マタイの福音書 6:7について教えて下さい。
神学や聖書学に精通した牧師や伝道師に尋ねるのが正しいのかもしれませんが、
なかなかそんな機会やタイミングというのはありませんし、
こういうweb上なら、
先入観なしに答えて下さる方がおられる場合がありますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
”あなたは祈るとき、異邦人のようにくどくど祈ってはならない”
とありますが、
クリスチャンの方(私もクリスチャンですが)は結構長めに祈っておられますが、
また、祈祷会などもおこなって祈り合っておられますが、
それをくどくどとも考えられますが、
それをしなくても、そのあとに続くみ言葉の、
全能の神さまは祈り願う前から全てご存知なのでは?
と考えてしまうことがあります。
これはひとつの私の長年の疑問であります。
マタイの福音書はユダヤ人向けに書かれたという背景は習っております。
異邦人というのもユダヤ人以外の、
例えばギリシャ人や異教徒を指すという解釈も習いました。
では、
1.”くどくど”という言葉を日本語に訳すのが難しかったのでしょうか?
2.それとも”くどくど”が適切な訳だとして、異邦人は祈りに1時間も2時間もかけていたから、それについてイエスさまはこう仰せになられたのでしょうか?
もちろん、私は毎朝、そして就寝時、勤務前、勤務中、勤務後、
嬉しいとき、悲しいとき、そして礼拝のとき、また、他者のための執り成しを祈っています。
祈りというのは神さまへの霊的な話しかけであり、
神さまと聖霊さまとの親しき交わりだと思っています。
祈らなくて良いなどとは決して思っていません。
しかし、このマタイの福音書 6:7をそのまま解釈すると、
そのあとの主の祈りだけで良いのではと思われます。
繰り返しますが、
祈りが主の祈りだけで充分とは思っておりません。
主の祈りは基本であると思っています。
私は自分の人生で祈らずにはいられないほどになっています。
また、最近、
福音を宣べ伝える伝道者の補佐役として神さまに仕える立場になったので、
こんな愚かで弱い私を用いてくださったので、
その私自身が、
疑問を持って人様に伝道してはいけないと思うので質問させてもらっています。
福音書を初めて読まれて、
私と同じような疑問を持たれた方のためにも、
答えられなければならないと思うので質問させてもらっています。
※しかし聖書は、
一生涯かけても解らない部分・疑問点があるのも理解しております。
核心部分を理解することが大切だというのも、
最近、伝道師の先生に教わりました。
長くなりましたが、
マタイの福音書 6:7について、
また、上記の1と2についての私の質問の回答もしくは意見を、
どうかよろしくお願いいたします。
お礼
ありがとうございました! そんな法則があるとは、全然知りませんでした。 今まで何度もやっているのですが、 その都度、偶然オヤジが起きている時に行き合わせていたんですね。