※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:父と絶縁したはいいが(長文です))
父と絶縁した主婦の悩みとは?
このQ&Aのポイント
40才主婦です。ある日、父との関係について悩み始めました。しかし、父は頑固で意見を変えないため、滞在を切り上げて帰ることが何度もありました。
父は喫煙の害についても聞く耳を持ちません。話が進まないばかりか、私をバカにしたりふざけたりして話し合いを妨げます。このような行動は家族に限らず、他人に対しても行っているかもしれません。
最近、私は父に対して絶縁を言ってしまいました。しかし、父との関係を絶つことで悩みも増えました。父との関係をどのように考えるべきか、または自分自身のために何をすべきか迷っています。
40才主婦です。こんな年になっておかしいんですが父との関係について悩んでいます。
父は頑固もので何でも自分が一番、ひとから意見を変えられるのが大嫌いです。ここ10年石頭がひどくなって、実家に帰るたびにイヤな思いをするので、滞在を切り上げて帰ろうかと何度思ったかわかりません。
典型的な例は、たとえば喫煙の害について、これまで何度も話してきましたが「信じようとせず」、タバコの害なんて政府のウソだとか、寿命が長いことが美徳とは思わないとか、話を拡散させたり焦点をずらしたりして意地でも説得されようとしません。
私が話しの軌道を戻すとしまいには私をバカにしたりふざけたりして、ひとをいらだたせてそれ以上話す気をなくさせるのが毎回のパターンです。父が暴論をふりかざすのは喫煙に限らずあらゆることですが、相手は家族(母、妹、私)だけです(ひょっとすると職場でもやってるかも?)
先日も叔父の「禁煙を」やめさせたと嬉々としてメールしてきたので、何回かのやりとりのすえ怒って親子の縁を切ると言ってしまいました。父は何度か私をバカにしたことを言ったあと、ちょっと懐柔するようなことを言ってきましたが、あくまで上から目線だったので逆にあきれてしまいその後も絶縁継続中です。
父と一緒に住んでいる母と妹とは連絡はとっていますが、二人は慣れっこなので少々父がすじの通らないことを言っても、ハイハイと聞き流しているようです。「バカがバカなこと言ってるナ~」ぐらいに思って聞いてやれ、と、そうしてやれない私がいけないかのように妹たちは言うのですが、私はひとを見下すことも見下されることも苦手でとてもそのようにできる気がしません。
こんな父ですが、昔は何でも自分で身につけ、身一つで事業を興したひとなので、以前は私も尊敬していました。しかし尊敬していた父が今では、猜疑心が強く頑固で短気な祖父そっくりになってしまいました。でも私が指摘しても、祖父はDVだったとかアル中だったとか、だから全然違うといって聞かないんですよね・・・
父はもう変わらない。そのことはわかっているつもりです。
じゃあ、話せばイライラするからもうこのまま父とは絶縁しててもいいか、と思う反面、たしかに祖父ほどひどい親だったわけじゃなし、ここまで育ててくれたひとだし、彼の石頭はそれはそれとして受け入れるべきなのか。また、私自身のためにも、父との残り少ない日々をともに過ごしておかなくて後悔しないのか(父はまもなく70ですが、父の親兄弟はみな70前後で亡くなっているし、50年も喫煙しているので長命は期待できない)という気持ちもあります。
また、現実問題として、これまで夏休みや年末など、息子たちを連れ年に2、3度は実家に滞在していたのですが、それがなくなると母が悲しむことも気になっています。
絶縁を言ってから1ヶ月ほどになりますが、最近はよく眠れず(眠れなくなるのは父とのムカツク会話を自分でシミュレーションしてしまうからなんですが)しかし昨日は父と仲直りする夢を見たり、自分は父と仲直りすることを望んでいるのか?でも、これから先また暴論が出たときにどうすれば?と思うと考えこんでしまいます。
デモデモダッテですみません。考えがまとまらず、何についてご意見いただけばいいのかも定まらなくて恐縮なのですが・・・考えをまとめる手がかりを何かいただけたらと思い書き込みます。
お礼
cotoriri_ 様 お返事が遅くなってしまってすみません。おせっかいなんてとんでもないです。言ってくださることのひとつひとつがとても勉強になるし、参考になります。 なんか、cotoriri様に、向かう方向を示していただいて、それがぶっちゃけ自分では全然思ってなかった方向で、ちょっと拍子抜けしたというか毒気が抜かれたというか、先日まであれほどあふれていた父への恨み辛みがちょっとカゲをひそめて、今はなんとなく私の感情は宙ぶらりんの感じです・・・ >愛がないわけではなく、表面上見えないからで、愛はある。 >そして実はそうだと知っています。 >だから、安心してきついことも言えるのだとと思います。 本当にその通りだと思います。他人だったら言わないことをどうして言わないといられないのか、 ほかのひとだったら、相手がわかる範囲のこと、相手が許容できる範囲の言い方でと気を使って言うことができるのに父だと全力で憎しみをこめて言ってしまうのか。結局安心してキツイことを言っているのは、父だから、愛があるから、許容できるとわかっているからなんですね・・・ cotoriri様も、今も言葉にする練習をされているんですね。私も怒りに押し流されず、言葉にできるようになりたい・・・です。 心に思うと伝わる・・・そんな考え方もあるんですね。そして、亡くなるときにはお互いの目線で理解し感謝しながら上っていくというのも・・・。そのように考えると少し心がラクになります。「採用する」って考え方、ステキですね(^^。何かを信じるときも、自分が選んでそれを信じるということを、意識してなさっているんですね。 教えていただいた本や石原加受子さんの、別の著書がいまamazonや図書館などからどさっと手元に集まってきて、子供が寝たり幼稚園に行ってる間に読み進めています。まだ実感としてはうすいのですが、教科書のように、ああこうすればいいのねと思うことが次々出てきて、消化しようとしています。 お礼を伝えたい気持ちはまだたくさんあるのですが、どうもうまく言葉になりません。本を読んだり、cotoriri様の書いてくださったことを読み返したりしているうちに自分が解体されて再構成されて、過去の自分がどういう状態だったのかわかるようになってふたたび言葉にできるときがくるのでしょうか・・・。 気に掛けて、力を貸してくださって、本当に感謝しています。