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最近つっぱりを見ないですが

関東の都心から1時間以上の街です。 ここ数年、中高生のいわゆる つっぱり を見なくなりましたが、私の周りだけでしょうか? 何か外見は普通だが行為がつっぱり に変わった? 一生懸命探せば、居るのかもしれませんが、以前は 結構頻繁に電車などでも見ていた記憶があるのですが、、、?

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noname#140269
noname#140269
回答No.1

「つっぱり」とはまた懐かしい言葉ですねぇ。久し振りに聞きました。昭和50年代~60年代かな?見た感じからして「うわ~つっぱり!」が多かったのは。まぁ一種のステータスでしたからね。喧嘩が強いのもそうでした。反抗期にああゆう格好をして自分の強さ(本当は弱い・寂しいだけ)をアピールし、何処そこ構わずにたむろする。確かに最近は一目で「つっぱり」と分かる連中は見なくなりましたけども、その代わり、事態はもっと深刻化してきていますよ。そのハケ口が無くなったから、最近のガキ共は何を考えてるのか解らないという怖さがあります。心は歪み、家族を平気で殺したりする。手口も残虐。つっぱりは一種「ブーム」でしたけども、今は違います。少年社会が何かおかしくなってる気はします。 行きつけのスナックにいる若いお姉ちゃんに「短ラン」「長ラン」って言っても通じませんもん。そうゆう「姿」をしてるガキ共は「絶滅」したんでしょうなぁ。昔と比べたら暴走族も激減したし。その代わりドリフト族(最初聞いた時はドリフターズに関係してんのかいなと思いましたが全然違いました)が流行りでしょう?時代は動いてるんだなぁという事を実感します。

apiapi_2006
質問者

お礼

外見より内面に来ている、ということですか! より難しくなっているのですね。 ひょっとして良くなっているのかな?と思いましたが違っていたようです。 ありがとうございました。

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  • gesigesi
  • ベストアンサー率10% (52/480)
回答No.6

ファッションの変遷です。 ツッパリスタイルの最盛期は1980年前後。 ガングロを経て茶髪時代、ミニスカート時代に突入。 尚、30年以上前から現在に至るまで継続されている不良の着こなしが1つだけ在ります。 それは「腰パン」です。 異常に吊り下げてズボンを履くスタイルは、1970年代からすでに登場しており 私の通っていた中学校の不良どもは、腰パンとスカマンの両派に別れてました。 腰パン派は実家が経済的に苦しいが、連む事無く、性格は愛嬌があって良心的。成績も悪くはない。 対してスカマン派は弱い者いじめが趣味で質が悪く、よく連むグループでした。 現在の女生徒はほぼ九割が隠れツッパリで、ミニスカートという可愛らしい外見に反して性格は男のようです。 がさつな態度に品のない笑い方をして数人で下校し、すれ違っても道を譲らないアホ女が増えました。

apiapi_2006
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.5

最近はほとんどがブレザーですからね。 ブレザーでボンタン履いたら間抜けに見えますよ。 剃り込みやリーゼントも同じ。 ブレザーって坊ちゃんというイメージですから。 茶髪やピアスがせいぜいじゃないですか?

apiapi_2006
質問者

お礼

なるほど、服そのものが つっぱり にくくなっている、ということですね。 ということは、中身は変わらない(減っていない)ということですね。 ありがとうございました。

  • key00001
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回答No.4

外見的な「つっぱり」は、単に服装の乱れですね。 ソレは、腰パンに茶髪とかに変わっただけだと思いますヨ。 その結果、昔に比べると、不良なのか、ファッション的な流行なのかが特定しにくくなってるだけじゃないでしょうか? 学ランなどに関しては、校則を強化すれば簡単に解消出来ますよね。 「学校に学ランを着て来たら、即時退学」にしちゃえばいいワケです。 そういうコトをやったんでしょう。 退学させられたら、学生ではなくなり、学ランを着る理由が無くなります。 そうなると学ラン組は、どんどん少数派、即ち流行の中心では無くなり、若い連中にとっては魅力的では無い存在になったって言う流れじゃないかな? 若い連中が、品行方正になったと言うのであれば、青少年犯罪の減少とかに直結します。 確かに警察や文科省などの白書によれば、減少してるなんて書いてたりしますが、イマイチ素直に信用は出来ません。 役人どもは、目先の数字遊びに必死なだけですからね。 いじめで自殺などあるたび、校長などの第一声は、今も昔も「いじめは無かった」です。 何より、「最近はヤクザが若手の獲得が困難になり、解散する組が増加」とか「暴力団構成員の高齢化が顕著」なんてニュースは知りません。 お役所的に、「服装の乱れ」に対する取締りを強化しただけだと思います。 結果的には、不良とそうじゃない学生の識別が困難になっただけですよ。 言い換えたら、不良が一般的な学生の中に埋もれちゃって、いじめや青少年犯罪の種も、見つけにくくなっちゃったんじゃないかと思います。

apiapi_2006
質問者

お礼

外見的不良は減った(内面は変わらない)ということですね。 ますます、難しくなっていますね。 ありがとうございました。

回答No.3

昔は、親や学校が子供たちを抑えつけたから、それに反発してツッパリが輩出しました。 いまは、親も学校もまったく抑えつけないので、中高生が学校帰りにセックスライフをエンジョイしてんだって。 世も末だねぇ。

apiapi_2006
質問者

お礼

やはり 反抗度が下がった、必要なくなった、ということですか! ありがとうございました。

回答No.2

「つっぱる」にも周りに強い押し付けが無いから突っ張れないのかな。 「ゆとり教育」ではそういう「自分らしさ」は個性として認める方向ですしね。 協調性と効率性重視の教育だった頃は、全員を同じ物差しで測り、外れたものを補正しようと親も先生も頑張ったものでした。 でも、そんなのは大人の事情。 自分には譲れないモノがあるんだぜぇと頑張ったのが突っ張り達でしょう? 屁理屈が酷く子供っぽかったり、自分勝手だったりで社会からは理解されないけれど、自分の周囲には理解者も居て、同じシンボルで纏まったり。(規則外の制服を着たりね) それが格好良くて仲間意識だけで同じ格好をしたり、 その中で一目置かれたくて暴力や軽犯罪に走ったりも、 対抗する「大人の事情」が強くないと滑稽になってしまいます。 今、奇抜な格好をしても先生には放っておかれるんじゃないかな? 大人に対して反抗する事に意味があるのに、認められちゃね...。 構ってくれないと、あの制服は格好良くないし機能性も悪いしコストも掛かるので、 そりゃ着ないだろうなぁ、と思います。 反抗も精神的な成長には必要だと思いますけど、 今は反抗しようが無い。せいぜい親くらい? 先生や近所の人は他人の子に真剣に協調性を説きません。 やっぱり環境に適応できずに絶滅しちゃったと思います。

apiapi_2006
質問者

お礼

反抗度が下がった、ということでしょうか? (反抗する必要がない、できない?) それはそれで良くなった?ということですよね。 ありがとうございました。

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