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友人に連絡をとるのがめんどくさくなった。

ここ数ヶ月の話なのですが、どうも他人に働きかける気力がわきません。 人との接触が少ないジミな生活をしているので、連絡手段はほとんどがメールなのですが、そのメールをするのもなんだか面倒だと感じてしまいます。結果、返信をさぼったり(前からその傾向はありましたが)、しっかりした用件が出来てからメールしようという姿勢になったりして、他人との関わりがますます少なくなっています。 元々自分に起こった出来事を面白おかしく話す能力はありませんでした。(意見を述べるのは過ぎるくらいなのですが(^_^;))その気になればと言う条件が付きますが、聴くのは得意な方だと思います。 習い事や映画、読書など好きなことはそれなりにやっているのですが、そういうような内容も「わざわざ他人に話すようなことでもないし……」と思ってしまいます。 前は面白い映画なら(程度を越してハズレの映画でも)「昨日見たんだけどさ!」とメールしたいと思った気がするのに…… ほとんどのことが自分の内部で終わっている気がします。 まあその一端にはネットの存在があり、映画についての意見表明は掲示板への書き込みで気が済んでるというようなことがあると思うのですが(教えてgooもそうですね(^_^;))、それはそれとして今の状態はどうも自分では気に入りません。 面倒くさいと感じるにも関わらず他人に働きかけようという熱意を持つためにはどういう方法が有効でしょう? アドバイスをお願いします。

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noname#5399
noname#5399
回答No.1

先にまとめますと「熱意はいらんからとりあえず働きかけれ」ということに尽きるかと思います。 私にも全く同じような元来の傾向があり、 最近まで全く同じような環境におりました。仕事以外は引きこもってほとんどネットしかしていませんでした。 当然メールも面倒になり、関係が薄れ消滅した知人もいました。 他人に興味など持てませんし、相手に合わせて話しながら自分の意見まで述べ伝えるというエネルギーはどこからも生産されませんでした。 ある種の対人恐怖だと思いましたし、それでもくだらない人間関係を続ける活力もなく、 掲示板やオンラインゲームで他者とのかかわりへの欲求は十分満たされていました。 そんな人生の墓場を通り過ぎたとき私に残っていたのは、 自分に起こったことをとりとめもなく送り続けてきていた友人でした。 私は毎回毎回、彼女が投げかけてくるどうでもいい内容のメールに返信するのに苦労していました。 たとえば「あーバイト終わったぁ~。仕事帰りのビールはうまいねぇ」などと送ってきたら、 私はそれを睨みつつ、時には4日ほど放置し、やっとのことでひねり出すのです。 「ビールはやめられんよね、お疲れさま! 今日はどうだった? 私も今日はビール行っとくかー」という返信を。 彼女の送ってきた内容は抹殺もできないし、うかつに自分の話をしはじめて彼女がその「ビール」の話をもっと続けたかったとしたら悪いからです。 そして返ってくるのは「まぁまぁかなー。あー明後日デートだ、なんかだるい…」という内容だったりしてゲッソリするのです。 だいたいメールなど面倒なもの以外の何者でもありません。 対面での会話なら仕草や表情などを交えて返事をすれば「挨拶」や「雰囲気作り」となり流れるような些細な内容でも、 メールだとそれに返事をしてあげなければ、と思ってしまうし、 相手が返事をしやすいものを送らなければ、と思ってしまうので気苦労が多いのです。 しかしそのように面倒極まりないメールのやりとりでも、 がんばって続けることで私は彼女が毎日どのように過ごしているかわかったし、 遠く離れて暮らしていても、他人行儀にならないで連絡が取り合える数少ない相手となってくれたと思います。 相手に話を広げさせなければ全く広がらないような、 「わざわざ話すことでもない」と思われるメールでも、 自分を身近に感じさせる能力は十分にあるのです。 そこに相手が返事しやすいように、という気遣いがあればなおいいですが、 それが返信することへの足かせとなるなら、必要ないでしょう。 もし広がれば、話を続ければいいのだし、相手が広げてくれなければ、自分で話し続ければいいだけです。 私も相手がそうだから、自分も気兼ねなく(仕返し気分のときもありつつ)どうでもいいことをメールするようになりました。 最近私をとりまく環境ががらりと変わったときに、 彼女にはいつもの延長で自然に「話そう」って思えたし、そうやって自分を知っている人に話を聞いてもらうのは、本当に助けとなりました。 そのほか墓場の前後を通して、彼女がいて本当によかったって、今まで何度も思ってます。 今は質問者さまに、相手が必要でなくても、相手が自分の話を聞いてくれなくてよくても、 そのような人がいてくれてよかった、と思える時期は必ず訪れますし、もっと言えばいて得はすれども損は決してしないのです。 気が進まなくても納めておけば何かのときに、という年金のようなものです。 私は年金は払っていませんが…。 とにかく人間関係は、やらなければやらないだけ面倒くささが増してきますので、 熱意はなくともとりあえず細く続けておくと、あるとき急に役立ったり、 ふと熱意が生まれてきたりするのだと思います。 聴くのは得意ということであれば、テクには問題はありませんね! そして状態が気に入ってないのであれば、まず形から入ってしまうのです。 かなり振れ幅は小さいものかもしれませんが、おもしろさや嬉しさの感情となって徐々に、たまに、見返りがあるはずです。 それを得られたらまたそれを糧にがんばっていきます。 ある日自然に、起こった出来事を相手にメールしていた自分に気づくかもしれません。 私の状態は今でも「やや墓場」ですが、人生って他者との関わりでしかできていないんだということに気づき、 それをまだまだ面倒がりながら実践しています。悩みは多いですが、それほど不快でもありません。 ものすごく自分と似ていらっしゃる気がしたので、 経験談を長々としてしまいましたが、もしどこか一点でも参考になれば幸いです。

noname#5798
質問者

お礼

親身なご回答ありがとうございます。わたしもシンパシーを感じながら拝見させていただきました。まさにわたしがこの質問に回答するとしたら、こういう風に書くかもしれないと思いました。 同じ状況を通り過ぎた方のお話には説得力があります。頭では「……しかないんだろうなー」と思っていてもなかなか出来なかったことが、体験に裏打ちされたお話を伺った後では、モチに差が出てくるから人間のメンタルは面白いです。「頭で考えること」で生きているわたしのような人間は、体験の大切さをつい忘れがちです。それこそ頭ではわかっているんですけどね(^_^;)。 お話の通り、わたしにもなんでもな~いメールをくれる友人が約2名います。義理の関係の少ない交友のなかで、そのうちの1名は微妙に義理っぽいのです。それもあり多少うざったいものでした。やっぱり情報が含まれているメールが好きなわけです(^_^;)。でもご回答を読んで「ちゃんと返信しよう……」と思えるようになりました。自分だけで考えていては、「するべきなんだろうな(自分のためにも)」と思ったまま積極的になれなかったかもしれません。他者から言われることで体験となるわけですね。 不義理をしている人々にも、老骨に鞭打って(まさにこういう感じ)がんばってメールします。電話は大して好きじゃないので、やっぱりメール。(メール自体がキライなわけではないんです) 人生墓場だと思えば墓場だ。見方を変えればシアワセがいっぱい♪……とはよく言われることですが、でもやっぱり墓場にしか見えないよなー、冷静に見て。と思いつつ、いつかばら色に見える日が来ることを夢想しながらお互いがんばりましょう。 ちょっと調子に乗って興にまかせた文章になりました。ごめんなさい。ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

加齢における気力減退もあると思いますが、食生活を見直してみては? 栄養補給して、やる気復活!!

noname#5798
質問者

お礼

シンプルかつストレートなご回答ありがとうございます。 そうか、年をとるってこういうことなのですね。気がつかなかった。盲点でした。 えー、カロリーは足りてるんですけど(^_^;)。野菜食べよっと。 ご回答ありがとうございました。

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