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宗教団体 や 権力者

は なんのために 存在するとお考えですか。 あかの他人の 一個人に 価値観を押し付けたり 知らしめるために 存在するのかしらと思い質問させて頂きました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.3

「人間の愚かさを、万人に知らしめるため」の代表的な存在としているんです。 反面教師にできればいいのですが… 洗脳される方もいて、厄介です。

minaotehon
質問者

お礼

参考になります。 あんな奇妙な不自然な 狂信的な人間にはなりたくないものでございます。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#138543
noname#138543
回答No.4

「新興宗教団体」の場合、(営利団体)だと思います。 税金免除の! 「権力者」とゆうのは、範囲が広すぎて…!

minaotehon
質問者

お礼

参考になりました。 ご回答ありがとうございました。

  • 192455631
  • ベストアンサー率12% (204/1573)
回答No.2

難しいことだと思いますが… >一個人に価値観を押し付けたり これは多くの場合違いと思います。 興味を持って近づいてきた人には、引き寄せることはするでしょうけど 大抵は押しつけられる前段階で拒否反応を示すものです。

minaotehon
質問者

お礼

参考になります。 引き寄せる ためには、けなし心理云々を使いこなす 拒否反応を出せば出したで 異様なふれ周りや上げ足をとりけなしまくり これも宗教や何らかの勧誘や様々な場合の心理作戦のなせる技でございましょうね。 全く異様 そんな部分に気づきさえしない狂信的考え 本当に奇々怪々 奇麗事づくし お仏壇には申し上げませんが 悪意な人間らに対し呪ってやると心底から絞り出し泣いてしまうほど 心疲れさせられ酷い目に遭いましたわ。 わたくしの怨念ちゃん お静かに。 ご回答ありがとうございました。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>宗教団体 や 権力者 は なんのために 存在するとお考えですか。     ↓ <私見> 62歳 男性 浄土真宗門徒ですが大自然(森羅万象)や八百万の神々を崇め信仰しています。 「宗教・信仰とは、自分を律し戒め見守って頂くものであって、頼り縋り見返りを請うものではない」 特殊なカルト教団や狂信的な教義や偶像崇拝の宗教は別として・・・ 連想伝達ゲームのような物と思います。 教祖や原点となる最初の偶然・ひらめき(啓示)・悟りや教えは、その時代や環境や事件や疾病災難への天の配剤とも言うべき、効果効能・霊験あらたかな事例があったり起こったのだと思います。 それが、時間経過や他宗派との勢力争い、さらに組織の発生後に必ず陥るのが鮮度ダウンやカリスマ性の喪失や現世利益の要求である。 宗教の誕生後、人を介し、周囲に人が増え、その信者が更なる信者へと広がり伝わり拡大する中に、利害や欲や格差が発生し、その中での競合と軋轢が燻り、信者や階級間に不平不満や自己中が階級(教祖からの距離や地位や信頼の差別化)闘争になり、そのピラミッドがマルチ商法の如く、損得や待遇差を生み、組織の結束や教義の一体感に齟齬・狭間・分派分裂となって生じて来る。 また、誕生・発足段階では、全てに目が届き、肉声で語り説く家族的集団であったものが、やがて組織拡大に伴い、物理的な限界、時間的キャパシティがあり、間接的代物的な説法や布教や浄財布施の必要性に迫られ、上意下達の命令指示的な通知になり、下部への一人歩きした強制運動に繋がって行く。 その過程で、多くの宗教団体は、必要悪的な信者と活動費と見返り要求(実現利益・信仰メリット)の誇示や証明競争に走る。 それが、組織が大きくなり、広がる中でガバナンスが利かず、偶像崇拝や経典とか説法の一方通行やシステム化&マニュアル化が起こり、ビジネスとかマーケティング手法と言った現世的な価値観と組織には必ず起こる世襲問題、内部対立、純化路線VS協調路線、法律条例や権力との軋轢が起こり、内紛や信者離れや他宗教や他宗派との離合集散、栄枯盛衰、非合法化や秘密結社化や法治社会との矛盾や対立が勃発続出する。 従って、多くは手をかざして病が治った、相談事を聞いて頂き救われた、子供や親との衝突が諭され教えられて良き信頼関係に導かれたetc。 そのような成功事例や原体験が起源であるが、何時も何時も奇跡や偶然や推理が当たり的確な結果をもたらす訳は無く、やがては抽象化・他力本願、責任の無謬化や信心や布施のレベルに転化帰結させる方向を辿り、信じる者は救われる、自分を律し祈る事であり結果&未来は神のみぞ知る、因果応報の世界や原理原則の中で弱い心・迷える意思・欲深い望み・猜疑心と嫉妬心の不安心理を煽り、告げ、指摘し、予告したり、叱正したり、威嚇したり、悪霊退散と仏心覚醒の救済・軽減を示唆・助成・教導するのが、多くの場合の伝道や布教や教化の共通項であり、信仰の最大公約数だと思います。 つまり、宗教と言えども、必ず組織は堕落し、常に腐敗し朽ちる。 宗教・教義・教祖も、究極は同じ縮図・定めだと思いますが、それを抑止し更新させるには、所詮、自浄作用や新陳代謝や免疫解毒しているのは人であり、信頼感の結び付き、心の絆である。 心の健康(絆)を保ち続け、メンテナンスを絶えず常日頃行う宗教・教義・組織だけが、信者の心を幸福にし、豊かにし、組織としても生き長らえ発展して行けるのでは・・・。 そして、その宗教や信仰を悪用・便乗する輩や集団が集まり、一つの圧力団体や互助組織や集金集票マシーンと化したり、権力に媚びたり結び付いたりする事は、政教分離や純粋な精神文化としての宗教の道からは乖離した、許されない、危険な宗教としての麻薬中毒&自殺行為だと思います。 余談ですが、そういう意味から創価学会や立正佼成会等の新宗連の政治参加や宗教組織の論理や利害での政治を通じての目的追求、組織的な政党支持には反対しています。 <信教の自由は政教分離と表裏一体であると思います。>

minaotehon
質問者

お礼

参考になります。 やはりなんにしても 自然な信仰心が何よりだと思いました。 わたくしの把握したカルトと思います団体らや悪意ないちびった人間らにはつくづくこりごりでございます。 ご回答ありがとうございました。

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