作者論と作品論について
小説のあとがきを読んでいると、
『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』
というような意味合いの文句をしばしば見かけますが、
どうもしっくり来ません。
小説を読解して評価するのに必要な情報は、作者本人が小説本文内に示しておくべきものではないのですか。
上に挙げた作者の実生活の情報が物語に要るなら、それは小説の本文中に書かれるべき事柄ではないのですか。
読者がわざわざ作者のプライバシーを詮索して物語本編と重ね合わせて理解しようとする、というのはどうしたものでしょう。
私はできるだけ小説の本文のみで小説を評価したいと思うのですが、
一方で、小説本編を読むだけでは理解できない事柄もあると思うのです。
やむを得ず小説本文外から情報を引っ張ってきて読まないと分からないことはあると思います。
たとえば小説が書かれた時代の情報のうち、
その時代の読み手なら当然知っているべき情報、というのはあるでしょう。
その説明は小説本文内では省略されることが多いでしょうから、
作者の後の時代の読者が読む際は、それを補って読まねばなりません。
これに限らず、作者の想定していなかった読者が作品を読むときは、似たようなことがあると思うのです。
しかし、作者のプライバシーとなると話は違うと思うのです。
プライバシーは『当然知っているべき情報』には該当しないと思うのです。
言わば情報に一般性がないのです。
プライバシーを知ろうとすることは、作品を読み解くことを差し置いて作者論に行ってしまう気がするのですが。
皆様はどう思われますか?
皆様はどのようにして作品論と作者論の線引きをなさっていますか?
もしかしたら読書人の皆様の中には『作品を読み解くこと』よりも『作者を知ること』に重きを置いて、
作品を『作者の人間像を形作るための資料』と見做している方がいらっしゃるかもしれません。
そういう方のご意見も頂戴したいです。
私個人は、できるだけ『小説本文内に書かれている情報』のみで小説を読みたいと思っています。
作者個人の性格だとか事情だとかを考慮しないと面白くない作品というのは……正直、あまり評価したくないですね。
作者論と作品論を完全に分けることは無理にせよ、
基本的には違うものと見做したいです。
お礼
ありがとうございます!! 芝田さんでしたね!! どうりで見つからないはずです・・・ でも見つかったのもあったので、勘違い仲間がいるって事ですね(笑) このHPは知りませんでした!! とても嬉しいです。ありがとうございます★