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役者の演技は本当にうまいのか?
先日ドキュメンタリーを見ていて思ったのですが、当たり前なんですが会話とかすごく自然なんですよね。つまり演技していない会話ですよね。 それに引き換えドラマや演劇って見ただけで演技ってわかるじゃないですか?その役を演じるって意味では演技なのかもしれないですが、本当の演技っていうのは見る人が「これってノンフィクションやドキュメンタリー」て思えるくらい自然な会話が演技というものではないのかなって思ったのです。 私は演劇経験はゼロですので詳しくはわかりませんが、“素”に近いのが演技がうまいというのではないものなんでしょうか? 私の主旨が伝わるでしょうか?もしご理解できたら回答いただきたいと思います。
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私も、「素に近い」演技のほうが好みです。 ですが、どなたかのご指摘と似てますが、私の例えだと、「宝塚」の舞台を、役者さんが皆「素」で演技したら、かなりシラけると思います。あれは、やっぱり皆さん作り込んで演じていらっしゃるのでしょう。だからおもしろいのだと思います。(ヅカファンではないのですが・・) 木村さんについては、どこをどうとっても「木村拓哉」にしか見えず、私にはあまり魅力のある役者さんではないです(しかも毎回まわりのキャスティングに助けられているって感じ)。 まぁ、そこがすごいんじゃないかというご意見もあるでしょう。 個人的には、脇役で引っ張りだこの内藤剛さんとか、西村雅彦さんとか、大杉蓮さんとか、渡辺いっけいさんとかは「上手い」んじゃないかと。 主役ってわかりやすい性格設定が多いので、脇役にこそ名演が潜んでるって思っています。
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- kayukko
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ふたたび#9です。 常盤貴子さんの事なんですけど「悪魔のKISS」です!ありがとうございました。なんて言うドラマだったか気になっていました。又再放送なんかしてくれないかな?なんて思います。
- kayukko
- ベストアンサー率14% (31/216)
私もお話に参加させて下さい。 何かと話題に出てくる木村拓哉さんの事なんですが、演技は以前から他の共演者も木村拓哉さんは台本通りではなく自分でアレンジして自然な感じで演じていると言っていた事があります。 でも私から見れば、木村拓哉さんの出演している、どのドラマを見ても同じにしか見えません!「ぶっちゃけ」とかボソボソと話しをする所とか雰囲気とか… 堤真一さんなんかは上手いなぁ~と思って見てました。 映画「39 刑法第三十九条」は鳥肌が立ちました。 #2さんが言っている中居くんの事なんかも、わかる様な気がします 昔、常盤貴子さんが出演していたドラマで最初は主役ではなかったのに放送されるたびに、常盤貴子さんが目立つようになってきて「アレ?この人主役だったっけ?」なんて途中から思って結局主役が逆転してしまった時の事を思い出しました。そのドラマを境に常盤貴子さんは注目するようになりました。 素に近いのも上手い事だと思いますが、いかに視聴者をひきつける事ができる演技ができるかも上手いになるのかな?と思います。
お礼
キムタクについては私も同感です。 出る映画やドラマによって役を使い分けられる人がいい役者なんでしょうね。 堤真一さんは本当にそうですよね。「やまとなでしこ」のほんわかキャラかと思えば「グッドラック」ではクールな役でしたものね。 そういえば筧利夫さんなんかもそうですよね。普段の彼からは新庄管理官の姿は想像できないですものね。 常盤貴子については私も主役を食ったような演技、見てました。「悪魔のKISS」のことですよね?
- fujina
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お邪魔します、ちょっとお話に参加させていただきたくて。。 個人的な意見出すが、私も#2の方同様、木村拓哉さんの演技にはやはり「木村拓哉が役名」のように感じるぐらい彼の我が強く出ていてマンネリ化していることに疑問を感じています。。 ただ、彼自身の感受性や演技に対する姿勢は嫌いじゃないし、すごいと思いますよ、勿論。 そして本題の回答ですが、私も同じく、演技が「素」に近い=演技が上手いとは思いません。 それは、ある意味で役者は水のように透明で柔軟で温度や様々な変化を可能にできる部分が必要になってくると思うからです。 顔やその俳優の一番やりやすい(演技作りをしやすい)部分の役だけしかしないと幅が利かなくなりますし、その結果ドラマの「役」を素晴らしく魅せるはずの俳優が自分の個性を強く出した「本人出てるのドラマ」みたいになってしまうように思います。 あくまでドラマの役は架空で、その架空の人間をいかにその配役された役者が人間味をだしていくかが重要なんだと思うので、その俳優の人間味がモロに出てしまうのはどうかと・・・。 ということで、熱く語ってしまいましたが質問の内容がすごく興味惹かれたので参加させていただきました。失礼しました=Э
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、言われてみればキムタクは同じパターンの演技ですよね。(もともと彼を役者として評価するに値するのかどうかは別として) そういえば藤原紀香や松嶋菜々子なんかもいつも同じような役柄ですものね。 素の演技だけではそれしかできない役者になってしまうというのも理解できました。 織田裕二なんかはいつもキャラクターの違う役を演じていますよね。ああいうのがうまい役者というんでしょうかね。
- alchera
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>“素”に近いのが演技がうまいというのではないものなんでしょうか? 一言で言えば違います。 歌舞伎のことを考えてみて下さい。 アレを素のままの表現でやったらどうなるか。……さっぱり面白みがありませんね(^_^;)。歌舞伎には歌舞伎の型があり、特有の仕草、お約束があり、それらをおさえた上で更に観客に訴えかけるに長けた演技が出来るのが”いい役者”です。 このあたりご異存はありませんか?歌舞伎は特殊だとお考えになるかもしれませんが、実はみんな同じなのです。 それを踏まえて、では他のジャンルではどうでしょう。 役者のフィールドって色々ありますよね。舞台・映画・テレビドラマ。 舞台で演じる時にも素のままでは通じません。演技の魔力を及ぼさなければならない範囲が広いので、素のままでは客席の隅まで届かないのです。後ろの客席まで届かせるためには大きく演技をしなければなりません。なので、往々にして舞台を見慣れていない人が舞台を見ると「大げさ……」と感じるのですね。 特に舞台のテレビ中継なんかはそうでしょう。役者は「その場所にいる観客」のために(遠くまでも届くように)演技をしているのに、テレビカメラはアップで細かく写す。ギャップが生じます。 それに比べて映画やテレビは至近距離のカメラに向けての演技なので、一般的にはずっと抑えた表現になります。素のままの演技がいいのでは、と思うのはこのあたりですよね。 ……えー、それでも素のままの演技が一番いい、と一概には言えないのです。 私見によれば、作品における演技は3つの要素から成り立っています。 一つは作品そのもの。(ここに監督を含めましょう) 二つ目は役者本人。 三つ目は観客です。 作品(監督)によって求められる演技の性質は変わります。テレビドラマでも……って、わたしあんまりテレビドラマ詳しくないのですが、「トリック」などのように作りこんだドラマではわざとらしい演技が必要でしょう。コメディなら素のままでやっても笑いはとれないでしょう。というように、「その作品において求められる演技」があるのです。 いい役者のいい演技は、そういう与えられた条件の中で、「どれだけ人の心を動かすことが出来るか」で決まります。ということは、「どんな演技が一番いい」と画一的(外形的)に決めることは出来ないのですね。 素のままの演技がふさわしい作品もあるし、そうでないものもある、ということです。 しかし最後に観客が残ります。これが最も重要な点かもしれません。 監督がいかに満足していても、役者本人がいかに良い演技をしていると思っていても、観客の支持が全く得られなければそれはやっぱりいい演技だというわけにはいかないでしょう。 そういう意味では「素のままの演技が好みだ」と思う質問者さまの考えは、それはそれでいいのです。 監督と役者と観客の「こんな作品を作りたい・演じたい・見たい」がうまく融合した時に「いい演技」「いい作品」が生まれるものだと思います。それは天地の調和というべきもので、千差万別の状況から生じます。 というわけで、「素に近い演技が一番いい」というのは間違い。しかし「素に近い演技が一番好きだ」という(好みを持つ)のは正しい観客の鑑賞法です。 伝わったでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 >演技の魔力を及ぼさなければならない範囲が広いので この言葉で全ての謎が解けたような気がします。 説得力のある回答でした。よくわかりました。 観客にどう映るかによって演技を使分ける必要があるということなんですね。 どうもありがとうございます。
- sora_no_takami
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TVしか観ないのですが。 演技の中には台詞がないものや、セットがないものもあります。パントマイムやバレエなど、おもいきり誇張してます(爆 台詞にしても大小、高低、早遅、いろいろ変化させて表現しますよね。それが演出に合わないと、わざとらしいとか浮いてる演技になると思います(へたくそ?) もともと作家が作った嘘の世界を「本当のように魅了する」のが、うまい演技と思います。 日本のTV役者なら、とりあえず役名で呼べれば、合格でいいのでは。そうゆう人少ないですね。。。
私も素人なのですが、個人的な見解を。 素に近いと思わせる演技は確かにいいと思います。 が、私がこの人凄いな~と思うのは 「色々なタイプの役柄をそのお芝居の中で自然に演じれる人」です。 個人的にはダニエルデイルイスです。 彼は映画ごとに全く違う役柄を演じていますが、映画の中でとても自然に思えます。 とても同じ人がやっているとは思えない演技ですよ。
お礼
そうなんですか。 その人はすごいんですね。 今度見てみようと思います。 自然な演技が見て見たいです。 どうもありがとうございました。
「ドキュメンタリーは、作り手の主張を反映しており 主観的なものである。」という意見もあります。 ですから、「ドキュメンタリーは嘘偽りがない。」 とは思いません。
お礼
私はストーリーの中身については言及していないつもりです。演技の話なので、その話が嘘でも本当でも関係ないのです。 ようするに自然な演技か演出された演技かの違いについて質問したいのですが。 よろしくおねがいします。
- kobayashiiccha
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私も演技経験はゼロですが…。 個人的には、素に近いモノの方が上手いように思います。 過剰なモノや不自然なモノを見ると、ストーリーよりその演技自体が気になってしまうからです。 でも、絵画でも色々な流儀があるように、演技にも色々あるのではなかろうかと思う次第です。 ゴッホやピカソもあれば、写真のような絵もありますよね? それと、ドラマなどの台詞回しは監督や演出家が決める部分もあるでしょうから、役者の技量だけでは計れないとも思います。 私は演技よりも台詞(脚本)が不自然な方が気になってしまいます。 例えば、「渡る世間~」の敬語はキャラに合わないなぁ、とか。…余談でした。
お礼
基本的には好みなんですね。 私も現在のドラマのほうがメリハリがあるし、強調したいところは強調されてていいと思うのですが、ふと本当の演技とは“自然に見えることじゃないのかな”と思ったものですから質問してみました。 お礼が遅くなってすいません。ありがとうございました。
- slippinegg
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撮る側から言わせてもらうと、 「どう撮りたいか」に適した役者を選ぶので、 まさに、 「撮りたい側の価値観」と「見る人の価値観」の時点で、 大きく分かれると思います。 「好みの問題」というのが早い説明ですよね。 たとえば、舞台で、 「演じているのかわからないくらいの自然な演技だ!!」 って、 あまりわかりません。見にくいしわかりにくい。 「下手だなあ」て評価を受けるでしょう。 たとえば、浅野忠信さんなんて、 いい間違えたり、独り言言ったり、 「なに?せりふなの?どうなの?」て言う演技をされたりします。 でも、「そういうタイプの役」でないと、 はっきり台詞を言ったり、やたらはきはき喋ったりしてますよね。 私は、「彼はうまい」と思います。 作品に求められた演技が、無理なく目に映るように演じられる。 SMAPの木村氏なんかも「自然」に見えるっちゃ見えますが、 「木村やん」て感じてしまいます。 それを「うまい」ととるか、「へた」ととるかは、 個人の見解でしょうね。 同グループの中居氏の方が評価が高いのは、 作品を見ると納得してしまいます。 演じる側も経験していますが、 やはり「下手」でも魅力のある演技をする人のが評価が高かったり 「リアリティ」より「華がある」というのが重要だったり、 そういう場合もありますので、 一概に答えはないんでしょうね・・・ 「脇役」の人が「演技がうまい」というのも、そういう理由があって、ではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 そうですよね、まさに“好み”の問題ですよね。 演技にしても自然な感じでやっていては強調したい部分とかが伝わらないでしょうしね。 しかし好みといえども、やはり主流は“演技派”になっているようですね。 ドラマとか見てもわざとらしいですものね。 お礼が遅くなってすいませんでした。
無名の俳優だと、ドキュメンタリーのように見える ということもあると思います。 ギャラの節約のためだけでなく、演出上の理由から 有名な俳優を使わない監督もいるようです。 また、脚本が悪ければ不自然な感じも出てくると思い ます。
補足
早速の回答ありがとうございます。 いえいえ私の主張は本来の映像を撮りたいのならドキュメンタリーが嘘偽りのない世界ですよね。だとしたらドキュメントリーっぽい“素”の演技が一番上手いということにならないんでしょうか?という意味でした。おわかりいただけますか?
お礼
そうですよね。ここで皆さんの意見を聞いているうちに“素”の演技は本当っぽいけど、おもしろいかどうかの疑問は残るという結論に達しました。 おもしろいためには多少演出やオーバーさが必要なんだということがわかりました。ありがとうございました。