そもそも「くしゃみ」という言葉は「糞め」という言葉が訛って出来た言葉ですから、貴方の言うように「あんたが今噂していることになんかには負けはしないぞ、この糞野郎」と言うことですね。ハックションとは「ハッ糞め」と言っていることです。だから、誰かが噂をしていればくしゃみが出るものだと言うことは、昔からそう考えられていたようです。
で、何故くしゃみがそんなに重要だったのか。日本民俗学の説によると、くしゃみは命の始まりだったそうです。その命は他人から授かりのだったらしい。そして、赤ん坊が生まれ、くしゃみをする度に命が吹き込まれ、本物になって来る。正確な数は忘れましたが、50回だったか100回だったか赤ん坊がくしゃみをしてくれるたら、その子供は本当の命を手に入れて無事に育ってくれたと、昔の日本人は考えていたらしい。そこで、親達は一所懸命、生まれたばかりの赤ん坊のくしゃみの数を記録に取っていたそうです。だから、くしゃみは特別だったらしいです。
んで、くしゃみから電話ですが、何故そんな変化が起こってしまったか私には分かりません。多分、糞めと同じで、電話は人の噂や風評の伝播の一手段だと思っているからかもしれませんね。
と言うことは、電話がある現在の日本人も平安時代の日本人も、くしゃみや風評に対する考え方が本質的には全然変わっていないと言うことですね。
これから百年も経つと、電話ではなくて他の通信機関が使われているかもしれません。その時代にはその通信機関の遣り取りを、アヴォニエがドバってくると表現しているかもしれません。今だって突然訳の解らないインセンティブだとかマニフェストだなんて言葉が、突然マスコミで使われるようになるのですから。そして、その時代の人は、なぜくしゃみと同じように、人が噂するとアヴォニエがドバってくるんでしょう、なんて言う質問をしているかもしれませんね。