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前世について
前世占いなどをよく見かけますが、必ず何かしらの前世が表示されます。 もし生まれ変わりがあるのだとしたら、地球上(宇宙上?)の生命体の分母は変わらないはずです。 ですが、どんどん増えているように思います。 という事は、前世が無い人もいるのでしょうか? 前世が無い人はどこから生まれてくるのだと思いますか? 7回きり転生するといわれている輪廻転生や、生まれ変わりは無いとされている宗教もありますが 人は延々生まれ変わっているという考えに限定して皆さんの考えを聞かせてください。 ※どなたの意見が正しいなどは決めるつもりがありません。いろんな方の考えが聞きたいだけです。
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- nontro_08
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創価学会の者です。創価学会の戸田二代会長は「生命論」という論文を著したことがあります。少し長いですが、引用します。 「『生命とは何か』『この世だけの存在であるのか』『それとも永久につづくのか』これこそ、永遠のナゾであり、しかも、古来の聖人、賢人と称せられる人々は、各人各様に、この間題の解決を説いてきた」 「生命とは、宇宙と共に存在し、宇宙より先でもなければ、後から偶発的に、あるいは何人かによって作られて生じたものでもない。宇宙自体がすでに生命そのものであり、地球だけの専有物とみることも誤りである」 「アミーバから細胞分裂し、進化したのが生物であり、人間であると主張し、私の説く永遠の生命を否定するものがあるであろう。しからば、灼熱の地球が冷えた時に、なぜアミーバが発生したか、どこから飛んできたのかと反問したい。 地球にせよ、星にせよ、アミーバの発生する条件が備われば、アミーバが発生し、隠花植物の繁茂する地味、気候の時には、それが繁茂する。しこうして、進化論的に発展することを否定するものではないが、宇宙自体が生命であればこそ、いたるところに条件が備われば、生命の原体が発生するのである。 ゆえに、幾十億万年の昔に、どこかの星に人類が生息し、いまは地球に生き、栄えているとするも、なんの不思議はないのである。……あるいは蛋白質、そのほかの物質が、ある時期に生命となって発生したと説く生命観にも同ずるわけにはいかないのである。生命とは宇宙と共に本有常住の存在であるからである」 「(法華経)寿量品の自我偈には『方便現涅槃』とあり、死は一つの方便であると説かれている。たとえてみれば、眠るということは、起きて活動するという人間本来の目的からみれば、単なる方便である。人間が活動するという面からみるならば、眠る必要はないのであるが、眠らないと疲労は取れないし、また、はつらつたる働きもできないのである。そのように、人も老人になったり、病気になって、局部が破壊したりした場合において、どうしても死という方便において、若さを取り返す以外にない」 「……(人は)喜んだとしても、その喜びは時間が経つと消えてなくなる。……どこかへいってしまったわけではないが、心のどこかへ溶けこんで、どこをさがしてもないのである。 しかるに、何時間か何日間かの後、また同じ喜びが起こるのである。また、あることによって悲しんだとする。何時間か何日か過ぎて、そのことを思い出して、また同じ悲しみが生ずることがある。人はよく悲しみをあらたにしたというけれど、前の悲しみと、後の悲しみと、立派な連続があって、その中間はどこにもないのである。 同じような現象が、われわれ日常の眠りの場合にある。眠っている間は、心はどこにもない。しかるに、目をさますやいなや心は活動する。眠った場合には心がなくて、起きている場合には心がある。有るのが本当か、無いのが本当か、有るといえば無いし、無いとすれば、あらわれてくる」 「前にも述べたように、宇宙は即生命であるゆえに、われわれが死んだとする。死んだ生命は、ちょうど悲しみと悲しみとの間に何もなかったように、喜びと喜びの間に喜びがどこにもなかったように、眠っている間、その心がどこにもないように、死後の生命は宇宙の大生命に溶けこんで、どこをさがしてもないのである。霊魂というものがあって、フワフワ飛んでいるものではない。大自然の中に溶けこんだとしても、けっして安息しているとは限らないのである。あたかも、眠りが安息であると言いきれないと同じである。眠っている間、安息している人もあれば、苦しい夢にうなされている人もあれば、浅い眠りに悩んでいる人もあると同じである。……」 「この死後の大生命に溶けこんだ姿は、経文に目をさらし、仏法の極意を胸に蔵するならば、自然に会得するであろう。この死後の生命が、なにかの縁にふれて、われわれの目にうつる生活活動となって現われてくる。ちょうど、目をさました時に、きのうの心の活動の状態を、いまもまた、そのあとを追って活動するように、新しい生命は、過去の生命の業因をそのまま受けて、この世の果報として生きつづけなければならない。 かくのごとく、寝ては起き、起きては寝るがごとく、生きては死に、死んでは生き、永久の生命を保持している。……」 (池田名誉会長著、「小説・人間革命」第四巻「生命の庭」) どんな人間にも前世はあります。どんな生命体も、その生命は「過去・現在・未来」という「三世」があり、生死を永遠に繰り返すのです。また、この生命論にもあるように、前世に地球以外の星で生きていた生命体が、今はこの地球で生きているとしても、何らおかしいとは言えません。 この生命の問題を完膚なきまでに解き切った哲学は、仏法哲学以外には存在しません。それこそが「仏法の極意」すなわち法華経の真髄「南無妙法蓮華経」なのです。
- lv4u
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>>生命体(魂)の創造によって生まれた人=前世が無い人というお考えでしょうか? そうです。でも、現実問題としては、他の星の前世までひっくるめれば、ほとんどの方に前世があると言っていいように思います。もちろん、手塚さんの火の鳥にあったように、人間以外の姿での前世も多いわけですね。宇宙人の形態は映画アバターに出てくるような格好だったり、タコとか鳥とかバルタン星人のようなものまで、ほんとにイロイロみたいです。 なんにしても、宇宙は広大ですし、その宇宙も、似たような宇宙がそれこそ数え切れないほど平行して存在しているようですから、生命体の総数というより、生命の存在する星の数さえも数えるのが難しいみたいです。 まあ、何にせよ、「自分の生命はこの世限り」とおもえば、自己の命を犠牲にして他人を救うって行為は、とても難しいものになりますが、「死んでも魂は行き続けて、ふたたびこの世に生を得る」とおもえば、がんばれますからね。 ちなみに「信仰とは事実の確認である」という言葉があります。ほとんどの人には「あの世」「前世」があることを事実として確認できません。一部の霊能者などだけが、リアルにその事実を確認できます。その能力があるひとは、もう「信じる」必要はありません。その人にとっては「事実」なんですからね。その能力が無い人は「信仰」という形でその事実を信じるしかないってことになるようです。
お礼
再度のご回答ありがとうございました。
このご質問は「類魂の法則」によって解決します。類魂とは、スピリチュアリズムで言うところの魂の故郷、心理学で言うところの無意識です。類魂は無限の過去を持つ自我意識の源です。そしてそれは海です。無限の過去を持つということはその遠大さが無限ということです。そして過去をさかのぼって行くと元はすべての人、生き物、鉱物が、共通の類魂となります。すべての魂は類魂という木の枝でつながっているのです。それは神を中心として枝分かれしているもので、神から遠ざかれば遠ざかるほど低級な次元となります。しかしながら、それは神とつながっているわけですから、類魂の全てが神の一部だとも言えます。神はすべての魂、つまり自分自身の未熟な部分を浄化するために、現世という固形物質を作り上げました。そこは魂を鍛えるためのトレーニングジムです。現世で痛い思いをすることによって魂を鍛え、浄化へと向かっていくのです。全ての魂が進化向上して行くのです。 動物には種類によってひとつの類魂があります。例えば犬なら犬の類魂というひとつの個性の類魂と言えます。人間は進化程度が高度なので種類内に個性が出来てしまい、さらに細分化されました。地球上の1~3人につき一つの類魂と言えます。つまり、地球上には、まったく同じ深層心理を持つ人が1~3人居るということになります。類魂は自らの霊性を進化させるために、現世に自我意識を顕現させます。そこで自我意識を鍛えて一生を終わらせ霊界に帰ると、類魂の海に自我意識が溶け込みます。すると無限の過去生を持つ類魂が自我意識の経験によって少し浄化されます。それの繰り返しで類魂は進化向上して行きます。 後半の文では個性で類魂を区切っています。しかし、前半で申した通り、突き詰めれば全ての類魂は共通の過去を持っており、出所は神なのです。神は日本では天照大神、スピリチュアリズムでは大霊、などなど、色んな名前で呼ばれております。現在のところ人間の魂がどれだけ浄化しても、せいぜい天照大神の気配くらいまでしか分かりませんが、神にも無限の霊性の高さがあり、まぶしすぎてその先は分からないようです。世界は無限のビッグバンです。無限だから現世に顕現した自我意識の数など問題にならないのです。 初めて固体の人間として生まれてきた人も居るのではなかろうかと思います。人間という種類の類魂全体をさして人霊と呼びます。人霊自体は元は自然霊(地球上に固体として生まれたことのない霊)です。人霊全体としてなら、過去世のない人は居ないことになります。一人でも生まれたら、人霊全体が魂を現世に派遣したことになるからです。しかし、個性を持ったという条件で区切ったならば、まだ顕現されたことのない部分の魂が初めて現世に顕現したということも考えられるでしょう。しかし、現在は継続を重んじて何度か同じ魂が再生していることが多いですし、同じ個性の類魂が体系的な学習をするのに優先されることが多いようで、あまり初めての人間というのは聞き覚えがありません。たまに、宇宙人を守護霊に持つという人が居て、そういう人はどうも固体の過去世ではなく、幽体かエクトプラズム関係の過去世のような感じです。そういう人を初めての人と言うのかも知れません。 再生回数に特に取り決めはありません。人間として学ぶことがなくなったら人間に再生することが無くなるだけです。人霊は無限ですが人間の数には限りがあります。現世で学びたい魂は混雑していて、60億の人口でも200年待ちが通常です。
お礼
ありがとうございました。
- barrel1979
- ベストアンサー率25% (29/113)
前世の存在も死後の世界の存在も、魂の存在も信じません。 僕が生きていくのに必要ないです。 でも、信じなきゃ生きていけない弱い人はいるのでしょう。 今の自分の人生に不満があり、別の何かにその責任を押し付けたいという人 自分に自信がなく、前世等の存在に頼りたい人 そんな人が前世という考えを支持するんだろうと思っています。 自分を信用させるため、他人をだますために、その考え方を利用している人はまた別です。 中居君とピカソの話なんて有名ですよね。 ああいう間抜けな人でも、したり顔で相手の前世なんて診断してれば、信用する人もいるわけです。 たぶん本人は前世なんて信じてるわけじゃなく、誰も嘘だと断定できないから、前世っていう考え方を利用するんだと思います。 (まあ中居君の時みたいな間違いを犯せば、さすがに嘘だとばれますが)
お礼
ありがとうございました。
補足
申し訳ありませんが「人は延々生まれ変わっているという考えに限定して」の考えを聞かせてください。 不満がある人・自信が無い人・騙したい人だけじゃないと思いますよ。 自分の知らない世界をただ考えるのが楽しいという人もいるのです。 私は世の中にあるファンタジーな作品が大好きです。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>もし生まれ変わりがあるのだとしたら、地球上(宇宙上?)の生命体の分母は変わらないはずです。 推論の論理が間違っています。「生まれ変わりがある」ということから「生命体の母数が変わらない」という結論は導けません。生命体(魂)の創造がされれば、生まれ変わりがあっても母数は大きくなります。 また地球では、「魂の分割による増大」ってこともやったようです。 >>という事は、前世が無い人もいるのでしょうか? 「地球上での人生」っていう意味では、「今世、はじめて地球に生まれる(前世は他の天体)」っていう方は普通の意味では「前世が無い」ともいえますね。 地球に大救世主が生まれるってことは、太古の昔から宇宙の星に広く知られていたようです。なので、遠い昔に、遠い宇宙からわざわざ地球にきた宇宙人が、幸福の科学の大川氏生誕に合せて、初めて地上に生まれたってことがあるようです。そのため前世の無い方がいるようです。
お礼
ありがとうございました。
補足
すみません、言い方がまずかったですね。 『前世占いなどでは必ず何かしらの前世が表示される→ 必ず全員に前世がある→全員必ず誰か(何か)の生まれ変わり→ だとすると地球上(宇宙上?)の生命体の分母は変わらないはず』 という思考順路です。 生命体(魂)の創造によって生まれた人=前世が無い人というお考えでしょうか?
- superski
- ベストアンサー率19% (388/2010)
最近は、前生は「テレビのリモコン」などと言うパターンもあるそうなので いくら後付けの理念だとしても「何でしょうね」と思えてしまいます。 確かにビッグバーン直後当たりまでは、 一切の生命が存在出来るような状態ではないので、 全て、物質が起源と言われればそれまてですが、言いたい放題な感じです。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。