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人を信じる

24歳、男です。 この手の質問は他にも色々とあるのですが、やはり自分に適した形で質問したいと思い質問させていただきました。 僕はどうにも人間を信じることが出来ないようなのです。 他人は当然のこと家族すら無条件で信じることは出来ません。もちろん自分のことなどこの世で一番信用できません。 はっきりとした根拠のある事柄ならば納得できるのですが、巷でよく言われるような 「誰にだって長所はあるよ」 「いつかきっといい人と出会えるって」 というような根拠のない言葉は、全く信じることが出来ません。励ましてくれるのはわかってるのですが、すでに成し遂げた人からの単なる気休めにしか聞こえません。 そのせいか、いつからか人からの褒め言葉も素直に受け取れなくなってしまいました。 「○○くんはこういうところがいいよね」 と言われても、 (人は他人と接するときは大概少し尾ひれ背びれをつけて褒める。そのまま受け取ってはダメだ) という腹黒い考えが知らないうちに渦巻いてしまいます。まぁ、口先だけは「はぁ、どうもありがとうございます」と言いますがw 自分にとっても他人にとっても良い傾向ではないと思うので改善したいのですが、何か皆さんが実践した良い方法はあるでしょうか。 根拠のない事柄でも“善意からの言葉”くらいは素直に信じることが出来るようになりたい、というようなことです。 場合によっては精神科やカウンセリングに行くのも視野に入れるつもりです。 お返事お待ちしています。

みんなの回答

回答No.9

人を信じないのは決して悪いことではないと思います。 私も非常に疑り深い性格だとよくいわれます。 私は、根底的に「信じない人の条件」をこのように設定しています。 ・人から借りたもの(例えばDVDなど)を汚して返す人 ・不必要でくだらない嘘をつく人 ・いつも、最初はおだてて、他人を「先生」呼ばわりする人  (こういう人は、大抵、あとでこきおろす人が多い) ・学歴コンプレックスの塊の人 ・挨拶だけは調子よい人 ・勝気すぎてプライドの高い人  (自己中心的な考え方しかできないから) ・自分の長所しかいわない人で自分を反省しない人 ・コトバばかりの口先人間 などです。 こういう人は無視するに限ると誰かがいっていました。 逆に信じてもいい人というのはこういう設定です ・黙って行動する人 ・責任感のある人 ・お世辞をいわない などです。 巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)という 孔子の格言があるそうです。 「ことばを巧みに操って人の気をそらさないように表面をとりつくろっているような人物には人としての最高の徳である仁に欠けている者が多い。「巧言」は巧みなことばづかい。「令色」は顔色をよくすること、 つまり見せかけをよくして表面をとりつくろうこと。」 だそうです。人にいかに取り入るかという観点からすると、 下手なお世辞やもちあげは、営業的には低レベルだそうです。

shin_yu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに例にあげられるような人は、ちょっと信じるのは難しいですねw

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  • shaler
  • ベストアンサー率27% (3/11)
回答No.8

この辺の問題は乗り越えるのは時間がかかると思いますが… 多分、 世の中、自分のことを信じてくれる人なんていません。 本気で構ってくれる人もいません。 独りです。 でも“善意からの言葉”をかけてくれる人とかたまに居たりします。 自分を気にかけてくれる人なんて居ないはずなのに、たとえ気休めの言葉だとしても声をかけてくれる。 そんな人を「優しい人だな」と思ったとき、 せめて感謝ぐらいしてもいいんじゃないかと思いました。 自分はそうやって生まれたささやかな感謝の気持ちが、他人に対する優しさ・信じる気持ちに変わっていきました。 質問者さんは言葉をかけてくれる人に感謝できませんかね? できなきゃ、まぁ最悪かもしれませんね。 自分のことを考えている内は無理です。 「相手から自分に対する気持ち」を考えるよりもまず、「自分から相手に対する気持ち」を考えてみるべきだと思います。

shin_yu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 感謝はしています。感謝はしているんですが、どうしても100%素直に受け取りきれない自分が必ずいるんです。 善意からの言葉なのに、素直に受け取りきれない自分を嫌悪し、言葉をかけてくれた相手に対して罪悪感を抱いてしまうのが困りモノなんです。

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  • slov1986
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.7

先ほど回答させていただいた者です。 >後は親すら信用できないことが問題でしょうかw 私も親を信用できませんでした。父はアルコール依存症で小さい頃から「酒をやめる」と約束しても何度も裏切られてきましたし、本当に子どものことを想っているのか疑問に思う行動もいくつもありました。また母も自分のことをわかってくれなかったり、自分はこういう母の発言で傷ついていると言ったのに「そんなこと言ってない」と言われたり、信用できないところがあるなと思います。 高校まで実家で暮らしていて、たまに親に不信感を持つことがありました。でも大学入学で一人暮らしを初めて家族と離れてみて自分を見つめなおす機会がありました。私はアダルトチルドレンかもしれません。特殊な家庭環境でしたので。だから正直親にも不信感がありますが、アダルトチルドレンの本を読んでいると「親も人間、完璧じゃない。」と書かれていてなんだかほっとしたと同時に親のことも許せるようになってきたんです。 親だって人間です。疲れてるときは子どもがよってきても正直「うっとおしい」と‘そのとき’思ってしまうことあると思います。 質問者様がご両親のことを信用できないとおっしゃるのはどういうことにおいてなのかわかりません。でも、親だから自分をいつも受け入れてくれる、絶対嘘はつかないと思ったら間違いだと思うのです。親だって未熟、子供と一緒に成長していくものだと思うのです。だから、質問者様とご両親の間に何があったかわかりませんがちょっととらえなおしてみませんか?ご両親に対する見方も。私は、今は親にでも友達にでも自分を常にわかってもらいたい、認めて欲しいと思うのは傲慢だし甘えているだけだと思うようになりました。親であっても実存的には他人、同じ人間ではありません。考え方も感じ方も違うのです。 そう思ったら気が楽になりませんか??

shin_yu
質問者

お礼

続けて回答ありがとうございます。 “親”に対しての見方、まさに仰る通りだと思います。 信用できなくても気に病むことはない、ということでしょうか。 出来れば善意からの言葉くらい素直に受け取れるように、これからも努力していきたいと思います。

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noname#132831
noname#132831
回答No.6

 褒められたら、うれしそうな顔をするのが社交辞令ですが、うれしそうな顔をしないのも一つの方法です。なぜなら、うれしくもないのにうれしい顔をしないからと言って、あなたが私を嫌うはずがないと信じています、ということが伝わるからです。あなたが、この人は人格者だ、と信じる人には使える手です。だいたい人格者は、歯の浮くようなお世辞は言わないものです。口先のお世辞には、口先のお礼で充分です。口先の気休めには、口先の感謝で丁度です。  この厳しいご時世に、耳ざわりのいい言葉を聞かされるほうは、いい迷惑です。どうせ他人事だと思って調子のいいことを言ってるだけです。真に受けてたら、痛い目にあいますよ。巧言令色鮮なし仁。  善意から言ってくれた人には、その善意に対してお礼すればいいでしょう。でも、やっぱりそれは違うだろう、と思う言葉は真に受けなくても良いでしょう。それはそれ、これはこれです。  信じる心が、自然に湧きおこってくるものだと考えている人は、まだ未熟な人です。思いやりも優しさも愛も感謝も信じることも、すべて考えて行動することで生まれるのです。

shin_yu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 このご時世であれば僕の態度や考え方は特に大きく間違ってはいないということでしょうか。 他の方とは少し違った角度からの意見ありがとうございます。 >信じる心が、自然に湧きおこってくるものだと考えている人は、まだ未熟な人です。思いやりも優しさも愛も感謝も信じることも、すべて考えて行動することで生まれるのです。 やはり、根拠がない事柄を信じることはナンセンスということでしょうか。 自分が考えた結果信じるに値する、と思ったことだけ信じればいいという感じでしょうか。

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  • slov1986
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.5

はじめまして。私もあなたと同じことをよく考えていました。 親が「他人を信じるな!」ととても他人に対して不信感の強い人で自分もそのような思考になったのだと思います。 それで、他人が何かしてくれても「どうせ偽善だろ」とか「本心ではバカにしてる?」なんて思っていました。だから、他人に対して優しくすることができませんでした。 でも、とりあえず信じて見てはどうでしょう?それで裏切られたらその人は信用できない。でもはじめから信用しないのはもったいないです。 こちらから優しくすると他人も自分に対してよくしてくれます。本当の善意を求めるだけでは誰も自分によくしてくれないと気づきました。本当にいい人は自分が何も与えなくても無償の愛を与えてくれる…そんなことは親以外ないのです。こちらが与えるから与えてくれる。親以外は甘えるにしても限度があります。 仮に裏切られたとしてもその人が信用できなかっただけで、人間と言うものはすべて信用できないと考えないでください。 自分もそういう風に他人が喜ぶことをしたり(本心から)するようになると周りの人も「どうして自分にここまでしてくれるの?」ということをしてくれるようになりました。 もちろん親友だからって似合っていない服を「似合ってる」と嘘を言うことがあります。でもそれって信じられないことなのか?私は前は信用できないと思ってたけど、自分を気持ちよくさせたいとかそう思ってくれるってありがたいことだと思うようになったのです。親以外あくまで他人、何でも本音で話すことなんてできないです。ある程度距離を置いた付き合いしかできないと思うのです。でもそれは信用できないということとは違うと思います。

shin_yu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ある程度距離を置いた付き合いしかできないと思うのです。でもそれは信用できないということとは違うと思います。 これは少し納得できました。“距離を置いた付き合い”と“信用しない”ということには確かに多少のズレがありますね。 後は親すら信用できないことが問題でしょうかw

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  • hgx1e012
  • ベストアンサー率50% (19/38)
回答No.4

(1)昔から人を信じられなかったのですか? (2)過去に信じてた人に裏切られた経験があるから、そのように考えるようになったのでしょうか? プライベートな事なので質問者さん、答えなくて良いですよ。 <人は他人と接するときは大概少し尾ひれ背びれをつけて褒める。そのまま受け取ってはダメだ 確かにそうかもしれません。でもこれは相手との関係を良くするために言うのです。 日本人って親切・丁寧すぎるというか、そんな生き物ですから。 嘘も方便といいますが、貴方のために良い嘘をつくことだってあります。 その言葉によって励まされたり、モチベーションが上がったり、ただ単に良い関係を築くためだけでなく、その言葉で貴方のために役に立ちたい、力になりたいという人もいるのです。 そんな人達のことも考えてみてください。 そんな人達は貴方を信じてくれているのです。 それなのに貴方がそんな人達を信じないのは失礼な事だと思いませんか? 人を信じる事って本心を言ってくれる人だけではないのです。 きつい言い方かもしれませんが、まず自分を信じられない人に他人を信じる事はできません。 人を信じるためにはまず、自分を知ることから始めましょう。 自分の性格、価値観、生き方、趣向など。 それらを知った上で、これが自分なのだと理解し、受け入れる事です。 確かに嫌なことも沢山あるでしょう。でも誰だってそうですし、それが自分なのだから否定はできません。 大切なのはその自分の嫌な部分と素直に向き合い、どうすれば克服するかです。 そしてそれを変えようとする意志を持ち、自分ならできると強い覚悟を決めること。 嫌な自分の部分を認め、それに打ち勝つこと。 そうする事で初めて自分で自分を信じることができると私は考えています。 回答の趣旨がずれていたら申し訳ないです。

shin_yu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 全くもって仰るとおりだと思います。 >これが自分なのだと理解し、受け入れる事です。 確かにそれが重要なのはよく理解できます。 頭で理解は出来るのですが、どうしても僕の心が納得してくれないのです。 >大切なのはその自分の嫌な部分と素直に向き合い、どうすれば克服するかです。 僕は自分の全てが嫌いです。自分全てを丸々変えなければならないってことになってしまうでしょうか。 真面目に回答してくださって感謝しています。 ありがとうございました。

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  • hu-yu-
  • ベストアンサー率27% (19/70)
回答No.3

みんなそんなもんじゃないんですかね? 私はみんな同じだと思っていましたが。。。 異常ですか? 一時期私も同じように悩みましたよ。 いつの間にか忘れていましたけど(笑) 気楽に流していればいいんじゃないですか? 難しく考えても答えなんて見つかりませんから☆

shin_yu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 親すら信用できなくても普通なんでしょうか。 もしそうであれば少し安心できますw

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  • hanzo2000
  • ベストアンサー率30% (552/1792)
回答No.2

信じられないことを信じるのは難しいし、 あなたのことを褒めている人も、 あなたの想像通り、腹黒い気持ちから褒めているのかもしれません。 しかし、あなた以外の人が、どういう気持ちで言葉を発しているのか、 いくら考えてもわかりっこありません。 そうであるなら、あなた自身が、 自分で一番都合のいいように解釈すればいいのではないでしょうか。 「相手の真意」みたいなものを考え出すとキリがありません。 「真意」なんてないんです。 そんなのは想像上の怪物みたいなものです。 あるのは「自分の解釈」だけです。 あなたが誰かに褒められたとして、 相手が何割増しで褒めたかどうかを考えることは無意味です。 あなたがわかるはずはないのですから。 大事なのは、褒められたことをあなたがどう解釈するか、です。 たとえば、褒められてうれしいけど、 でもおだてている可能性もあるから、 言葉半分くらいで解釈しよう、でいいのです。 たとえ言葉半分でも、少しはうれしかったとします。 相手が5割増しで褒めているのだとしたら、 そのときはあなたも5割増しくらいで喜んだ顔をすればいいのです。 それが大人の対応というものです。 褒められたとして、額面通り受け取れなくても、 やっぱり褒められたら少しはうれしいものですよね。 そうしたら、今度はあなたが誰かを褒めればいいのです。 全部は信用されなくても、相手は嫌な気持ちはしないでしょう。 そんな風に気楽に解釈して過ごせばいいんじゃないかなと、 私自身も気楽に思います。

shin_yu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 仰るとおり、だいたいいつも3割から5割で受け取っています。 でもそれではなんだか相手の好意を無にしてしまうような気がして…

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noname#141297
noname#141297
回答No.1

信じる信じないではなく、あなたが信じたいか信じたくないかでしょう? だから信じたい時はあくまで信じるし、信じたくない時は信じない。 と、アニメで学びました。

shin_yu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに仰るとおりなのですが、自分が信じたくないから相手の善意すら素直に受けることすらしない…という状況は良くないと思い、質問した次第なのです。

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