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政について
政治は まつりごと といいますが、 どういうことなのでしょうか? 政治に仕事として携わったことのある方など いらっしゃいましたら教えていただけないでしょうか。 宜しくお願いします。
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政治をマツリゴトと呼ぶのは、下の方の回答のほかに「正当性」という問題があるからです。 そもそも政治を行うには巨大な権力が伴います。税金を納めさせるのも、法律を作って守らせるのも、他の国から攻め込まれないようにするために軍隊を置くにも、すべて権力=従わせる力、が必要になります。 いくら昔といっても、暴力で地域を支配して「俺が支配者!!」と言ってもだれも言うことをきかないのが普通です。 古代でしたら、馬ですぐに行ける範囲ぐらいが、暴力と恐怖で従わせることができる限度でしょうから、精々山手線の内側ぐらいまでしか暴力では権力維持ができないわけです。 そのため、昔から権力を維持するために(人々に従ってもらうために)「権威」というものを利用してきたのが、マツリゴトになるわけです。 ・私(王様)の4代前の曽祖父は神で、曾祖母が人間だったから、私は半分神の血を引く「現人神である」 ・その私が、干ばつを鎮めて雨を降らし、私の兵隊は連戦連勝だから、皆も私に従えば暮らしが良くなる (本当は学者などをそろえて、それなりに天気予報したり、暦を確認してそろそろ梅雨に入ることに発表したり、という仕掛けがあった) ・だから、私がこの国を統治し、私の祖先の神(神々)にこの国を守ってくれるように祈ろう と、自分がその地域を治めるための正当性を作り、権威を創出することが行われたのです。 ですから権力を担う政治と、権威を維持する神事は古代では一体であり、マツリゴトになったわけです。 日本の天皇は現在でも、大嘗祭などマツリ(神事)を行います。日本人の代表として日本の神々に五穀豊穣などを祈ってくれているわけです。 そして、その天皇が「任命」した内閣総理大臣以下が政治を行うのですから、日本では天皇が権威であり、その権威から「任命」された権力が内閣になります。 ただし、日本は政教分離の民主国ですから、選挙で選ばれた国会議員じゃなければ総理大臣になれませんし、内閣は国会で決議されたことでなければ何も実効に移すことができません。 今では政教分離していますが、昔は権力と権威の源が同じだったので、政治も神事もマツリという和語で表されるのです。
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- cse_ri2
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政治を「まつりごと」と呼ぶ言い習わしについては、No.1,No.3の方の回答にあるとおりです。 古代においては、地震・津波・台風・干ばつ等の自然災害、疫病などはすべて神の怒りだと考えられていました。 そして、クニの統率者には、神へのとりなしをする役割が求められたのです。 魏志倭人伝に登場する卑弥呼が巫女であったように、また古来より日本のトップである天皇は神事・祭事を司ることが欠かせない役割であり、今に至るまで受け継がれています。 ただし、時代が下るにつれて、神事・祭事を担当する者と、政治を司る者の役割が分担されるようになりました。 日本においては、平安時代の藤原家、もしくは鎌倉時代以降の武家がそうですし、西欧社会においてはキリスト教の発展以降、宗教的なことは教会が、政治は国王や貴族が受け持つようになります。 政治と宗教の分離後、宗教者の歴史的な役割の一つとして、政治のリーダーの認定を宗教界のトップがしてきたことがあります。 日本の場合は、歴代の征夷大将軍を天皇が任命し、西欧においては国王の戴冠をローマ教皇や大司教などがしばしば行いました。 面白いのは、人工国家であるアメリカでさえ類似の伝統があり、歴代の大統領は就任式において聖書(もしくは彼が信仰する宗教の聖典)に手を置いて、宣誓するということです。 現代の日本人は半ば無宗教ですので、そのような話を眉唾のように思うでしょうが、世界の国の数多くの人々が三大宗教(キリスト教・イスラム教・仏教)を信仰しており、それらの宗教の指導者の信徒に与える影響には絶大なものがあります。 現代においても、前大統領のブッシュを支えていたのは、アメリカ南部を中心としたキリスト教であったことは、れっきとした事実です。 日本はともかく、世界に置いて宗教界の影響力というものが決して無視できないものであることは、国際情勢を読み解く上で理解しておく必要があります。
お礼
>クニの統率者には、神へのとりなしをする役割が求められたのです。 あながち石原発言も外れていない? 今回の震災で宗教について発言する人はいないですね。 やはり、今の日本では危険なのでしょうか? ありがとうございます。
素人です。辞書で調べると、政祭一致、政教一致、という言葉が並びますね。 現代の日本でも、小泉フィーバーなど、まつりごと、として捉えられなくもないですね。 祭りのように、人々の浮かれたようなポジティブな気持ちを惹きつけて、社会を結束させなければならない、ということでしょうね。
お礼
ありがとうございます。
- mekuriya
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政治の本質は利害調整です。様々な立場の人間が集団生活を営む社会では必ず利害対立が起きます。それが発展すると武力衝突が起きて血を流すことになる。 利害対立の代表例として諫早湾干拓問題がある。これは農水省が管轄した事業が農民と漁民の利害対立を表面化させた事件でもある。そもそも何のための事業だったのか意味不明であります。 本来、利害対立を解決しなければならない政治が利害対立を深刻化させてしまうという本末転倒の有様で、何のために税金を投入しているのか。 日本の政治はことごとくこうした有様で混迷の度を深めるばかりなのですから、「政治とは何だろうか?」と疑問に思われるのも至極もっともな話でもあります。 本来あるべき姿と現状との乖離がはなはだしい分野が政治なのかも知れません。
お礼
今回の震災で いの一番に動くべき政治家の 動向が見えてこない事に対して疑問に感じました。 ありがとうございます。
- tyr134
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「まつりごと」とは、「祭事」とも表記され、字のごとく「祭事(さいじ)」を執り行うことです。 本来、「祭り」というのは、神霊を集め五穀豊穣とクニの守護を願いつつ、今後の「クニ」の行く末を決める事、つまり「政治」も兼ねていました。 日本の国体が天皇中心の国家となる過程で「祭事=政事(読みはどちらもまつりごと)」と同じ意味を指さすようになっていったのではないかと考えられていましす。 江戸時代の国学者、本居宣長は『古事記伝』に、「祭事(まつりごと)と政事(まつりごと)とは同義で、その語源は奉仕事(まつりごと)から来たのであろう。天皇に仕え奉ることを服従(まつろう)と言い、神に仕えることを祭りと言うも、本は同じである。」と書いています。 「政教分離」が当たり前と思われるようになった現代、しかも「宗教意識」が(良くも悪くも)低い現代日本人にとっては「祭り」と「政治」を別概念で考えてしまいがちです。 しかし、本来は洋の東西を問わず「統治権」の根拠の一つに「宗教」というのは大きく関わっています。 例えば、古代ギリシアではポリス事に守護神がいて、ことある事に「占い」などによってクニの行く末を決めていたりしました。 中世に入ってからは、キリスト教がその任を担っていましたし、アラブ諸国ではイスラム教が、インドではヒンドゥー教が、アジア各国は仏教、中国・韓国は儒教・道教などなど、それぞれの国・地域の「政治の歴史」を見ると、必ず「宗教」が絡んできます。 なので、「祭り」と「政治」は切手も切り離せない関係にあるとも言えます。 でわでわ、参考になれば幸いです。
お礼
宗教観の欠落が今の体たらくを導いているのでしょうか・・・ ありがとうございます。
語源ですか? 古来、人心を掌握し国を動かすことは、神祇を奉り鎮撫することと不可分だったからではないですか。
お礼
ありがとうございます。
お礼
臣民から国民となり、天皇陛下に対しての畏敬の念が足りないのではないかと 思わせる今の拝命者達に対しての疑問もありました。 ありがとうございます。