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子供たちの行動の過渡期
アンケートのような質問ですが、 子供たち(特に小学生)の行動の移り変わりに興味が沸きました。 昔は、子供どうしの関係は友達どうしで寄り合っては離れるといった繰り返しの切れたようできれていない納豆の糸のような間だったと記憶しますが、 現在での友達関係は、寄って行ったと思うとまるでパチンコ球のようにはじけてしまうとても希薄なものと聞きます。 このようになったのは、段階があったと考えます。 いったい、いつ頃から何に起因してこのように変化していったんでしょうか。 興味本位の質問ですが、小学生の子の親として気になります。
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50歳を目前にしたおっさんです。 難しいご質問ですね。 私が子供の時分は放課後は日が暮れるまで校庭や近所のお寺の境内で遊びまわっていました。 友達の家に遊びに行っても、若干の貧富の差はありましたが、だいたいが同じような均質的なご家庭でした。 私たちの親の世代は戦前の教育を受けたのでみな道徳も教育されています。子供たちはだいたい同じような躾をされて育てられたと思います。 時代背景もありそうですね。高度成長期で大人は必死になって働いていましたが、毎年給料が上がって物質的には豊かになりました。カラーテレビを買うのもすぐに買えるか、数年後に買えるか程度の違いです。一億総中流と言われ皆が同じ方向を向いているような時代でした。 でも私たちの世代が親になった頃から、子供たちが変わってきたように思います。 私たちの世代はまだかろうじて小学校で道徳の授業がありましたが、このころから個人主義・・・というより利己主義的な考えをする人たちも少しずつ増えてきました。 「常識」というものが通用しなくなりました。 10年ほど前にPTA役員をやらせていただいたことがあります。朝のあいさつ運動でPTAが校門のところで子供たちにあいさつをするのですが、子供たちが「おはようございます」と元気にあいさつするのに返事もせずに世間話に夢中になっているお母さん方をみたときには開いた口がふさがりませんでした。 今の社会はもう均質的ではありません。 子供におはようも言えないお母さん方はそういう方たちだけでツルんでいます。 子供は当たり前ですが親の影響を強く受けます。 子供同士でも、アイツとは話にならない、ということは敏感に感じています。 子供たち自身が、付き合うことのできる子とできない子を区別しています。 私たちの世代が親になったのはだいたい20年くらい前でしょう。 ちょうどバブルがはじける前後の時代です。これも暗示的に考えてしまいます。
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- meg68k
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こんばんは、素人です。 確かに子供同士のつながりはよわくなってきていると思います。 個人的な推測では教育、特に親の考え方に要因があると思います。 一部の親が勉強に力を入れた為に、力をいれてない親の子供とつながり は弱くなります。大げさな例だと思いますが、外で遊ぶ事をあまり望ん でない親もいるようですし(危険だし、だったら勉強してほしいとか)、 それら色々な要因が組みあって現状になっていると推測します。 あと個人情報保護法の為に隣のクラスの友達の電話番号がわからない なんてことがありました。これも隣のクラスの子供とのつながりを弱 くしていると思います(まあうちでは気がついたらすぐにうちの電話 番号教えて、電話番号教えて貰ってこいと言ってますが)
お礼
ご回答ありがとうございます。 子供も年ごとに一律に性質の似ていて、学年ごとにその性質も違っていた印象は強く残るものがあります。 例えば、私の一つ下の弟の世代に見えたのは、「オタク」っぽいのが多くて、弟の近辺だけかと思うと大学や就職した先で後輩がものの見事に同じようでした。全国規模なのはなんでかなと思ったほどです。 しかし、現在は年代ごとではなくて、小学(中学年以上)生にはそれがありません。特徴がないんです。 「パチンコ球のようにはじけて」とは、昨日まで仲が良かったのに今日には睨み合いをしていたりして、本人たちにもその原因はよくわからないようです。クラス内の勢力図が日替わりなようです。 特に女の子たちに多く、男の子たちはその煽りを喰っている状況なんだそうです。 これが、何とも不思議で何年前あたりからなのか起源説まで辿りたい気にさせてくれます。 もうすこし、「観察」してみようかと思います。 うちの方では電話番号だけですが連絡網が最近やっと作られました。さすがに反対していた親も不便さを感じたんでしょう。 革新的な風潮に呑まれやすい人達は、全体的なコミュニティというものを忘れる反動があるようです。 他人様はどうあれ、自分や子供にしかいいと映ったもの以外は受け入れませんからね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 昔の遊び場は、お寺の境内、空き地、民家の敷地内を一部無断で通ったりしてかくれんぼや缶蹴りが主流でしたね。それでもどの家も寛大で、同世代の子供がいなくても夏には冷えている麦茶を飲ませてくれたりして、遠慮なくいられた記憶があります。(でもここは田舎じゃないですよ。) 今では、その寛大だった人達も年齢なのかご時世なのか寛大ではいられなくなってしまっています。 この変わり様は態度や性質といったような違いはあっても共に内向きな視野になっていると感じられます。これは、私の親(子供には祖父母)についてもそう思えるんです。 なんでそうなっていったのかに興味が沸きます。 確かにお母さんたちも子供の幼稚園ごとにグループを作っているようで、子供も幼稚園の延長のようにまとまって、まるで結界でも張るようにしているらしいですよね。 目立ちたがる(女子児童)子供の母親は、まさに瓜二つのようだと聞きますし、「あのお母さんには注意した方がいいですよ」とその近辺のお母さんたちからは警鐘があったと家内は言います。 現代っ子がその親を見習ったのなら、その親がそうなった原因はそのまた親ということにもなりますよね。戦後教育が悪かったとするとGHQにその一端がありそうですね。 私はその影響下で育った先生の教育に染まらなかったために他の親たちが不思議に思えるんでしょうかね。 テレビドラマ以上に複雑に見える子供同士の関係は、私にはとても不可解に映ります。 学校を卒業後子供が入学するまでの25~30年くらいの時を隔てると学校教育も不思議で不自然に思うところばかりです。 教育方針は日教組の破壊活動のおかげもあるんでしょうけど、先生方の子供たちへの無関心、何事も関与を避けているのも自制心のない子供関係を子供の社会として作っちゃったんですかね。