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人を褒めることについて。
みなさんは人を褒める時、何を思って褒めますか?また褒められた時に何を思いますか? 時と場合がありますが、「かっこいい」「カワイイ」「上手い」等のいわゆる・・・なんでしょう。 私は以前、無意識のうちに褒められることが目標で生きてきました。相手の価値観がなんであろうと、褒められればゴールという感じでした。そうしていくうちに自分の価値観=他人の褒め言葉のみということに気づき、それと同時にグチャグチャになった自分の価値観に気づきました。 情報社会でいろいろな価値観が生まれるのもありですが、選択肢を間違うと何十年も費やしてしまうことに驚きと悲しみを覚えます。 私の場合、「褒め言葉」にやられてしまったわけですが。。。 そんなわけで、みなさんはどのくらいの意味合いで「褒め言葉」を使っていますか? 時と場合があると思いますが、私の支離滅裂な文から察して答えていただけるとありがたいです。
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ちなみに、実践ですが、 私は文才としての能力には欠けますが、褒める時には グルメ記事のような褒め方をします。とはいっても、今時のグルメ記事は単調すぎるので どれも似たり寄ったりでいいとは思えませんけどね。 褒めるとは100%良くて最高なものだと表現する必要はないんです。 これはてんでダメだけど、あれにかんしてはお前しかいない、といった 俗にいう下げて上げるという言い方もします。 相手が男で且つおとなしめの場合は謙遜しやすい人なので、 思いっきりあげて、少し下げて調整するといったこともします。 褒める目的 褒める意味 褒める言葉(語彙、、、語彙は難しいものほど高等なものだと日本人は思い込む習性あり) 褒めるテクニック 褒めるタイミング 褒めた後の相手の行動パターン認識 褒めた後の相対的な位置関係 などなど、色んなことを考えて褒めます。 考えるに対し、褒めることに関する著書を読み漁ってみるのもいいかもしれません。 そうやっているうちに、自分の褒め方の流儀ができあがっていきます。 読書とは自分を作る一番てっとりばやい方法ですから。
>「人を褒める」、「本人が気付いていない所を褒める」ことの目的はなんだと思いますか? 直接的な目的はありません。 いわば、これは信頼構築のための手段です。 いつか、目的ができた時にするに際し、この信頼ができていると自分の思うように動けます。 例えば、同じ会社のAさんは部下に厳しくあたり、一匹狼。 その人が独立するからといって社員を募っても誰もついていこうとしないでしょう。 しかし、普段から人の良さを褒め、好印象に映るBさんは独立するといったら、 この人と働きたいと思う人はわんさかとついていくことになると思われます。 先ほど、いわば、これは信頼構築のための手段です。と言ったばかりですが、 敢えて言うのならば、そのための下心と書くこともできます。 ですから私は人間関係絡みの質問に対してよく言うことは、 「他人を変えたいと思うのなら、まず自分が変われ」ということです。 勉強しない子供に鞭を打つより、両親が勉強する姿勢を見せることで 子供は親の背中を見て育つのです。両親がパチンコだの、怠けていれば 子供はまっとうには育ちません。 利他の愛と言う言葉もあります。 マザーテレサのように見返りを求めず(利他)に愛を与え続ける姿勢であろうとも、 それそのものが相手から信用される、思いやられることを知った時、 厳密にはそれが利他と呼べるのか、見返りは求めていなくとも、結果的に見返りを 受け入れてしまっている(相手の信用を受ける)ことが完全なる利他と言えるのか、 そのあたりは哲学的命題にもなるので、その点に関し、無知な私は答えを 見出すことはもってのほかできません。 人は愛する時、愛されたいがために相手を愛するのです。 互いに愛する関係が相愛を生みます。 でもそれは、ある時そうすることで関係を維持できると気付いてしまうことが 尚更そうさせるのだと思います。 ですから、世間では恋人の束縛といったスタンスがありますが、 まさしく愛を与えてその愛に対する恩返しとして愛を返して貰える関係ではなく、 一方的に愛を求めることを強要する行為が束縛なのです。 野生の動物を見てわかるように時たまエサを与えたところで懐いてくれるのは その時だけですぐにいつもエサをくれる者のところへ帰ってしまうものです。 それが動物としての習性だとさえ考えています。 突き詰めると、自分の願望を叶えるための下心として、信頼関係を積む、 その手段として褒める等があると分析しています。 下心なんて書くと、なんだかすごくやましいものに映りますが、 下心が無いのなら、それこそ一匹狼にならざるを得ません。 褒めるという言葉に対し、様々なことを述べましたが、私はそれだけ様々なことと つながっているものだと認識しているからです。それは地域だってそうです。 ここに住んでいてもその家のルールに従わねばならないし、 その地域のルールにも、市のルールにも、県のルールにも、国のルールにも、 世界のルールにもそれぞれ守らねばなりません。 全ては大きな紙の中の1点にすぎません。 その1点だけを考えるのではなく、他の点とのつながりや、それを結ぶ線だったり、 含んでいる面だったり、そうして俯瞰的に物事を見ていく。 そうすることで、その1点は全体においてどういった意味を為すのかを 理解できるようになり、そのために手段としてどうすべきかが見えてくると思うのです。 ですから、今あなたが褒めることで悩んでいるのだとしたら、 その褒める目的を明確にし、そのためにどのように褒めるのが適切かを考えなければ なりません。その「どのように」に当たる部分を日本語で明確に表現せねばならず、 「カワイイ」の4文字でそれ全てを表現するのは到底無理ということです。漢語じゃありませんからね(笑)
お礼
そうですね、「褒める」こと自体の目的なんてなく、私の目的のためにする工程でしかないんですね。なるほど~!それを言って欲しかった!スッキリ! 今までの人生そこしか見えてなかったので、また褒めに目的を置こうとしちゃってました。危うし。 まあ根本となる「私の目的」っていうのを見定めないといけませんね。 実際、人に何かするときは、必ず見返りというか、その後に起こることを見越して行動しているのを忘れていました。そんなの世界中の人の価値観から無数に生まれることですね。 なるほど~。私の価値観から生まれる「目的」のために「褒め」るんですね。 今回は「褒める」ことにこだわってしまいましたが、そんな必要もなく、ただ私の価値観を人生単位で見定めることで解決できますね。 ちなみに、私は人と関わる人生で結構効率良い生き方は「優しさ」なんだと思っています。利他でしたっけ? あーなんかもう文章って難しい。最近になって繋げて話すのがこんなに集中力がいるとは... もっと本読みますね。回答ありがとうございました!本当に本当に感謝の気持ち満点です。本当に悩みスッキリ。 カワイイはもう私の中の死語になりそうです
褒め言葉もタイミングが悪いと ビミョーになってしまいますよね…。 私は 男性には ほとんど言いません。 話題の中で 「○○は カッコイイよね~」となれば 適当に話を合わせますし。 女性を褒める場合は 「このバッグ可愛い」とか 大体 「モノ」ですね。 大体 会ってすぐに 見つけた、的に 「このバッグ 可愛い~」と言います。 思えなかったら 言いません…。 外見の話になれば 「スタイルが良い」「可愛い」となれば 合わせます。 言われたら… 私は夜の仕事が長かったので よく お世辞で「キレイ」と言われましたが 全然 嬉しくもなんともないです。 何が目的?とか。 こんにちは。程度としか感じません…。 この服可愛い、の方が すごく嬉しいです。 単純に。 それは 褒められる為に選んだのではなく 自分に似合う、と思って 買ったものが ほめられたら 嬉しいです。 自分にとって 似合う、とかを考えてれば良いんじゃないでしょうか? 褒められることは気分が良いかもしれないけど わざと 逆に言ったり 褒めたりはしない人も多くいますから。 自己満足で良いと思いますよ~
お礼
なるほど。本当にいろんな意味で褒める人がいるって忘れてはいけませんね。 自己満足、、最近してないな~。というのも、質問で書いたように数年価値観が他人の褒め言葉だったので 泣 習慣て怖ろしいですね。まずは自己満足にたるまでの価値観を選択して育てて行こうと思います。 とても参考になりました!ありがとうございました!
とっても基本的なことですが「日本語であるか」ですね。 「かっこいい」「カワイイ」「上手い」は日本語ではありません。 何故なら、日本語には文法があるからです。 近頃の若い女性の「カワイイ」を聞くだけで、多くの男性、悪いと多くの女性は その「カワイイ」の本当の意味を理解できていません。 ショッピングで女性が「カワイイ」を連発している姿をよく見ますが、「カワイイ」と言ったからといって 買う場合もありますし、そうでない場合もあります。けれど、男性の場合、年齢が上の人ほど 「かっこいい」と言ったこと、或いは思ったことに対して買う確率は高いです。 こういった統計もあります。あるジーンズショップにて、女性は手にとったジーンズを買った率は14% 程度だったが、男性は74%ほどだった、ということ。これは何も踏ん切りがいいとか、 なんでもいいと思っているとかではなく、どれだけ「カワイイ」や「かっこいい」という言葉が、 ごく一部の範囲として用いられているかを表しています。 わかりやすく言えば、女性は雨が降っていれば、小雨でもすべてザーザー降りと言うが、 男性は小雨ならポツポツ降ってると言うようなものです。 (これはあくまで例なので極端にわかりやすく書いただけで本意ではありません) 雨にも沢山ありますよね。しとしと、ザーザー、ポツポツ、ぱらぱら、ゴーゴー、ぴちゃぴちゃ・・・ 幾つも色々な表現がありますが、「カワイイ」という言葉はまさしくこれらを全てひとつとして ザーザーと言っているのと同じことなんです。 言って見れば、語彙表現の欠如といったところですね。 あなたはザーザー降りと言われて小雨を想像するでしょうか?しないですよね。 「カワイイ」と言われて、それが言っている当人と、言われている者とでは「どの程度」の「カワイイ」かは わからない。だから、口だけだとか、礼儀的にで終わる。故に、それは褒め言葉にはならない。 「カワイイ」と言われただけでは判断基準が無いから、誰から言われたかだけを気にするようになる。 イケメンから言われれば嬉しいし、彼氏から言われれば嬉しい、でもブサメンから言われても不快なだけ。 ですから、多くの人たちが言う「自称・褒めている(つもり)」は、褒め言葉ではなく、 ただ口からこぼれてしまっただけ、と捉えています。 日本語には本来、「主語」があって、「修飾語」をはじめとしたその文章に付随する言葉の形が色々あります。 私が人を褒める時に大事にしていることは、まず、こういった日本語表現として、文法として正しいかどうかです。 正しくなければ褒めているつもりの内容が、相手にストレートに伝わっていない可能性が無視できないわけです。 最低限としてですが、一番大事なことはこのことです。 さらに、私は相手が何を気づいてもらいたがっているかを知ることも大事だと思っています。 それは日常との変化を察知せねばならず、それには、日常を知る必要があります。 毎日見ていると、些細な変化に気づきます。髪型の些細な違い、ちょっとだけ髪の毛を茶色くした、 髪の毛で隠れているピアスがいつもと違う、目の下にクマができている、ファンデーションがいつもと若干違う、 色んな気づきがありますが、やはり毎日注意して様々な見方をしてないとわからないのです。 だからこそ、それが分かり、言葉で的確に表現し、相手に伝え、伝われば、 相手は「この人は自分のことをよくわかっている」と感じることができます。 それが褒めることの原点だと考えています。 特別なことを褒めるのではなく、日常の些細な違いを褒めることが何より大事です。 日常の些細な事とは、他人から見た視点であり、当人にとっては大きな違いのつもりなんです。 些細と感じるのは他人から見た、まさしく気にしていない姿勢なわけです。 もうひとつ言いましょうか、裏ワザというべき褒め方があります。 それは、当人が気付いていない、当人の良さを的確に表現し、褒めることです。 これはもっと難しいです。 何にせよ、相手知らずして褒めることはできません。 日本人で相手をしっかり褒め、それが伝えられている人はそう多くはないです。 多くは意味不明の単語「カワイイ」だけです。
補足
大変参考になります、ありがとうございます。 ポロっとでてしまった言葉...納得です。 私も最近、自分が言葉をどれだけ意識していないかに気付いたところです。 周りの傾向も、なんでも「カワイイ」等の声で済ませていることにも。 漢字を見ると"可愛い"。愛せるのが可能、な域が本来の言葉の意味に近そうですね。でも"愛する"ということもまた個人によって意味が異なるんですよね。怖ろしいです。 私はいつのまにか幼少の頃からそのポロっに重きを置いてしまっていたわけですね。ああ、悲しい! そこで(?)、新たにお聞きしたいんですが、「人を褒める」、「本人が気付いていない所を褒める」ことの目的はなんだと思いますか?
- kei(@kei665)
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はじめまして。 褒めるって簡単そうで、意外と難しいのです。そして褒められると全て嬉しいかというとそうでもないと私は思います。 まず、褒める時は社交辞令にならないように具体的に本当に自分が思った事実を褒めます。たとえば、「字がきれい」とか「そのバックのその柄がいい」とか、でもそこに落とし穴があります。 そのバックを本人が買ったばかりでみんなに見てもらいたいと思っていたなら喜びますが、そろそろ古くなったので買い替えたいと考えていた場合不愉快にさせてしまうのです。 人は皆認めてもらいたい欲求を持っています。ある程度以上の関係を築くために褒めると言うコミュニケーションはどうしても必要です。 「カッコイイ」とか「カワイイ」という抽象的な褒め方を私はしません。相手が認めざるを得ない事実を褒める事をお勧めします。 参考になれば幸いです。
補足
初めまして。回答、ありがたいです。 「褒める」ということは、相手に"君のこういうところを認めているよ"ということを伝えるためのものな気がしてきました。一概にそうとは言えませんが。 >相手が認めざるを得ない事実を褒める」目的ってなんだと思いますか?
- weight69
- ベストアンサー率64% (24/37)
全く支離滅裂なんかではありませんよ。 とても共感できました。僕も「評価される」ことに懸命になり 自分を壊した一人だからです。 「褒め」って、悪い要素がないんですよね。 褒められるとうれしい。 褒めて相手のうれしい顔を見ると自分も嬉しい。 人間関係においては、必要なことだと思います。 ただし必要悪にもなります。 過度に「褒められたいから自分を押し殺してもがんばる」というのは 周囲からすれば円滑に物事が運びますが、 おっしゃるとおり、自分の中での価値観の混乱が生まれます。 世界中の人たちに褒められて「あの人はいい人だ」なんて不可能です。 僕はそれを25のときに自覚しました。うつ病になったときです。 それ以来、褒め言葉は相手に言わないようにしています。 もう自分を壊したくないからです。 その代わり、何かしてもらったとき、「ありがとう」を言います。 言われてよろこびを感じるなら、褒め言葉よりも素直になれますから。
お礼
私もウツから気づきました。苦しいけど、なんとかこの認めたくない事実を受け止めて。泣 ありがとうの大きさは計り知れないですよね。どんな褒め言葉よりも、心から言われていそうな「ありがとう」には涙が出そうなくらい幸せだということを、滅茶苦茶ながらもわかっていたような気がします。 今回の質問で、私と同じような意識を持っている人がいると知っただけで、今までの数年の悲しみがただの過去に変わる兆しです。 ネットのいいところって、シャイな日本人でもおおっ広げに打ち明けられるところですかね。ネットじゃない、私生活でもこのように過ごせたらさらに幸せなのかもしれませんね。 話がそれましたが、本当にありがとうございました。回答、感謝します。 幸せ~
補足
とても参考になります。こう考えてみると、人も目的意識によるしかないということが本当にわかります。価値観の選択で何もかも変わってしまいますね。 いや本当に参考になってます(これも目的意識のための褒めでしょうか。笑)何かオススメの本などありましたら是非、教えていただけませんか?褒めに関してだけでなくても...! あーここまで"褒め"が人間の目的意識のためのものって認識したら、 これから褒められた時に「何が目的?」って絶対聞きたくなっちゃいますよ 笑