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どちらですか。

心疲れる程の不納得な事柄に遭ったとき 黙ってられない 黙る またどちらが正しいと お考えですか。

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  • docomof08
  • ベストアンサー率12% (82/643)
回答No.4

両方です。 心疲れるほどなら、何か言うと言い過ぎてしまうのでそれなりに後悔するけど、黙ってすませた時よりは後悔しないと思います。 何を言っても届かない相手(めったにないですが)だと思ったら、相手にしない方をとります。 どちらが正しいか、なら黙らない方が正しいような気がします。

minaotehon
質問者

お礼

参考になります。 ご回答ありがとうございました^^。

その他の回答 (3)

noname#130417
noname#130417
回答No.3

黙っていられなくて、口出しをした結果、私の場合口を出す前より心が疲れることになることが多いです。 こうなったときは、後悔しかないので余計な重荷を背負ってしまった気がして落ち込みます。

minaotehon
質問者

お礼

参考になりました。 しかしながら、 内容によりけりの場合もございますでしょうね。 経験上 様々な事柄を考えたとき、実態であろうことに気づいて良かった感を感じましたからでございましょうか^^。 余談失礼致しました。 ご回答ありがとうございました。

回答No.2

精神疲労もが肉体の緊張によって感じられております。 従いまして、顔の表情筋さえもが常に「無意識的に」強張った儘の状態が解消されませんと、更に過敏に反応させられてしまい兼ねません。 だから、若し其処からの脱却を望んでいらっしゃるのでしたら、意思表示の可否を論じるだけではなく、他のストレスをも受け入れ得る融通の体得の為の諸手段を、誰しもが積極的に模索し続けていくべきなのでしょう。 実際に私は気功の呼吸法を学び、鍼灸治療を研究しまして、其の過程の途上で、酷く深刻な苦情への応対を連続的に行なわさせられようとも、それを平気で処理し続け得る、という段階へ自己を留められる様になりました。 因みに、昔の私なら、黙り込む判断を選んでおりましたので、それ等の問題に曝された際には、耐え切れずに逃げていたでしょう。

minaotehon
質問者

お礼

慣れからくる感覚からから黙る術を身に付けられたのでございましょうか… なかなか 大変そうでございます。 参考になりました。 そして 肉体の緊張… これはどのコメントを読まれ出来上がったご回答でございましょうか… 人相云々ですれば前にも少々載せさせて頂きましたが、人間散々な目に遭ったときでも穏やかに笑顔を作っていられますでしょうか。 人や周りのために繕えてもなかなか持続は厳しいものです。 ね ご回答ありがとうございました。

noname#138060
noname#138060
回答No.1

黙っているしか仕方ないこともありますよ。 私は何をしていても心の底から楽しいと思える事はなくなりました。 きっとこの先死ぬまでずっとです。 それでも何でもないフリして 幸せそうなフリして生活してます。

minaotehon
質問者

お礼

仕方ないこと… どうにもならないこと これはどうなのでしょう 長年嫌な目に遭い様々新たに気づいてきますと、ふりすら出来なくなりなかなか黙ってられないもんです。 一生他人の心をしんどくする人間の感覚 解りません。 権力に立場に力に横並びに なぜ変だと思わないの? つくづく思います。 次は何企んでるのか とさえ様々な出来事の記憶があるゆえ想像してしまいます。 余談失礼致しました。 参考になりました。 ご回答ありがとうございました。