• ベストアンサー

世界のnakataについて

批判的な意味ではなく、純粋な質問として伺いますが 中田英寿選手はアジアでもTOPレベルの知名度があり、それにふさわしいサッカーの能力をもっていたとのことですが、 実際のゴール数、アシスト数に関して言えば、とびぬけて多いような気がしないのですが、 それでもすごい!といえるところはどういうところだったのでしょうか? 自分がちょっと知ってることといえば 視野が広く、いわゆるキラーパスを出すことができる フィジカルが強い 体力がある ということくらいでしょうか。。。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yandenman
  • ベストアンサー率60% (45/74)
回答No.6

もう、放置されてしまった質問かもしれんが、目に留まったのでコメントを。 初めてW杯に出た1998年フランス大会の時。 初戦アルゼンチン戦に敗れた後、試合会場があったトゥールズの街に飲みにでたんだが、待ち行くフランス人やバーで飲んでたいろんな国のサポーターが、自分たち(日本人)を見ると「ナカータ」「ナカータ」と声をかけてきてびっくりした。 前日までは「日本ってサッカーやっていたのか?」なんて質問ばっかりだったのに、あの90分で世界中の目の肥えたサッカーファンから認められたということは、ものすごい事だと感じた。 ビッグクラブでたくさん点を取ることだけが評価ではない。今でも世界中に「ナカータ」を知るサッカーファンがたくさん居ることが彼の評価だと思う。

その他の回答 (5)

回答No.5

↓の人なぜ中田の質問にパクチソンをごり押ししているのかわかりませんが、 >その選手が大成するかはその時代とチーム事情、監督に恵まれるかどうかといった巡り合わせによるところが大きいと思います この部分と私の説明した中田の不運続きのサッカー人生はぴったり当てはまりませんか? 中堅クラブを転々としていただけ…にも関わらず世界で評価を受けていたのは欧州の目の肥えたファンからはしっかりと実力を認めてもらえていたからです。 特にイタリアでは。 過小評価されていたからこそ中田に見合ったポジションを与えられなかったり等(まさにあなたのおっしゃられた監督に恵まれたかどうか…で恵まれなかったのです)、あの程度の活躍しかできなかったと言った方が正しいでしょう。 ただし、中田の性格にも問題はあったとは思います。 パクチソンが例に出ましたがパクは確かに韓国人には珍しく献身的で人間性も優れた汗かきプレーヤーですのでその点で評価をされていますが、中田はボランチや汗かき役を嫌っていたらしいです。 だからと言ってパルマ時代にトップ下かボランチで起用されていたのなら、おそらくもっと成功していたでしょう。 そのパルマを出て再出発のその後のサッカー人生は…↓で書いた通りでまさに惜しい感じです。

noname#184449
noname#184449
回答No.4

サッカー好きのおっちゃんです ご質問者様はあっさりと >視野が広く、いわゆるキラーパスを出すことができる >フィジカルが強い >体力がある と書かれていますが、中田以前の日本人プレーヤーはコレが出来なかったんです。 当時の世界3大リーグで。 中田以前の日本人プレーヤーで一番欧州で活躍したのはブンデスリーガの奥寺ですが、ポジション的にはサイドが主で中田のような「使う選手」ではなく、あくまで「使われる選手」でした。 つまり、中田のような「司令塔然」としたプレーヤーで、あそこまで成功したプレーヤーはいなかった。 これが彼の評価を確立した一番大きな要因でしょう。

回答No.3

同じ日本人なので中田氏を贔屓するのはわかりますが、ハッキリ言って過大評価されています。 コンタクトプレーの強さとキラーパスは確かに認めますが、実際にはセリエAの中堅クラブを転々としただけです。Cリーグで優勝を狙えるビッグクラブからスカウトされたパク・チソンとは違います。 その選手が大成するかはその時代とチーム事情、監督に恵まれるかどうかといった巡り合わせによるところが大きいと思います。パク・チソンがマンUにスカウトされたのはみなエゴに走るプレーヤーばかりで、中盤の献身的な『汗かきフレーヤー』がいなかったためです。パク・チソンは性格的にそのようなポジョンを嫌がらないのです。

回答No.2

ゴール数だけで選手の価値は計れません。 例えばインテルのスナイデルもレアル、インテルで計4年プレイしてますが二桁ゴールはないです。 ジダンもそうです。リベリーもそうです。ウォルコットもそうです。パクチソンも二桁ゴールは無いです。 (間違ってたらすみません) そのほかにもゴール数は低くてもワールドクラスと言われている選手はいっぱいいます。 >視野が広く、いわゆるキラーパスを出すことができる >フィジカルが強い >体力がある これらのレベルがずば抜けていたのと、ボールを絶対に取られないキープ力が凄かったです。 中田はボランチを嫌ってたようですがずっとボランチでやっていればレアル行っててもおかしくなかったと思います。(トップ下でもずっとやっていればおそらくビッグクラブにいけたと思う) サッカーの試合を見てて、対戦相手のフィジカルが強くプレッシャーが凄い相手との対戦でよく後ろからタックルされてボールを取られたりプレッシャーに負けてミスする選手いますよね?そんな時でも中田がボールを取られる所を見た事がありません。この凄さは過小評価されてると思います。 セリエAデビューは鮮烈でした。あのユベントス相手にいきなり2ゴール。1年目にして10ゴールの二桁得点。(これはすごすぎる。クリロナも三大リーグで二桁は4年かかった) あと、ローマ時代にスクデットのかかった大事な試合(ユベントス戦)で当時イタリアの至宝だったトッティに変わって途中出場した中田が同点ゴール(同点だったかな?)を奪うなど、2点ビハインドの試合から中田が出ていっきに追いつきスクデットを引き寄せローマの王様(トッティは王子様)と呼ばれるようになるなど今でも語り草になっている伝説のゴールがあります。 そのローマ時代ですが、トッティがいたのと外国人枠などの問題で出場機会が運悪く少なかったのです。 出ても途中出場がほとんどでした。これではゴール数を増やすのも難しいです。 その後のパルマ以降も中田の実力は誰もが認めているものの運が悪いサッカー人生だったと思います。 トップ下でペルージャローマ時代で試合にさえ出れば結果を出しまくっていたにも関わらず右サイドで動きを制限されるなど、 その後のボローニャでは中田にボールを預けると安心との事から「中田銀行」とチームメートから呼ばれる等の活躍をしたにもかかわらず経営破たんで移籍。 フィオレンティーナでは(ボローニャ時代に代表との過密日程から発症した)グロインペイン症候群が完治せず低調なパフォーマンスに終わり、 イングランドへ移籍したはいいが代表の試合を優先するばかり監督の信頼を失い、それでも能力はあるので試合には出るようになるがロングボール主体の戦術には中田の技術が最大限発揮される事はなく、結局30歳という若さでの引退。 こういった経緯で中田の実力は誰もが認めるものの不運だというのも誰もが認める事であり、 パルマを去るときもイタリアメディアからは「中田はイジメに屈しなかった」などと言われてました。 あと中田が評価されていたのはサッカー以外も、イタリア語が早い段階で流暢に喋れるようになり、イタリア人からはイタリア人のようだ、などといわれ人気が出たのと、頭がよく見えるかのよーなクールな受け答えで人間としても(何かコイツすごいぞ…みたいな感じでw)評価されていました。 あとデルピエロと仲がよく中田の実力はワールドクラスの選手からも称賛されていました。 中田は誰もが認める一流の選手だったのです。

  • ryosuke-s
  • ベストアンサー率24% (60/250)
回答No.1

視野が広く、いわゆるキラーパスを出すことができる フィジカルが強い 体力がある ここまではピッチ上のヒデ選手の特長ですね。 他には特異な人生観や所属事務所のプロモーション戦略が挙げられます。 事務所は前園選手の選手生命を台無しにしたのを教訓にCM撮影拘束時間の短縮など注意を払ったようです。 私は 1.ローマ時代にOHのトッティとではなくDHのトマージとポジションを争って06W杯イタリア代表ピルロのようなプレーをすべきだった 2.06W杯で小笠原一派を子供扱いするのではなく歩み寄るべきだった 3.カフーも追いつけないキラーパスだけではなく小野や名波のような足元に合わせるパスも使うべきだった この3点があればさらに上のステージに上がれたと思います。 すごいことはすごいですが世界的な評価は弱小国のスターであって世界のスーパースターではありませんし私もそこを残念に思います。

関連するQ&A