- ベストアンサー
電力に関して
東日本と西日本では電力の周波数が50ヘルツと60ヘルツと異なっていますが、なぜ日本の電力会社はそのようなややこしいことをしたのでしょうか?? どなたかご説明していただけますか??
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ややこしいことというのは今だからいえることです。明治時代に電力会社が生まれたころの電力需要は照明だけです。街に街灯が灯り、家庭には「はだか電球」が灯っただけでも夜でも昼と同じぐらいに明るくなったと皆大はしゃぎだったのですよ。交流周波数が東西で違っていた。でもそれが何か?誰も問題とも思わなかった。電力会社の社長も何も問題と考えなかった。反ってライバル意識をむき出しにして東京電燈がドイツから発電機を購入したと聞いた大阪電燈は東京に張り合ってアメリカから発電機を購入した。その時代は東京と大阪の対抗意識も強烈なものがありました。東京は大阪に負けたくない。大阪は東京に負けたくない。そういう対抗意識はドイツ、アメリカも同じことで日本に対して売り込み合戦を仕掛けてもいました。ドイツはドイツの発電機を売りつけたい。アメリカだってアメリカの発電機を売りつけたい。ドイツの発電機製造会社は東日本を支持基盤にして、アメリカは西日本を支持基盤にした。その結果、交流周波数が東西で食い違ってしまった。当初は電力需要も小さくて、電化製品なんて何も無い。鉄道だって蒸気機関車か馬車鉄道かというぐらいで電気を使いません。その鉄道はもっとややこしいのですよ。車体の高さ、長さ、幅、全部ばらばら。線路の幅だってばらばらです。電力会社も鉄道会社もぽこぽこ生まれて、それぞれまちまちな規格で営業を始めた。行政も法律も民間の後追いで全然統制もできなかったのです。今と同じで明治時代の政治家は、企業と癒着して企業の便宜を図って政治献金?賄賂?を得ることしか頭にないのです。このままだと将来に禍根を残すと考えた政治家など一人もいなかった。いたとしても、東西の統一はできなかったでしょう。東京にすれば、何が悲しくて大阪に合わせないといけないのか?大阪もそれは同じ。とにかくライバル意識むき出しに反発し、行政のいうことなど聞きません。 その辺の事情は現代だってそうは変っていない。とにかく企業は政治家のいうことなど聞きません。 幕府の木っ端役人風情が天下の東電社長様に注文をつけるとは片腹痛いわ、出直して来い!というぐらいにいうことを聞かない。政治献金を受け取っているから立場が弱い。誰のおかげで選挙に当選したと思ってるんだとナベツネに恫喝されるとたちどころに怯んでしまう。企業の使いっぱしりみたいなもんですから話にならない。そういう政治の弱さも原因のひとつに挙げられるでしょう。
その他の回答 (4)
- my-hobby
- ベストアンサー率21% (659/3045)
そんな事より、利権の絡んだ原子力と太陽光で無い風力の開発が良い http://www5.sdp.or.jp/policy/policy/electoric/electoric_hybrid01.htm これに研究予算付けないと、外国に負ける 太陽光パネルの資源は日本に無いのと、一日数時間の発電 風力は風さえあれば夜も発電する、低周波の問題は鳥の羽の理屈で小型は解決してる、 同じ値段で設備した場合風力の方が発電量は多い、
最初に50ヘルツのドイツの技術を取り入れたのが 東京で60ヘルツのアメリカの技術を取り入れた のが大阪だったのです。もっといえば東京は最初は 直流送電(乾電池は直流)でした。その後、交流の 方が優位だと言うことで50ヘルツの交流送電になり ました。 そして、東京、大阪に方式を統一していったため 東日本と西日本の違いになりました。 そもそも、日本の電力会社は小さな会社がたくさん あって、地域ごとに電気を送っていましたが戦争が 始まり兵器を作るのに電力は欠かせないということで 電力をコントロールするために一時期国有化になっ たこともあります。 その後、全国を9つの電力会社に分割して民営化 したわけです。 電力会社には地域独占を認めるかわりに採算が 取れないような山の中でも電気が必要な場合は 供給する義務があるわけです。 周波数を変換すれば良いのではと思いますが、 周波数変換するには60ヘルツを直流に変換し それを50ヘルツに再変換しなくてはいけません。 技術的にはいろいろあるのですが、簡単に言うと 設備投資にお金がかかる割に大量の電力量を 変換できないので、実質、設備も少なく融通でき る電力が少ないのです。
- tec21865
- ベストアンサー率36% (114/315)
こんにちは 話は、明治時代にまでさかのぼります。 当時、日本初の電力会社であった東京の東京電燈がドイツから発電機を購入しました。 そのときの発電機の周波数が50Hzでした。 相対して大阪電燈はアメリカから発電機を購入しその周波数は60Hzで有ったために東西での周波数が違うことになり結果となりました。 その事が、今現在でも延々と引き続き東西の差となっています。 ここまで、工業化が進んでしまった現日本では、この周波数を同一にする事は難しい状況にあります。 家庭用の電化製品では、どちらの周波数でも使用できる様になっていますが、工業用=工場などで使用される機器は周波数の違いにより、大きく影響を受けてしまう物があるのです。
一番最初に外国から発電機を買うときに統一しなかったからです。 当時は、そんな必要があるとは思いもしなかったのです。
お礼
ありがとうございました!!
お礼
わかりやすい説明ありがとうございました!!