「お水取り」の東大寺二月堂と「お水送り」の若狭の神宮寺は子午線上にあるのは偶然ですか。
二月堂と神宮寺とは、直線距離でざっと90kmほど離れていますが、二月堂の真北に神宮寺があります。
東経135度50分くらいの子午線上です。
「お水取り」の水をわざわざ「若狭の水」に限るのは、それなりの理由があると思います。
良弁和尚の生誕地が神宮寺近くだったからという説もありますが、生誕地は神奈川県という説もあるそうです。
真北(真南)に位置するのは偶然でしょうか、それとも何かの理由があるのでしょうか。
理由があるとすれば、当時の知識で「真北」をどのようにして決めたのでしょうか。
自説でも仮説でもかまいませんので、回答をよろしくお願いします。
小浜市のサイト「お水送り」
http://www.city.obama.fukui.jp/maturi/omizu.htm
東大寺のサイト「お水取り」
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie3.html
お礼
ありがとうございました。子供に聞かれて困ってしまったので、とても助かりました。本当にありがとうございました。