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助動詞「れる」「られる」の意味に関する疑問です。

若し現時点で既に完全な正解が見付かっているのでしたら、それを教えて頂きたい、と願いまして、此の質問を提出させて頂きました。 『助動詞「れる」「られる」が4種類(「受け身」「可能」「自発」「尊敬」)の意味を備える様になったのは、如何いう事に起因しているのでしょうか?』 東洋哲学の理解を深める為にも必要になり得る、と思われますので、是非とも知っておきたいものですから、畏れ入りますが、雄弁な回答を何卒宜しく御願い申し上げます。

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  • marisuka
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回答No.5

「れる・られる」なる助動詞は、日本の自然観にどの様な影響を与えた、と思 われますか? それにつきましては、私は意見を持ち合わせておりませんので、他の方にお譲り致します。別にご質問を立てられたほうが、ひろく意見を求められてよいのではないかと思います。

codotjtp
質問者

お礼

有り難う御座います。 仰る通りに此処で締め括らせて頂きます。 又何らかの機会に御教授を賜れると幸いです。

その他の回答 (4)

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.4

「雨に降られる」は、迷惑受け身というものです。自動詞であっても、それが主語にとって迷惑である場合、この形をとることがあります。 ・息子に死なれた。(死なれて困った、悲しかった) ・私の車に乗って行かれた。(乗り逃げされて困った) ・大風に吹かれた。(作物がダメになって被害を被った) お役に立ちましたでしょうか。

codotjtp
質問者

お礼

有り難う御座います。 更に伺わせて下さい。 『「れる・られる」なる助動詞は、日本の自然観にどの様な影響を与えた、と思われますか?』 御忙しい中へ御邪魔を致しますが、宜しく御願い申し上げます。

codotjtp
質問者

補足

「迷惑の受け身」の場合の「れる・られる」は、 「尊敬」よりも寧ろ「謙譲」と関わっているのでしょうか?

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.3

「雨に降られた」の主語は、書かれていませんが、その雨に降られた人物です。 「私は」「彼は」などと想像はできますが、そこは文脈で。 日本語では、というか、日本人同士の会話では、わかりきったことは省略するという昔からの習慣があります。誰かが「昨日買い物に行ったらね、」と話し出したら、それは「私が」に決まっています。 英語でも、日記ではIを省略すると聞きました。日記の中で誰かが何かしたとしたら、それは自分に決まっていますから。そうでない人物なら「He」とか「She」とか書くのでしょう。

codotjtp
質問者

お礼

有り難う御座います。 因みに気になったのですが、 そもそも「降る」という動詞は自動詞ですので、 目的語を取らない訳ですから、『受動態』を構成出来ない筈ですが、 それでも此の時の助動詞「れる」の意味は『受け身』なのでしょうか? 国文学の教科書へ『自発』の例として 此の「れる」が紹介されているのを、私は過去に拝見しておりまして、 それを久し振りに思い出し、伺っておりますから、 御存知でいらっしゃいましたら、回答を下さると、嬉しいです。

codotjtp
質問者

補足

私の予想では、『自発』には日本文化特有の『謙譲』が関わってるのだろう、と思われます。

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.2

浅学の見ながら、知っている限りで。とうにご存じのことなら申し訳ありません。 日本では、身分の高い方は、自分では何もしない、という考えがベースにあると聞きました。動作はその人がするのではなく、勝手に自然と発生するのです。それを表すのが「れる」「られる」という助動詞だとか。 そこで、そのようなケース(動作の自然発生)に当てはまるところにいる人物に対する尊敬を表すこととなった。 また、動作が発生し、自分はその影響を受けるので受け身を表す。 と、ここまでは意味の発生元が同じような気がします。 その動作の自然発生が自分のところで起こるとしたら、自発となる。 自分のところで発生するのだから可能となる。 こうして、動作の自然発生が空いてで起こるか自分で起こるかで、尊敬→受け身と、自発・可能とができた、と考えられます。 昔勉強したことなので、出典や誰の説かは忘れてしまいましたが。参考になれば幸いです。

codotjtp
質問者

お礼

有り難う御座います。 返事が遅くなり、失礼しました。 矢張り「自発」が先に立つのですね。 因みにふと疑問に思ったのですが、 「雨に降られた」という表現の主語が何なのかを 御存知でいらっしゃいますか? もし宜しければ、その回答をも下さると、助かります。

codotjtp
質問者

補足

wikipediaへ投稿されている説明でも、 『雨に降られる』という文節の助動詞の「られる」が「受け身」の意味で使われている、という奇妙な論旨が展開されていますが、 「降る」が自動詞に属している事情は非常に重要で、 目的語を持たない動詞の受動態は存在してはいけない筈です。 従いまして、昔から大学入試問題でも、 此の助動詞の意味の定義の根拠を問うてきました。 wikipediaもが唯の自己主張の場に留まっておりますので、 若しそれの模倣の域を現時点で出ていないのでしたら、 更に掘り下げた学習が必要なのでしょう。 ですから、再度の返事を頂けると、有り難いです。

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.1

このような回答が欲しいわけではない、というのは承知の上ですが。 完全な正解、と言われると誰も答えられないと思いますよ。このことについてもいくつかの説はあろうかと思いますが、あくまで説であって、言語に関しての万人が認める定説はないものと思います。 私見は不要なんですよね。

codotjtp
質問者

お礼

有り難う御座います。私の伺い方に問題が含まれておりますね。 最近には、残念乍ら杜撰な『ら抜き言葉』が流行っていますが、そもそも若し此の問題定義で申し上げております意味の4つが共通の助動詞によって表現されている、という基本的な事実が既に見落とされていなけれなければ、『ら抜き言葉』の不自然さが身に沁みる筈ですので、より多くの方々に考えて頂けると、有り難いです。

codotjtp
質問者

補足

畏れ入りますが、西洋近代的な自我同一性が自覚されていなかった古代日本でも認識されていた『尊敬』の意味は、現時点で和英・英和辞典へ紹介されている"Respecct"の訳語ではない筈ですので、東洋哲学を認識する為には、此の問題への解決が非常に重要に働いてくれるだろう、と考えまして、投稿を致しておりますから、答えを紹介して頂けると有り難いです。

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