※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:原子力発電は憲法違反では?)
原子力発電は憲法違反では?
このQ&Aのポイント
原子力発電所の分布は都心部には建設されず、地方に多く建設されていることが問題となっている。
地方の人は生命を脅かされるリスクを冒し、恐怖に怯えながら生活しなければならないが、都心の人はその必要がないと解釈できることは憲法の「個人の尊重」に反するのではないか。
原子力発電は生命のリスクを冒さなければならない人が出てくることはおかしいと感じる。また、原子力発電は生活に不可欠なものではなく、他の電力供給の方法もあるはずである。
今回の地震で、福島原発の放射能漏れが問題となっています。
発電所の分布を見ると一目瞭然なのですが、原子力発電は電力需要が多いはずの都心部には建設されず、地方に多く建設されています。
この理由について
「安全性の問題があるため、被害が拡大化するであろう人口の多い都心部には建設できない」
と習いました。
この理由が真だとしても偽だとしても、極端な話、同じような生活を享受するのに、地方の人は生命を脅かされるリスクを冒し、恐怖に怯えながら生活しなければなりませんが、都心の人はその必要がないと解釈できますよね。
これは憲法の「個人の尊重」に反するのではないでしょうか。
住んでいる地域によって背負うリスクが大きく違います。それもちょっとやそっとのリスクではなく、生命のリスクであります。
人口が多いところの人は安全だが、人口が少ないところは犠牲になってもらう、と解釈できてしまうのではないかと思います。
たとえ原子力発電が二酸化炭素を排出しないクリーンな発電方法だとしても、そもそも生命のリスクを冒さなければならない人が出てくるのはおかしいと思います。
生を値踏みしているような印象を受け、原子力発電は生命の尊厳を根底から覆すに等しいものと感じます。
日本は、個人を尊重する国、憲法でそれを保障している国です。
多くの人々が集まって何かをするとき、犠牲は付き物かもしれません。最低限の犠牲、妥協はやむを得ないかも知れません。
しかし、その最低限の犠牲が「生命」ということは認められるでしょうか。
しかもそのリスクを冒す人、冒さない人がいる。
人の生命に値札を貼っているようで、憤りを覚えます。
そもそも”原子力”発電は生活に不可欠なものでしょうか。そんなことはないはずです。
他の電力供給の仕方だってあるはずです。
温暖化対策や、発電効率を考えることも大事ですが、人の命について、平等に考えてみると、原子力
発電という結論は間違っているのではないでしょう。
もう一度、原点に立ち返って、ゼロベースで考えてみてるべきだと思います。
高校生の拙い意見ですが、みなさんの意見を求めます。
お礼
回答有難うございます。