- ベストアンサー
自分の意見に自信がもてない・・・
人の思想や考え方は、学校の教育やメディアの主張、考え等に少なからず影響を受けていると私は思います。 前から疑問に思ってきた事ですが、自分の考えなんて、所詮は周りに影響されて完成されたものじゃないんですか? イコール自分の考えなんて、誰かの受け売りが入り交じっている、そんなにしっかりしたものでないんじゃないか…ってよく思うのです。 少なくとも私の周りには、ちょっと意見を言えるように見える人でも、実は新聞や本や知識人の発言をいかにも自分の意見であるかのように、得意げに吹聴して回る人ばっかりです。私は時々時事問題なんかで人から「どう思いますか?」と聞かれたとき、自分の意見がいえません。 メディアによって人はその時事問題を知るわけですが、私たちの時事問題への見解は、時事問題に対するメディアの扱い方一つで、180度変わってしまうこともありうる不安定なものだと思うから、自分の発言に責任が持てないんです。致死量に満たない毒を少しずつ食事に混ぜていく様に、メディアが無意識に私達に少しずつ一方向の考え方を植え付けていって…いないとは、言い切れないでしょう。 メディアを信じ切る事は危ないと思います。常識も案外本当に正しいか十分怪しいものだと思います。 例えば、慰安婦問題や南京大虐殺は、日本人なら当然知っておくべき、謝罪すべき事実であるというのが今の日本の一般的常識ですが、そんな事実は起こっていなかった、といってその常識に疑問を投げかけている意見の人も少数います。 学校の歴史教育は左翼を育成するように仕組まれている、という人もいるし、そんな事はないという人もいます。 私にはどちらの主張が正しいかなんてもちろんわからないです。 こんな風に全てを疑い出すと、何を信じていけばいいかわからなくなりました。信じられるものなんてないんじゃないか、とも思います。 この文を読んで感じた事何でも教えて下さい。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
世界中の人の全員が、赤ちゃんの時は何も考えられず、発言できず、回りから全てを吸収してやがて大人になっていくわけです。 家族、親、兄弟、友達、先生、本、テレビ・・その他で、安心したり喜んだり感心したり嬉しかったり感動したり裏切られたりびっくりしたり・・そうしてさまざまな考え方を学んで、今があるわけです。 ですから「100パーセント受け売り」というのは正解です。 私もそう思っています。それでいいじゃありませんか。 実際には、ブレンドしたり、醗酵してたり、ひとりひとりまったく違う「その人」がいるわけです。 そして日々、新しい考えや発見に出会い、変わっていくものです。昨日言っていたことと今日の発言と180度違うこともありえますし、私はそれが生きていることだと思っています。 「何を信じていけばいいかわからなくなりました。信じられるものなんてないんじゃないか、とも思います」という考えになることもありますよね。 わからないことはわからないと言えばいいと思います。 わからないと言えることが、その人のその時の考えた結論だし、わからないと、いえることは素晴らしいことです。 私は、学校の授業で戦後の歴史なんて3学期のどたばたの中で、うやむやにされて(弥生縄文、戦国時代なんてたっぷり時間を掛けるくせに)先生方の技量不足か、それとも故意か、と自分でいろんなものを読み、結果、まんまとアメリカの作戦通り「日本人は原爆を落としてもらってやっと戦争を終結できた」と刷り込まれた苦い経験があります。 刷り込まれたとわかるまでは、納得していましたので そうだそうだと発言していました。 生きていくとはそういうことだと思います。 akiakaneさんはとてもまじめでしっかり考える方ですね。 うすっぺらだなあと情けなくなるような若い参加者もいる中で私には頼もしい方に思えます。 簡単に単純に信用せず、いろんな角度から冷静に情報を精査するakiakaneさんを応援します。
その他の回答 (7)
- sydneyh
- ベストアンサー率34% (664/1947)
人間なんて普通は、自分の信じたいものを見て、聞いて、それで意見を持つ(つもりになっている)んじゃないでしょうか。 それが一番簡単だから、です。 それがいやなら、すぐに答えを出さずに不信でも色々な情報を自分なりに調べ、取り寄せ、吟味し、選ぶしかないと思います。 何を信じればいいのか、という受身ではなく、何をどうしたらより良い真実を追究できるか、という積極性が大事なんじゃないでしょうか。 それが、たとえどんな出所の情報だろうと、どんな背景があっての内容だろうと、自分が良いと思うものがあったのであれば、それこそ「自分の意見」となるんではないでしょうか。 そう、結局は周囲や環境、世界がどうだろうと、自分自身がどうその情報や内容を受け止めるか、によると思います。
お礼
なかなかこちら側の勝手な都合で返事がお返しできなくて申し訳ありませんでした。 >何を信じればいいのか、という受身ではなく、何をどうしたらより良い真実を追究できるか、という積極性が大事なんじゃないでしょうか。 確かにそうだなあと思いました。 親身な回答有難うございました。
- classicgaski
- ベストアンサー率40% (4/10)
人はまさに百人十色。同じ意見主張を見つける方が本来は困難なはずです。何が真実かだけにこだわっていると全てが疑心暗鬼になってしまいます。飛躍するかも知れませんが、フランスの哲学者ボルテールだったと思いますが、「あなたの言う事には、私は反対だ。しかし、それを言う権利を私は命を賭けて守る」と民主主義の根幹に迫る名言を残しています。これはアメリカの各大統領が信念としていたことでもあるそうです。 人は本や新聞、各種メディア及び周囲の人間から情報を得る訳ですが、要は、自分なりに考察し咀嚼し、時には洞察を加えて自分の考えにまとめていきます。人間の考えることですから、限界もあり相対的であり、科学的根拠に乏しく歴史的な重要な問題も後世の歴史家に修正されることはあるでしょう。それでも後退と前進を繰り返しながら、少しでも前に進めばいいのではないでしょうか。それさえも否定されるのであれば、人間の生きている意味と価値さえ否定しかねません。黙して語らずよりも、批判の対象になるにせよ受け売りでも主張する方が価値はあります。聞く方はヒントをもらえるし、真実により近づくために収斂されていく可能性があるからです。 疑いようのない完全なる真実を証明できる人はいません。歴史という時間軸で多数の英知を集め、科学的裏付けでさらに真実に近づく。このように多数の人が関わって真実の実態に迫れるものだと思います。1人の実力なんて知れています。 何も信じられないというのは、感情的には分かりますが、いわゆる自己否定につながるような気がします。あなたの精神が、何かナイナイ尽くしで埋められている気がします。全てがマイナス思考のようで人間関係、仕事など生活全体が金縛りにあっているようで、自分の殻から抜けだせないようになってしまう方が気になります。笑顔さえ出てこず、人を全て遠ざけることにならないか気掛かりです。
お礼
なかなかこちら側の勝手な都合で返事がお返しできなくて申し訳ありませんでした。 自分の殻に閉じこもる、ということの無いようになるべくしていきます。 親身な回答有難うございました。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
自分で納得いくまで調べる。 それしか解決策はないと感じています。 私も多くのメディアや書籍などから情報を仕入れています。 しかしそれらの情報を鵜呑みにして、他の人に意見を述べる ことはほとんどしません。 多数の関連する資料を読み漁り、多方面から一つの問題を 考察することで、完全ではないにしてもある程度は情報を 見極めることができます。 特に政治問題については、意見を述べる人の思想が多分に 混じりますから、情報発信者の情報操作に注意する必要が あります。
お礼
なかなかこちら側の勝手な都合で返事がお返しできなくて申し訳ありませんでした。 自分で納得いくまで調べる。 本当に大切だなあと最近実感する毎日です。 親身な回答有難うございました。
- gooday
- ベストアンサー率12% (3/24)
世間の常識は、多数派の意見で成り立っています。 少数派の意見は非常識となります。 真実はどこにあるのか? 信念を貫く事ではないでしょうか? 大昔、ヨーロッパで地球は丸いと発言し、死刑になった事があります。これが、人間社会の本質だと思います。 メディアの発達した現在、情報は多様化し、何が真実か? 自分で判断できる力を養いたいものと考えます。
お礼
なかなかこちら側の勝手な都合で返事がお返しできなくて申し訳ありませんでした。 >信念を貫く事ではないでしょうか? 本当にその通りだと思いました。 親身な回答有難うございます。
- porco
- ベストアンサー率20% (8/39)
これは私のとっている態度です。具体例で説明します。 名古屋で、ビルに立てこもって、ついには自分の立てこもっているビルの一室を爆発させてしまうという事件がありました。直後の報道で、容疑者が契約していた会社によると、容疑者は顧客から苦情が多く・・・、ということが言われていました。報道機関のそれは、それが真実であるかのような、疑いの余地が無いかのようなものでした。 しかし、この情報の出所は、容疑者と対する会社側のものであり、それが真実であるかどうか、という事に関しては、私としては、判断しかねるものがありました。 このような、ものの見方が出来るかどうかです。報道された内容を、コメンテーターの言う事を、どう受け止めるのか、という事です。新聞や、雑誌、本に書かれている事についても同様です。 そうすると、何を信じていいのか・・・、と言う話になりますが、結論から言うと、報道や、本などに、完全に信じられるものなど無いのです。また、それで不安になる事も無いと思います。得たことを、自分で判断して、どう考えるのが良いのか、決めていけば良いのです。はっきりした判断が得られない事もあると思います。そういう時は、この可能性が高い、というような判断の仕方もあります。 自分の考えは、やはり周囲の影響を受けたものでしょう。人の考えなら、これは誰々の考えだ、この考えに私は賛成(反対)だ、これこれの理由からだ、と、それでいいと思います。物まねから入っていくという事もあるのです。それを咀嚼して、自分流にアレンジして、やがては、自分の、オリジナルの考えも生まれてくるかもしれません。
お礼
なかなかこちら側の勝手な都合で返事がお返しできなくて申し訳ありませんでした。 物まねから入っていいんじゃないか、という言葉に安心しました。 自分流に咀嚼してアレンジして、いつかオリジナルの考えをもてたらなあと思います。 親身な回答有難うございました。
- DoubleJJ
- ベストアンサー率34% (127/367)
考えられていることは間違っていないと思います。 回答になっているかはわかりませんが、少数意見を述べるということはそれだけ他人からの注目、批判を浴びるということなのです。人と違うことを言えば周りから叩かれますし、場合によってはあなたの家の側に右翼の街宣車が乗り付ける可能性もあるでしょうし、イタズラ電話やストーカーの被害に遭う可能性だってあるのです。少数意見を述べる、人と違うことを述べるということはそれらのリスクを承知した上で述べるということなのです。 つまり、マスコミによって私達が操作されてしまうのはむしろ当然のことで、仲間はずれになりたくない、石を投げられたくないという自己保存本能の表れといえるのです。
お礼
なかなかこちら側の勝手な都合で返事がお返しできなくて申し訳ありませんでした。 確かに大衆には自己保存本能があると思いますね。 親身な回答有難うございました。
- slippinegg
- ベストアンサー率36% (423/1150)
疑う心があって、 複数の異なる事実を知ったなら、 選択肢はふたつあります。 すべてを「意見」として受け止め、 感情を持たないか、 「自分の信じられるもの」を見極めるか、です。 常識だって、そもそも人間が作り出したもので、 成長とともに、刷り込まれているものです。 ここに疑問を感じて、抵抗する者もいれば、 それを「こういう史実」として受け止めて、 正しいか否か以前に、それを守る事で、誠意を表せるのなら、という選択をする者もいますよね。 深く考えない者もいる。 どこに属するかは、せめて自分で選べると思います。 疑問を投げかけて、自分の信じる事実を認めさせようとする者がいるから、 こうやって情報が多数でてくるのです。 そしてそのどれもが、どこかに理由を持っている。 どの説も、解く者は、自分なりの研究と、信念を持って、それを世に送り出しています。 あなたはその側になる事もできるし、 それを材料に、何かを考える側になることもできる。 何かを信じなければいけない、という事はありません。 自分が進みたい方向へ、進めば、またその先に、疑問は生まれるでしょうから。
お礼
なかなかこちら側の勝手な都合で返事がお返しできなくて申し訳ありませんでした。 >すべてを「意見」として受け止め、 感情を持たないか、「自分の信じられるもの」を見極めるか... その通りですよね。私はこれからも自分の信じられるものを見極めていこうと思います。 親身なご回答ありがとうございました。
お礼
なかなかこちら側の勝手な都合で返事がお返しできなくて申し訳ありませんでした。 sasaiさんに本当に勇気付けられました。 読んでいてちょっと照れちゃいました(^^;) 親身な回答有難うございました。