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私は自分のことが嫌いです。
ですが、特にこれといったきっかけもないんです。 気づいたら自分のことが嫌いになっていた。 たしか、自覚したのは小学六年生の頃だった気がします。 そして、理由はわからなくとも跡付けくらいはできます。これが理由なんじゃないかという。 まず私は、小学1,2年生までは、自分のことが嫌いと思ったことがありませんでした、ただ単に記憶がないだけかもしれませんが。そして、3年での記憶はなく。四年生の頃には少し病んでいました。クラスでも無視をされていたみたいです。ですが、これには確実な記憶はありません。私が覚えているのは、ノートにびっしりと『死』という言葉を書きつづけていて、そのノートの表も裏も大きな『死』の文字がかかれている。そんなノートが記憶にあります。(ちなみにこの死という字を書いたのは私自身です)実際に今手元にはありませんが確実に覚えています。自分でもなんで私がそんなことをしていたのかわかりません。そして、あるとき私が見つけたノートに。『班の人たちに無視される、絶対私のことが嫌いなんだ。ひどい』とそんな内容の文章が書かれていました。たしかに少し嫌な話ですが、病むまではいかないんじゃないかと思いますwでもまぁ、なぜかその頃は病んでいました。それからの5,6年は楽しいものでした。そりゃぁ、頭の悪い子供のことですから、小さな裏切りやうそつき、限度を超えた遊びやいじりを、見たりされたりもしました。それが5,6ねんともなるとそこらへんのことだけ色々思いついて、そういう好意が悪化してきていました。けれど、自分自身は楽しかったです。友達と喧嘩をしてもすぐ仲直りしてより仲が深まってもいきました。けれど、私が六年のとき、ある一人の男子が複数人の男子にからかわれていました。そのやられている男子は感情を抑えるのが苦手らしく、キレやすい性格でした。でも、私はその人をいい人だと思っていましたし、今でも思っています。逆に、感情をあらわにできる彼がうらやましいとも思えました。で、そのいじりというのが、キレやすい彼をわざとキレさせるというものでした。ベランダ(?)にだしてから、ドアの鍵をしめて、入れなくするような。当たり前のように彼はきれました。面白がる人がいました、彼が暴れていたので、怖がるひともいました。心配そうに見つめるひともいました。私は、自分の席からは動かず、それをただみていました。いじめではないのでしょう。遊んでいるつもりなんです。この何回か繰り返されている行為のなかで、もちろん鍵をあけてあげる人もいました。いじる側の男子は「なにあけてんだよ」といってきて、彼があけたのに気づいていないときはまたかけ直します。そして、私も1,2度あけたことがあります。そのうちのいっかいはきづいてもらえ、彼はでてきました。誰にも気づかれないようにやったので男子になにをいわれることもありませんでした、ちなみに彼は少し興奮していたのでお礼はいわれませんでした。自分をただ見ているだけのやつがなにかの気まぐれで開けた。と思ったのかもしれません。まぁ、それについてはどうでもいいのです。でも、ここからなんです。ここから私は自分が嫌いになりました。そして、その後はじめて嫌いな人ができました。心のそこから嫌いで気持ち悪くて認められない人ができました。そこからどんどんどんどん自分が嫌いになっていきました。そして、中学に入りました。自分についての作文では、どれだけ考えても何も思いつかず。これでいいだろうというものしかかけません。それにいつからでしょう。中学に入って友達ができなかったのが理由なのかもしれませんが。自分のことが確実に嫌いになっていました。死ねばいいのにと、そう思うようになっていました。回りのみんなは私に冷たいということはなく普通に接してくれますし、とくに悩みもなかった。けれど、いつのまか、人が信用できなくなり、自分が嫌いになり、感情を表に出さないようになり、意見を言わないようになり、感想を持たないようになりました。私より苦しんでいる人はきっとたくさんいるでしょう。私は死ねばいいと思っているだけで、死にたいと思っているわけではない。自分も他人も傷つけてはいない。ただ苦しく虚しいだけ。いつも友達に『元気だね』『表裏がない』『明るい』『悩みがなさそう』『楽しそう』そんなことを言われます。言われるたんびに思う。本当は元気なんかじゃない。無理にテンションをあげているだけ。裏表がないんじゃない。裏を誰にもみせていないだけ。明るいのは、そうしていないとキャラが崩れてしまうから。悩みがなさそう?それは悩みをうちあけたことがないからそう思うんだよ。楽しそう?ありえない。いつも心のどこかにつっかかりがあるんです。なぜキャラが崩れたことがないのか不思議ですが。自分の本当を見せたくない。誰も信用しない。裏切られたリスクを考えて弱点は晒さない。弱音ははかない。相談はしない。自分の感情はなるべく伏せる。そうやっていままできています。 別にどうということもありませんが。自分の母親が自分のことが好きだといいいます。私の友達でも、自分が好きだという人がいます。自分のだめなところもそれを含めて好きだと。ありえないと思いました。自分が好き?そんなにいっぱい弱点欠点があるのに?悪いところや至らないところがあるのに、それに気づいているのに。自分が好きだなんて、どれだけ、どれだけ、いいことなのだろうと思いました。自分が好きなまま生きる人生はさぞかし楽しいものなんだろうなぁと思いました。その人たちをうらやみました。ですが、自分もそんな人間になりたいとは思いません。なら何故ここで質問しているのかといえば。私についての意見や感想。そして、なんで自分が嫌いになったのかという推測などをお聞かせ願いたいのです。長文×乱文で申し訳ありませんが。どうぞよろしくお願いします。
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自分の欠点を知る人は強いのです。 普通の人はそういう物から目を逸らします。 ただ、欠点は長所でもあります。 優柔不断が慎重だとも言えますし、積極的が無謀だとも言い換えられます。 自分の欠点が気になるなら対処法は2つ。 一つは改善するように努力する。 例え改善出来なくても努力する事は大事です。 ただ、欠点が無い当たり障りにの無い人間は周りから「面白みが無い」と取られがちです。 もう一つは欠点は欠点であると受け入れ、長所をより伸ばす努力をする。 これは個性的な人間を作りますが、個性的と言うのは周りから叩かれる可能性もあるということです。 それでも自分を突き通す意志の強さが必要です。 まあ、黒い部分を探すと全体は黒く見える。 白い部分を探すと全体は白く見えると…否定的な目で見れば人はみな欠点だらけですよ。
- pglet-78
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『思考する事が好きで他に特にやりたいことがない、完璧主義の暇人』
- HeyXey
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こんばんは。 人を好きになったり嫌いになったりするのは、何も長所や短所があるからではないのです。自分が本当に言いたいことを代弁してくれる人、嫌なことをさせないでくれる人、我慢を強要しない人、楽に生きさせてくれる人、そういう人って付き合っていて楽ですよね。自分を好きか嫌いかにつても同じです。自分が自分に何をしたか、よく思い出してみてください。 つまり、「自分を優先させているかどうか」がポイントなのだと思います。自分の満足より他人の満足を優先させていると、そういう自分を嫌いになります。そりゃぁ、自分の思い通りに言動すれば他人との摩擦が起きます。それでもなお、「自分を優先させる工夫」を考えることです。 たとえば、感謝。自分が感謝の気持ちを伝えたいからお礼をする、というのが本来の姿です。それで、自分の気持ちがスッとするのです。相手が『礼儀正しい人だな』と思うかどうかは全然関係ないのです。自分の気持ちを優先して、謝る、お礼する、親切にする、プレゼントする。逆に、したくもないことはしない(他人がどう思おうと)。まぁ、どっちが得か、計算して自分の判断でそうすればいいのですがね。『人のため』なんてキレイごとはなしに、自分に正直に生きていればいいのです。 僕自身昔にくらべてずい分変わったと思います。以前は世間の常識に合わせ、人から見て立派な人間になることを目指し、自分を犠牲にして人のために尽くすことを美徳とし、ネガティブな感情は全て悪と思い、物事はよく考えしっかり先の見通しを立ててから行動に移すべし、など絵に描いたような優等生をやっていたように思います。そう、深い考えもなくただ「演じて」いたのです。その結果何の不安もない幸せを手に入れたでしょうか。否、それとは逆に常に不安と心配、恐れがない時はなかったのです。 それが今はどうでしょう。それらを全部やめてしまって心の赴くまま自分の信じるままに動き、直感を即行動に移しては人を呆れさせ、怒りたい時は怒り、人の目や世間体は気にしません。負担にならないことしかしないから疲れないし、我慢もほんの少しだけです。ワガママというのは「我が侭」が元の意味で、本当は自分のあるがままを生きるということだと聞いたのでNOを言うのも上手になりました。 アタマ(マインド)はあまり使わないほうがよいことが分かったのですがこれはもともと得意中の得意、堂々と左脳を眠らせて感じることを大事にしハートが受け取ったことだけを言ったり行動したりしているととてもラクで、どこにいても誰といても変わらない自分でいられます。 これ以上でもこれ以下でもない等身大の自分に正直に毎日を生き、全てを宇宙に委ねて、何があってもそれは自分にとって良いことなのだと信じてノーテンキを決め込んでいれば何の不安も心配もなく、毎日が平安のうちに過ぎて行くのです。これこそが究極の幸福というものだと思うのですが、これも自分がそう感じていればいいことで他人がどう思うかは関係ないことです。 おわり。
- yuma_osamura
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あなたの年齢が、今いくつなのかわかりませんが、それは誰もがなる思春期の特徴のひとつだと思いますよ。 実際、当方も中学生の頃、同じような事を思っていましたし、現在も自分の事を好きになれず、時々鬱になってしまいますから。 多分、状況としてはあなたよりも酷かったかもしれません。 自分が自分でない気がする。 自分はこういう人間なのに、誰も気付かない。 本当の笑い方がわからない。 誰も信用できないし、自分も信用していない。 いっそ、死んでしまった方が楽なのでは……。 自分は当時、そういった色々な事を考えました。 だから、引きこもって自殺を図った事も何度もありますし、弟を手に掛けた事もあります(暴) 結果、こうして生きているので、自分は自分の事を好きなのだろうと思うのですが。 何も、自分自身を嫌いになる人はあなただけではありません。 きっかけがなくても、嫌いになる人だっています。 ただ、ふと自分の事をよく見つめ直してみたら、 あの子に比べて性格が良いわけではない。 あの子のようにスタイルや容姿が良いわけではない。 みんなに褒められるような事が一つもないのではないか。 みんなが思っている自分は、本当の自分じゃないのに。 どうして自分だけが。 どうしてあいつばかり。 どうして自分はこんな人間なのだろう。 などなど、そう思っているだけで、人は自分を嫌悪するのではないでしょうか。 誰も気付いてくれないから、自分が悪いのだと、無意識に思っているのでしょう。 しかし、決してそれがいけない事ではないのです。 それはあなたが周りや自分の事を、よく観察出来ていると言う事でもあるのでしょうから。 ただ、自分の長所もちょびっとは見られると良いですけどね(笑) 今の状況が嫌で、どうにかしたいと考えているのであれば、 あなたが何か興味のある事や、やりたい事があるのであれば、それに没頭してみてはいかがでしょう。 また、両親と共に暮らしているのであれば、可能であれば離れて暮らしてみると、多少の心境の変化があるはずです。 実際、当方は高校を遠く離れた学校に進学し、寮生活を送っていたので、こうして「今」が有ります。 それか、現状を見つめ直し、ここに書かれたように、全てを文章に起こしてみてはどうでしょうか。 記憶のある限り、自分はこう過ごし、こう思い、こう周りを見ていたのだと、書いてみると良いかもしれません。 そうすれば、自分でも何となく、これが原因かもと言う所がわかります。←自分もしました。 あなたは今、そう言う事に悩む時期なのかもしれません。 それがずっと続く人(鬱病の方など)もいれば、当方のようにそう言う事がどうでもよくなって、でも時々悩んだりする人もいれば、本当に立ち直って毎日を笑顔で過ごす人もいます。 最初に書いたように、あなたの年齢はわかりません。 ですが、残り数年の命ではないでしょうから、こういう場でも良いので、悩みを打ち明けたりして、日々を過ごしてください。 余計なおせっかいですが、今のまま、本当の自分を見せず過ごしていると、自分だけでなく、全ての人を嫌いになってしまう可能性もあります。 それは、友達や顔見知りだけでなく、家族までをも。 自分を好きになれとは言いませんが、自分らしさを、出せる時は少しでも出した方が良いですよ。 希望にそぐわない内容で、且つ長文になってしまい、申し訳ありません。 ひとつの参考として、軽く目を通していただけたのなら幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 うまくまとめましたねw やりたいこともありますし、特に暇ということもないのですが。 そうかもしれませんw