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日本人の民度とは?
- 日本人の民度について、どうお考えですか?話の分かる中国人は、自国の恥と思われる所に触れられると、よく「民度が低い」と恥入っています。
- それは自国に、他の先進国に比べて又常識や道理に照らしても決して正常と思えない対応や行動規範があり、それをさして民度と言っているものと私は捉えています。
- 私は海外で暮らしていた経験もありますが、私の感覚では、その国との文化の違いは感じても、自国の国民性を恥入る事は有りませんでした。
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NO.2の続きです。 【中国・韓国と日本の違い(仏教編)】 決定的に違うのは仏教の存在なのです。儒教ではありません。仏教の歴史の違いが民度の違いになっているのです。 538年に百済の聖明王が欽明天皇に仏教・経典を贈ってくれました。しかし、誰も読めません。その時代に漢字は日本に存在しなかったからです。もちろん欽明天皇にも読めない。それでも欽明天皇は仏教の価値、漢字の価値に気づいて渡来人を招いて、優秀な官僚に一生懸命勉強させたのです。漢字は文字の種類が多いうえに字体が極めて複雑ですから大変な苦労だった筈です。百済が滅亡した後は、聖武天皇が中国から鑑真らの高僧を招聘して勉強を続けました。奈良時代は朝廷の保護で学僧が仏教を学んだ時代です。平安時代は朝廷の保護から離れて貴族に普及が広まった時代です。鎌倉時代は、武士に普及が広まった時代です。室町時代以降は庶民に普及が広まった時代です。ひらがな、カタカナが創案されたのは平安時代初期といわれています。ともかく日本では仏教の普及が進むと同時に庶民レベルにも文字が普及しました。戦国時代に来日したフランシスコ・ザビエルは、日本では茶屋の娘まで暇さえあれば本を読んでいるとびっくり仰天しました。その時代は文字が読めるのは貴族・学者・聖職者といった知識階級だけであって、庶民は無学文盲が常識だったからです。西欧ではグーテンベルグの活版印刷術の発明以来、都市民には文字が普及したけど農村には広まっていません。だから農村では、迷信深い農民が魔女裁判に夢中になってたりしたのです。日本では朝廷の保護を脱した僧侶は、平安時代は貴族の家庭教師をしました。その後は寺子屋で読み・書き・算盤を教えるようになりました。時代が進むにつれ、地域・階層・科目が広がるようになりました。その中で論語など儒学の古典も普及しました。江戸時代、幕府は朱子学を推奨していましたが、いずれにしても日本では儒教ではなく儒学なのです。武士と町民・農民でカリキュラムは違っていたけど、階層の違いを超えて、日本では仏教・儒教・文字が普及していたのです。江戸時代中期、岩手県(当時は盛岡藩)に宮古街道の改修に生涯を奉げた鞭牛和尚という人がいます。当時、盛岡藩では全国一凶作・飢饉が起き、百姓一揆の数もダントツに多かった。一度、飢饉が起きれば三陸地方は陸の孤島と化して甚大な被害を出しました。つまり餓死者が累々。その惨状に胸を痛め、難所の多い宮古街道が被害を大きくしていると判断した鞭牛和尚が一人で公共事業を始めたのです。当初、その意味が分からず、冷ややかに見ていた農民たちも鞭牛和尚の熱心さに打たれて、やがて公共事業に自主的に参加し始めます。それが自分たちのためだと気づいたのです。これが日本の仏教なのです。西欧のキリスト教は異教徒を改宗させることばかり熱心だったけど、日本の仏教は道路の改修までやってしまうのです。そのように日本ではいつの時代も僧侶は民衆を指導し、模範となり、率先し、仏の教えを広めました。だから常に僧侶は庶民から尊敬されたのです。これが日本の歴史です。 これに対し中国はどうだったか。王朝によって仏教政策が違うので一口には説明するのは難しいが、仏教は知識階級の一部にしか普及しなかったのです。民衆は白蓮教や羅教・拝上帝会・などの民間宗教を信仰しました。それらの民間宗教はいずれも迷信的・カルト的・排他的で、時の王朝から異端視され秘密結社化し悲惨な末路を辿ることも少なくなかった。時代的にも地域的にも広がりを見せず、どれも現代に残っていない。オウム真理教に似ている部分もある。かようにして中国では寺子屋も生まれずに、仏教も文字も庶民には普及していません。 韓国はどうだったか。高麗までは仏教に力を入れていましたが、李氏朝鮮は廃仏に転じたのです。必ずしも一貫性は無かったが廃仏崇儒政策によって仏教は廃れてしまいました。また文字は特権階級だけの独占物とされて民衆への教育も行われなかった。李氏朝鮮は官僚支配体制が特徴です。儒教は特権階級の既得権益死守を理論化・正当化する為に利用されただけであって、民衆を教化する機能は持たされなかったのです。そして官僚支配を永続させるために意識的に農民が文字を覚えないようにしていました。 戦後歴史学は明治時代の廃仏毀釈運動を、それがたった数年間だけのことだったにも関わらず、異常に強調する一方で仏教が日本の発展に果たした役割を全く無視しています。また戦後歴史学では仏教を神道と対比させ、あるいは宗派の消長といった形式的・表層的な捉え方に偏して、本質を見誤っているのです。 日本人の心の在り方、行動の規範は仏教に基盤があるのです。その基盤の上に論語を中心とした儒学に由来する価値観が形勢されて重層的なふくらみを持たせている。それが日本人特有の深みのある民度の秘密なのである。これは中国・韓国には見られない日本だけの特徴です。
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- pluto1991
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中国に住んでいます。 総合的に日本の民度は世界一でしょう。 中国人は日本の民度が高すぎて恐ろしいとまで言います。 文化とか国民性で語るから賛否両論でてしまうんですが、もっと話は簡単なんです。 「民度」というのは「道徳教育水準」ですよ。 単純な話、教育水準=「国がどれだけお金があるか」 なんです。 経済力=民度 ということですね。 衣食足りて礼節を知る。 中国人にとって道徳というのは衣食足りた後のいちばんの贅沢品なんです。 日本の水道の水って飲めるでしょう。他の国は飲めませんね。 これってのも、日本人が清潔好きだからじゃなくて、「国が金持ち」だからなんです。 どこの国だって国にお金があれば水道水は飲めるようになるんです。 教育も同じことでしょう。 だから、中国は一人当たりに回る教育費を高めるために、超高齢化社会覚悟で一人っ子政策をしています。 日本は恵まれてますよね。 でもこれは、何も、私たちが偉いんじゃなくて、私たちのおじいさん世代が死に物狂いでがんばって仕事した恩恵ですね。今の私たちはがんばっているでしょうか? 今、日本はリニアモーターカーを開業する財力がありませんね。中国ではもう走っています。 中国は東京ー博多間に相当する、上海ー北京の新幹線の線路をたったの3年で完成させてしまいました。 わたしは、経済力で追い越されることが民度で追い越されることに直結するんじゃないかって心配なんです。
- pullmandsg
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「民度」という言葉はややこしい(辞書で引くと、ネットでの用法と異なる意味が出てく る・・・)し、もしかしたら辞書外の用法は有権者を小馬鹿にした政治家が使い始めたもの かもしれない、という考えがちらっと浮かんだので、「常識・道徳水準」という言葉に置き 換えて回答します(もう少し適切な言い換えがあるかもしれませんが、ひとまずこれで)。 日本の常識・道徳水準については、途上国で見られるような 「くだらないことで路上で喧嘩する人間が少ない」 「路上ゴミだらけ」 という事がないという点では非常に高いと思います。 ただ、他人と、「議論する」事に関しては、西ヨーロッパやアメリカの人に比べると得意 ではないような感じがあります(東欧なんかは、長く抑圧的な政権が続いたこともあり、あ けっぴろげに意見を表明するのは苦手、という話がある)。せっかくネットという便利な道 具が普及しても、愚痴の発露に使われるばかりで、政権もさることながら、日本をどうする のかに関して、まともな議論がわきあがらないのは、そのあたりに要因があるかな、と思っ たりもします。このあたりが、日本の常識・道徳水準の限界のような気がしますが、いかが でしょうか。
お礼
ご意見有難うございます。 先の方にも述べたのですが、私は議論することが何も良いことだとは考えていません。勿論、海外で活躍するエグゼクティブにとってディベートは必要不可欠な技能であると思いますが、逆に国内であれば、逐一議論しなければならないコミュニティーはそこまでの信頼関係が構築されていないのかと、その危うさを危惧するくらいです。日本には日本なりの意思疎通法があっても良いと思っています。 それとネットに関して言えば、私は様々な意見や主張があっても良いと思っています。しかし目に見える物を見ようともしないで、道理の通らない団子理屈でカッコだけつける、俗に言う左翼の意見だけはどうも受け付ける気がしません。これって私だけなんでしょうか?
- mekuriya
- ベストアンサー率27% (1118/4052)
一般的には日本人は民度が高いです。少なくとも外国からそう評価されている。そうでない人はあくまで例外的なごく一部です。犬に噛み付く人だけが事件を起し、マスコミに報道されますが、そういう人が多いわけではありません。そういうことが日常茶飯事ならマスコミだって報道しきれませんし、読者・視聴者の興味を特に引く事もないでしょう。 その証拠に円高の進行にも関わらず、戦後ほぼ一貫して訪日客数が伸び続けている事実があります。その要因は一つではないにせよ外国から日本人の民度の高さが評価されていると考えて良いと思うのです。 にもかかわらず、民度に疑問を持たざるをえない事象も報道されているのは事実です。 それは要は日本人でない人がより高い社会的地位を得て、経済力を身につけ、目立つ事件を起しているからなのではないでしょうか。これは仮説に過ぎませんが、そう考えれば全て説明がつくと思われませんか?
お礼
ご意見有難うございます。 確かにメンタリティーと言う意味でも日本人は特殊で、アメリカなどでも良くその事を聞かれました。 しかも同じアジアと言うことで、中国や韓国等の国と良く比較されその絡みで質問される事が多いのですが、さすがに滅私奉公の説明には苦労しました。考え方は崇高で、キリスト教の修道僧にも通じるこの考えは説明すれば必ず評価されるのですが、問題はここからで、これが中国で発祥した儒教の教えで、韓国では長く儒教の教えが受け継がれ・・・となると、やにわに理解不能状態となり、中国や韓国ではその思想は死んだのか・・・どうして日本にだけ息づいている・・・となる訳です。 思想や教えは行動に現れて初めて認知されます。だから大抵は、日本人が語る滅私奉公には同感しても、中国や韓国のそれは信じようとしません。 関係の無い話になってしまいましたが、確かにメンタリティー異なる人種がいると考えれば、何と無く理解出来る気がします。有難うございました。
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
自分の経験に照らせば、この40年くらい、民度とイコールではありませんが日本人のモラルあがっているとしか思えません。 セクハラ、モラハラ、ストーカーなんてのはそれが道徳に反した行為であるという認識がはっきりしてきたからこそ定着した概念です。 以前は、そのような行為があっても「世の中はそういうものだ」で片付けていました。 女性や子供、障害者など社会的弱者を踏みつけにする行為を恥じるようになりました。 立ち小便するひとがいなくなりました。都会の道や川にゴミを捨てるひとが減りました。 完全ではありませんが分煙と言う概念が浸透しています。 著作権や知的財産についての意識が高まりました。 中国のパクリを笑ったり非難したりするニュースを見るたびに「日本はこういうの減ったなあ」と思うばかりです。 モンスターペアレンツがさかんに話題になりますが、私が学校に通っていたころは今だったら大問題になるような言動をはたらく教師がゴロゴロいました。 まあ分野別にみればモラルが下がったように見える事象は色々あると思います。 インターネットの使い方なんかではモラルやマナーがが成立さえしていないようにも思ったりします。 ですが、社会を俯瞰してみればモラルはジワジワ上がっているように感じます。
お礼
ご意見有難うございます。 確かに今まで無かった価値基準が入ってきて・・・と考えると、私の危惧している事も焦り過ぎなのかなとも思います。 セクハラにしても、考え方・基準の導入時には様々な問題があった様に記憶していますが、時間をかけてシッカリ定着しているのも事実です。こうして徐々に日本の基準が世界基準と擂り合わさっていくのかなと言う感じがします。
>話の分かる中国人は、自国の恥と思われる所に触れられると、よく「民度が低い」と恥入っています。 メディアの取材を受けている人達は、その他なのでしょうか。 話の分かる人物がいるのであれば、尖閣諸島で問題になったりしませんね、、、、。 ナンバー2も話になりませんね。 >なのに何時から従来のモラルが崩れたのか? 資本主義社会が限界に近づいたから放置された、と回答して置きます。 >皆さんは、日本に民度があるとすればどのレベルだとお考えですか。 節電キャンペインに対して、洗脳されたかのような態度で臨んでいるところかな? 流石に、関東圏内全ての自動販売機の主電源を落とさないのが残念です。
お礼
ご回答有難うございます。 私は英語は話せますが、中国語は話せません。だから私の知っている中国人は皆、英語若しくは日本語を話せるバイリンガルで、海外に出て冷静な目で自国と他国を見比べる事の出来る人達です。当然、私の知る中国人達が嫌悪の意を込めて狂信的愛国者と呼んでいる輩とは違いますので、そこは区別して考えてください。 それと、私は回答者さんの様な方がいても良いとは思いますが、どうも投槍と思われる文面が好きではありません。 もし真剣にご回答下さったのであれば先に謝罪いたしますが、私は「いざ鎌倉」も立派な精神的文化だと考えていますので、意見の食い違いはご了承下さい。
民度と言っても、多くの国民が平穏無事に暮らしている時には、単に表現だけの問題で良くも悪くも捉えられるのがほとんどだと思います。 しかし、今回のような日本ではかつて経験したことのない大災害に見舞われ、今まで単に日本人が日本人を茶化していれば何とかなっていた時とは違い、「~では駄目」ではなく具体的に「こうする」と方針を決めなくてはいけない状況では、政治家だけでなく国民全体が今までのオチャラケぶりをあからさまにしてしまった感があります。 で、話は全然違うのですが、 まもなく8月に入ると「終戦」ということで、いつものように「戦争の悲惨さを語り継ぐ」が語られます。 戦争も、特に日本ではそうあることでもなく、まさに震災と同じような非常事態であったわけです。 しかし、戦争体験談で語り継がれるのは、常に日本が被害者としての立場のものばかり、開戦のことは語り継がれず、むしろ積極的に忘れ去られようとしています。 また沖縄の「ひめゆりの塔」なども、日本が積極的に一般人を楯に使ったことが一番の問題なのに、何か違う方向に流れているみたいだし、とにかく「日本人は戦争の被害者」ばかりが強調されています。 たとえば、(東)ドイツなどは史実として、色々な事が残されていて、その時代その時代での評価ができるようになっていますが、日本では日本人に都合の良い史実が多く、都合の悪い史実は積極的に捨てられているのではないでしょうか。 結局、日本にとって都合の悪い史実が保存されていないことが近隣の国とで、いつまでも「解釈の違い」と平行線なままで終わっている原因だと思います。 で、結論ですが、日本人は民度が「とても低い」と思います。 それは「議論」をする習慣がなく、あくまでも上からの指示(命令)に対して、自分はどうするかという論法でしかものごとを決められないからです。 (簡単に言えば、主体性が無い) だから今回の震災復興に関しても「首相(あるいは東電)が~だから」が話の始まりでないと何も自分の意見を言えない人が多いのです。
お礼
ご回答有難うございます。 民度については、私もどうなのだろうと思い、今回質問したのですが、それが高いか低いかはさて置、議論する習慣が無いと言う点もって評価される事について疑問を感じてしまいます。 私は、日本人が言う所の貸し・借りや、いわゆる腹芸を肯定的に受け止めています。確かに海外では議論は盛んに行われていますが、議論している人々はそれがある意味不毛であることも承知しています。 だから、日本人が議論になった場合の対処法を向こうの人に聞かれれば、私は日本では昔から長が双方の主張を一度腹に収め、双方に分があるように取り計らっていると答えていますし、また評価もされています。 私は常々、日本と言う国は一民族一国家を保っていると言う点で世界に類を見ない特異な国だと考えています。勿論そこには利点もあれば欠点もある訳で、全てが良いなどとは考えていませんが、他国がこうだから日本が劣っていると言う考えも持っていません。だからそれが他国のそれと異なっていても、日本人の規範に沿うものなら卑下する事無く誇っても良いと考えています。 しかし最近の例を見てみると、西欧のモラルからも又日本のモラルからもかけ離れた蛮行が目について仕方ありません。だからそれを民度言う言葉に託して、どのようなものかと聞いた積もりなのですが、言葉足らずの部分があったようで、的を得ない質問になってしっまたかも知れません。 ご意見確かに受け取りました。意見の行き違いの接は悪しからずご了承下さい。
お礼
ご意見有難うございます。 中国の話が出ましたので、横道にそれます。ご了解下さい。 というのも、実際中国政府はある意味良くやっているなと思うからです。私は中国人に何の偏見ももっていませんが、彼らが一塊となって中国となれば、やにわに警戒します。アノ国はそれくらい非道で傲慢で利己的な国家です。でも実感としては、今日までよく持たせたなと言う思いがあります。私が過去に考えていたシナリオでは、中国では既に民主化運動の結果共産党政権が倒れ、今頃は混乱期の筈でした。そしてこれは私だけの考えでは無く、日本を始め多くの国でまことしやかに囁かれていた予測で、ある程度の分析を伴ったものでした。それが今日まで持っている。確かにそれが為の手段は強引で、悪辣な感は否めず、又何時転覆するかの危険性は伴っていますが、それでも凄いな・・・と思います。 本題に戻ります。確かにご意見受け取りました。只、中国に関してはどうしても拝金主義のイメージが拭い切れません。だから今以上に経済が発展しても、それはこれまで以上に貧富の差を広げるだけの様な気がしてなりません。ホントの所は、もう少し民度を上げてもらいたいのですが・・・。