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持ち駒というルールについて
将棋では敵の駒を取って自軍のものとして使えますが、チェスや象棋など、他国のものでは使えないというルールばかりです。 なぜ、将棋だけに持ち駒という制度があるのでしょうか。 戦後日本文化を厳しく監視したGHQが「(将棋は)捕虜を戦争に使役する捕虜虐待ではないか」と棋士、升田幸三さんにただすと、「捕虜をもとの階級で優遇して再就職の機会を与える」と反論してはいますが、これは取ってつけた理由の様で納得できないのです。
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将棋に類するゲームはインドのチャトランガに始まり、各地に伝わって チェスや象棋などさまざまな変形を生みました。 日本に伝わったのがいつであるかはまだ不明ですが、13世紀頃になると 文献に詳しく現われてくるようです。その頃の将棋がどんなものであった かについても決定的な研究はまだですが、そのうちに大将棋(当初13×13 の盤、駒数68枚のちに15×15の盤、駒数130枚)というのが考案され、 さらにこれが難しすぎるとされて中将棋(12×12の盤、駒数92枚)とな りました。この中将棋はいわゆる私たちのいう将棋が一般的になっても指 されつづけ、19世紀ぐらいまでは実際に行われていたようです。 16世紀になるとさらに小さな少将棋(9×12の盤、駒数42枚)という のが考案され、さらにこれが変形して(9×9の盤、駒数40枚)の現行 将棋になったらしいです。大将棋や中将棋では駒数が多いこともあって 取られた駒は捨てられましたが、少将棋か将棋に移行する中で駒の再利 用というルールが採用されたものと思われます。(まだ決定的な説明は ありません。)駒数と駒の種類が減るうちにそれを補う方法として、再 利用ルールとなつたのでしょう。 また、考慮すべきことは日本将棋の駒の形です。チェスが立体的で敵と 味方の区別を色によってしなければならないのに比べ、将棋の駒は5角 形で、その向きによって敵味方を判別できたことも大きいと思います。 だからこそ取った駒が再利用できるわけです。 なお、soukenさんの書かれた升田幸三実力制2世名人の話は有名ですが もちろんとってつけた理由です。ただ、この抗弁(?)によって将棋が GHQによって禁止されなかったのですから功績は大きいでしょう。 蛇足ながら、チェスもいろいろな変形が考案されましたが、結局、遊び やすい現行の8×8の盤、駒数32に落ち着いています。そこから考えます に、あまりにも駒の種類が多く、盤面の広いものでは覚えたり指したり するのが困難で普及しにくく、適度な複雑さを求めていった結果、いま のようになったものと思われます。 なにしろ、学問的にもまだ充分に解明されていないことですので、これ 以上のことは判りかねます。
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- ababa
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ちょうど参考URLのような本が出版されたようです。興味がおありでしたら読んでみてはいかがでしょう。 以下は私の想像も入った意見です。 将棋は各地域でローカライズされた形で存在します。チェスにはクイーンがいたり、象棋の中央に大河があったり王(将、師=皇帝?)が宮から出られなかったりそれぞれの地域に適した特色があると私は思います。 日本の将棋は自軍も敵軍もまったく同じ駒を使い、向きだけで区別しているのは(これが持ち駒再利用の大きな前提条件となったのではないでしょうか)島国で、同一民族での戦争が主だった国の有り様が見事に反映されていると思います。 あ、蛇足ながらaminouchiさんの発言にある升田さんの称号は、実力制四代名人です。
お礼
ありがとうございます。 同一民族による戦争の反映ですか…確かにそういう面もあるかもしれませんね。 参考にあげていただいた本も、早速読んでみようと思います。
お礼
確かに大将棋などで駒の再利用をしようものなら、どれだけ試合が長引くか分かったものではありませんね。 五角形だからというのも説得力があり、非常に為になりました。 丁寧な解説、ありがとうございました。