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自分が嫌いな人間は誰かを好きになれないって本当なんですね
- 自分が嫌いだと本当に誰も好きになれないことが分かりました。自分を取り繕っても誰にも好かれなくて、好かれたいと思っても他人を好きになろうとしない人間を好きになる人はいません。
- 自分嫌いになってしまい、それが原因で人嫌いになってしまいました。どんなに興味を持とうとしても無関心で、良く見られたいばかりで普通の人間関係を望んでいます。
- どうして自分のこと好きになれるのか、どうして好かれることが出来るのか、それが解けない永遠の謎です。何年経っても変われずにいる自分に悩んでいます。
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そうですね。自分が嫌いだと人の事はなかなか好きになれないかもしれません。私もそのテーマでずっと考えています。変わった部分も沢山ありますが、やはり根っこの部分はなかなか変わっていないようで難しいですね。 人は自分の心のフィルターを通して周りを見ますから、自分の心が真っ暗だと回りも真っ暗に見えてしまうようです。「認知の歪み」というものを調べてみるとちょっと参考になるかもしれません。その中の一つとして【心のフィルター】というものが定義されています。 1つの良くないことにこだわってくよくよ考え、他のことはすべて無視してしまうこと。ちょうど1滴のインクがコップ全体の水を黒くしてしまうように。「心のサングラス」ともいう。 例:会社である企画を提案し、一般の評価はたいへんよいのに、ある人から受けた些細な批評が頭から離れず悩む。このような思考パターンに陥ると、なにごともネガティブにみてしまうので、気分は当然暗くなります。 というような感じです。自分が嫌いだとどうして人の事がなかなか好きになれないのか?と考えるとたぶんこういった事だと思います。 (1)自分が嫌い (2)自分を否定する事ばかり考える (3)相手の言動を自分自身の「自分を否定する心のフィルター」を通して解釈する (4)相手から嫌な事を言われたと感じる事が増える といった感じなのではないでしょうか。 「どうせ自分なんか」「私はダメな人間だ」と思っていると、相手から言われた言動もその価値観で解釈しますから 「どうせお前なんか」「お前はダメな人間だ」と言われているような解釈になるのではないでしょうか。 人は自分を否定する人を嫌いますから 自分を否定する自分=嫌い 自分を否定する他人=嫌い となるのではないでしょうか。そして、そうやって自分や他人を嫌うような自分はダメだとさらに自己嫌悪してもっと嫌いになっていく・・・負のループですよね。だからできれば自分の事は否定しない努力をするといいですよ。つまり、自己嫌悪する事を減らす事がいいと思います。 (1)自分に嫌なところがある (2)私はダメな人間だ (3)自己嫌悪する (4)もっと自分が嫌いになる ※以降1~4の繰り返し=負のループ になっていませんか? それを変えるには (1)自分に嫌なところがある (2)それも私だ。そう思ってもいい (3)自己嫌悪しない (4)己肯定感の割合が増える ※以降1~4の繰り返し=プラスになっていく という努力をするといいと思います。ここで一番努力が必要なのは(2)の「それも私だ。そう思ってもいい」というところだと思います。自己嫌悪するのと、これでもいいと思うのでその後の思考が変わってくると思うので(2)で思考の悪循環にストップをかける努力をしてなるだけ自己嫌悪を減らす努力をするのがいいですよ。 例えば毎日「お前はダメな奴だ」なんて言い続けられたら自己嫌悪の毎日でどんどん自分が嫌になっていきますよね。 だから、まずは自分に対して「私なんてダメだ」という言葉をかける事を減らしていくといいですよ。ダメだと思ってしまったら「自分らしくいていいんだよ」って自分に言ってあげるといいと思います。落ち込んだら自分に「大丈夫だよ」って言ってあげるといいと思います。 その繰り返しで自己嫌悪する回数を減らす努力をしていき、自己嫌悪が減るという事は=自己肯定感の割合が増える事につながりますから少しずつ変わっていけると思います。それには日々、自己嫌悪しない努力とやはり時間はかかると思いますが。自己嫌悪してしまう自分は内なる自分で、それを外から見る自分が「大丈夫だよ^^」って励ましてあげるといいですよ。 私もマイナスのループにハマりがちなので努力しているところです。結局人間の思考は癖だから毎回同じような思考回路になっているので、その思考の癖を変えてあげる作業をすれば変わっていくと思います。癖を変えるには「それをしない努力」が必要になりますから、自己嫌悪しない努力をお勧めします。私も人の事言えないので努力しようと思っています(^^; なかなか難しいんですけどね、あまり自己嫌悪しないようにもっと自分を認めてあげられるようになりたいですよね。
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- nyannkowannko
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何でそんなに自分が嫌いなのかな・・・・。 好かれたい、だから、頑張ってたのだし、 その思いが、その相手に伝わらなかったし、 例えば、あなたはどんな人が好きですか・・・・ お手本にしてみたら・・・・ 自然な気持ちで、好かれたいとかじゃなくて、相手を好きになればいいし、 好かれたい、好かれたい、 でも、好きになってもらえない。 人間関係って、頭じゃなくて、もっと、自然なものだと思いますよ。 頭で考えすぎ^^ この質問読んで、 私はあなたに少し興味を持ちましたよ。
人に好かれたいと最初に考えてしまうと、どうやらその思いとは逆の方向に進んでしまうような気がします。 私は特に友人と呼べるほどの親しい人は多くありませんが、人にはよく話しかけられます。そしてご近所さんとも仲が良いです。 自分の性格を正しくわかっています。 まず明るくは無いですし、愛想もよく無い。また人への好き嫌いははっきりしていて、嫌いな人と認識したら、ばっさり関係を断っても良いと思っている。 自分に正直でいること、誰にでも「自分を好きになって欲しい」と思っていないこと。 私のような変わり者、誰が理解してくれるかな、自分の考えに似た人はいるだろうか?と思うほど、世間で言うような社交性は持っていないのです。 でも、近づいてくれる人はいるんですよね。話しかけられることは本当に多くて、その後何度も顔を見るうちにおしゃべり友達ぐらいに自然になっています。 自分のままで過ごすことが自分にとって楽だから、何も飾らないしウソをついたりしないだけです。その裏の無さを感じ取ってくれる人がきっと、私に話しかけてくれる人なんじゃないかと考えています。 案外、人に思われたいという願望を手放すと、その気楽さから人への壁が取り除けることに繋がることもあります。 いつか誰かが見ていてくれて、その人らしさを正面から受け止めてくれる人が現れると思います。それがいつになるかは、あまり考えず、焦らず待ってみようと気長に構えてみてください。
お礼
ないものを望んだり、人を羨んでいる内は幸せにはなれないと 良く言いますが、その通りなんだと最近感じます。 それでもそれを渇望してしまうのが止められない、止めようと 心に誓っても継続できないことで更に自分を嫌いになります。 普通に人と接するって何なんだろう?なぜこんなにも難しく、 普通の人はみんな出来ているのに自分は出来ないんだろう? 劣等感に苛まれて苛まれた結果、自分嫌いになってしまいました。 昔はかなり自己中な人間でしたが、まだその頃の方が 「自分らしさ」はあったような気がします。 取り繕い始めた自分には驚くほど自分の好きな所がありません。 社会人として最低限の礼儀は残しつつ、我儘になるのが良いのか、 加減が分からないのが悩みどころです。 欲望を手放すというのはとても適切なアドバイスを頂きました。 上記の悩みと踏まえるととても困難な解決策には思えますが、 微力ながら出来て行けたらと思います。 回答どうもありがとうございました。
- d194456
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> 自分のことが嫌いで仕方なくて、だからこそ人に好きになってもらおうと自分を取り繕ってきた… あなたは思うような人間関係が作れて居ないことの原因を「自分自身が嫌いだから」と言う言葉で、片付けていませんか。人に関心が持てないのは何故でしょうか? > 人に興味持ったり好きになろうとしても驚く程に無関心でした。 あなたがその人に対して魅力を感じなければ、関心は無くなります。その人に既に好きな人が居たら、更にあなたと交友関係を持とうと考える人は少ないでしょう。 鏡の中のあなたの顔を見て下さい。笑顔が素敵ですか。口を尖がらせていませんか。何時も不平、不満を持っていると、口が尖がってきます。あなたが鏡を見ながら、素敵な笑顔を作る練習をして下さい。両手で顔の筋肉を柔らかくして下さい。 これが人に好かれる準備の一つです。 寝る前に鏡を見て、あなたの顔の眉間の真ん中を見詰めながら「人を好きになる!」と一回だけ命令して下さい。 朝、目が覚めたら直ぐに、「人が好きだ。」と一回だけ断定して下さい。これを毎日、二,三ヶ月続けたら、人が好きになっています。「人」の換わりに、自分を使っても良いです。朝の断定時に、まだ好きに成れていないのに言い難いことだな、と感じたら「今はまだ人を好きに成っていないけれど、必ず好きに成ると信じることにしよう」と、付け加えて下さい。 「自分自身が嫌い」を直したいのでしたね。 あなたが欲しいと思うことが出来ていない自分が、今現在ここに居るからだと思います。上の寝る前の命令で直すのも良いですが、あなたは、何故自分は人を好きに成れないのかを充分に考え、観察したのですから、たにんに関心をもてないのとは状況が違うと思いませんか。現状の言い訳に使いやすい言葉として使っているのでは、と最初に言いました。自分自身が好きでなければ、願望を満たすことや、現状打破などを考えたりしないものです。 願望が満たされない理由を考えるよりも、満たされている願望の素晴らしさを堪能することも考えて下さい。 出来ないことを考えるよりも、出来ることを考える。より楽しい人生になりますよ。
お礼
綿密に言えば「自分のことが嫌い」というよりは、 「他人に好かれないから自分が嫌い」なんだと思います。 どんなに自分で自分を認められたとしても、「人に好かれない」という その一点だけで大嫌いになれてしまうものでした。 「認められたい」一心だったので、自分から好きになる方法を とうの昔に忘れてしまっていたのかもしれません。 自分で自信を持っていても、誰にも認められなければただの過信だと、 自分にそう言い聞かせてきたので、自分が嫌いです。 本当は人を好きにならなかったから好かれなかったのかもしれない、 好かれなかったから好かれようと取り繕った結果は違っていたかもしれない、 そう色々と考えすぎたら堂々巡りで良く分からなくなりました。 「自分に出来ること、持っているもので幸せになろう」と最近考えるのですが、 世間一般の幸せ(友達多い、結婚している等)が蔓延する中で、 マイノリティーな自分を自分一人で認めて自己評価だけで生きることに 不安を感じているのが正直なところです。 満たされているものをもう一度考えるのが得策かもしれません。 回答どうもありがとうございました。
自分を嫌いだと人を好きになれない。 まあそれはそうかも知れません。 でも、あなたの気付かないあなたの良さを認めてくれる人はいると思います。 そういう人に出会えたら、変われるチャンスになると思います。 それには、取り繕いをやめることしかありませんね。 つまり、ありのままの自分を受けとめること。 きっとそれが怖くてできないんでしょうね。 本当の自分を認めたくない。そういう気持ちがあるんだと思います。 こうありたいという理想の自分に、あなたは振りまわされているんだと思います。 理想とかけ離れた自分を認めたくないんだと思います。 けれどそうして幻想を追いかけているうちは、大人として成熟できないのです。 生育歴とか育った環境とか家族関係とかに関連してくると思うのですが、 いつまで経っても自分を受け入れられない人というのは、あり体に言えば愛情に飢えてる人です。 たとえば子供のころは無意識に親が望むような子供になろうと誰もが思います。 けれどその気持ちが強すぎたり、親の期待が高かったりするとバランスを崩します。 親は十分に愛情をかけたつもりでも、それが裏目に出ることもあります。 良い子でいなければ愛してもらえない、そんなメッセージを受け取ってしまいながら育つ。 まあこれは一つの例にすぎませんけど。 何らかの理由でありのままの自分を認めてもらったという思い、経験が少ない、というのが原因かも知れません。 でも、過去、現在、未来のどこかにおいて、あなたを必要とする人が必ずいます。 もちろん親もそうでしょう。友達だってそうだと思います。 人と人との関係はどこまでもつながっています。あなたが抜けたら成り立たない連鎖があるのです。 東日本大震災を、あなたはどう思いましたか? 普通に生活できるありがたさを感じませんでしたか? 生きてることは当たり前なんかじゃない。何もない日常ほど尊いものはない、と思いませんでしたか? あなたは生きてるんじゃない、生かされた命なのです。 自分が嫌い、認められない、なんて贅沢以外のなんでもない悩みです。 あなたが自分のこと、そう思ってると知ったらご両親は悲しむと思うのです。 等身大で生きること。それに尽きます。 自分の嫌いな部分、認めたくない部分、それも自分なんだと認めることからです。 それでもあなたは誰かに必要とされている。生きてるだけで感謝されていると信じてください。 そしてその事に自らも感謝してください。 いかに自分がない物ねだりの強欲物かという事に気付いてください。 いかに自分、自分と執着しているか、物の見方、考え方が偏っているかに気付いてください。 一つの物差しで自分や世間を見ないことです。 そうしたとらわれの心から解放される事を希望します。
お礼
大震災は良くも悪くも私にとっては「自分って何?」と考えるきっかけでした。 確かに被災者の方に比べて仕事があり、暖かいご飯を食べられている、 それで幸せじゃないか、認められたいとか好かれたいとか悩むのはくだらないと 思いましたが、確かに私は強欲で、では他の人が持ってる幸せ(そうに見える)は 自分には手に入らないのか?ずっと一生孤独に死ぬのか?と悩んでしまいました。 被災地で家族を無くされた方に比べればあまりにも馬鹿な悩みです。 子供の時の夢(小学2~3年だったかと)が「みんなと同じになりたい」でした。 人より優れていたい、良く見せたいなんて思ってなかったです。 ただ、みんなと同じになりたいのになれない、仲良くなれないから 自分は普通じゃない、僕は劣ってるダメな奴なんだと思い込んだら いかに自分を良く見せて好かれる(普通と思ってもらう)かに倒錯しました。 でも、普通はそんなことしなくとも普通に好いて好かれる現実。 むしろそんな風に好かれようとすることこそが異常(普通じゃない) どんどん歯車が噛み合わなくなって行き詰まりました。 等身大の自分がどういう人間なのか? 何が好きなのか?何が嬉しいのか?何が嫌なのか? 今の私には「好かれたい」を取り除いた状態での素の自分と向き合う作業が 必要なのかもしれないです、フィルターを介さないありのままの自分を探すのが何故か難しいです。 耳の痛い厳しいご意見もありましたが、真摯なご回答に救われます。 自分のために時間を裂いてこのような文章を書いて頂いてありがとうございます。
お礼
上手くいかなくて色々と考えながら 人と接していたら分からなくなってしまいました。 好かれている人のように振舞うことは出来なそうです。 現実世界では誰にも相手にされない人間なので 最後のお言葉だけでとても嬉しかったです。