが詰まったお経です。仏具店に行けば売っていると思いますし、岩波文庫なでにもあります) 折をみて、永平寺などのように宗派を問わずに受け入れてくれるお寺に納骨すればよいでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 分骨後、マンション用の仏壇も見てきましたが、 仏壇=仏様=仏教という考えになってしまうため、 無宗教とはまた別のものになるのではないかと思い買うのをやめました。 遺影・位牌・遺骨は祖母が持っているため、 分骨して頂いたわずかな遺骨と生前撮った写真しかありません。 とりあえず今はリビングにそれらを並べて置いてあります。 宗派を問わず受け入れてくれるお寺もあるのですね。 しかし、お寺に持っていくと檀家とまではいかないにしても、 何かしらのしがらみが生まれそうなのですが、永平寺は大丈夫なのでしょうか? そういったお寺がある事さえ知らなかったので、糸口が見えたような気がしました。 調べてます。ありがとうございます。
- emuancha
- ベストアンサー率29% (478/1614)
変な考え方ですなぁ・・・ 父上は浄土真宗に入門した教徒です。生前はどうだったのかは知りませんが,亡くなって浄土真宗の作法に従って(本人の意思とは無関係だが)入門して教徒になったのです。他の宗派での供養は喜ばないのでは。供養は法要はあなたの宗教観とは無関係で,故人がお世話になっているお寺の作法に従って行なうものです。
補足
生前は父も無宗教でした。 入門は、仰られる通り、父本人の意思とは無関係で行われた祖母の一存です。 入門を父が望んでいたとも思えません。 詳しく言うと長くなるので言えませんが、祖母は父の生前の思いを踏みにじる行為をしたため、 父の気持ちを考慮して入門を決めたとも思えません。 言い方は悪いですが、父は、何も言えなくなった死後に祖母に無理やり入門させられたのに 「父がお世話になっているお寺」「他の宗派での供養は喜ばない」というのはおかしいと思います。 無理やりでも入門させられるとその宗派の考えになるのですか? 父本人の生前の遺志は関係ないのですか?どこに消えてしまうのですか?
- tiltilmitil
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本当に「無宗教」なら宗教的儀式も否定することになるでしょう。何か特定のやり方に従った場合、名前は知らなくてもその宗教のやり方に従うことになる。「無宗教」にこだわるならなにもしないか、自分自身で考えて気の済むようにとしかないでしょう。
お礼
ありがとうございます。 何もしないのは父に申し訳がないです。 父の日のように父が喜ぶことを考えてしてみようかと思い始めています。
お礼
ありがとうございます。 親戚が集まるお盆は、位牌・仏壇を持っている祖母が毎年執り行っていますので、 親戚の方々の戸惑いは無いと思います。 祖母も遺骨を持っているのに、わざわざ分骨のある遠方の私の家に来ないでしょう。 今年からは私は祖母の家に行けないので、そちらの戸惑いはあるかもしれませんが…。 ですので、父と自分の事だけを考えて偲べれば大丈夫です。 参考にさせて頂きます。