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時間は皆平等に与えられるものなのでしょうか?
お金がある人とそうでない人、才能がある人とない人では 時間が異なってくると思います。 たとえばどこか遠くに出掛けたいときに、お金がある人は飛行機でいくことができるため 到着してからの過ごす時間がたくさんあります。 しかし、お金がない人はバスや自転車などで行く必要があるため目的地到着までに とても時間がかかります。 よって、飛行機で行った人と、バスや自転車で行った人では到着時の与えられた時間が 異なってくると思います。 本当は時間はすべて平等に与えられていると思いたいのですが、どうしてもこの考えが浮かんでしましまいます。 明確なご意見がありましたらお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
私の感覚としては、時間は与えられてるものではない気がしています。 「時間」というとても大きなながれがあって、その流れの中で、そのルールに則って、人間が生きているという感じです。 (たとえば、「時間」さんが、いたずらして、今日のある1時間を、こっそり90分にのばしちゃえ、ってこっそりいじったとしても、たぶん人間はそれに気づけない、という感じでしょうか) 感覚的な話はここまで。 そういう「時間」のなかで、「どれだけ効率的に多くのことをこなしたか」とか、「どれだけ時間を放置していられるか(=寝ちゃう、とか)」とか、「同じ時間のなかで、どれだけたくさん笑ったか」とか、基準をどこに定めるかが自由なので、平等かどうか、という概念はそもそも成り立たないと思っています。空気をたくさん吸った人が多くの利を得ている、とは言えないのとおなじで。 質問者さまは、「時間効率」という意味で「時間」ということばを使っているので、その概念からすると、お金や頭の回転や人脈や体力がいっぱいある人のほうが、時間効率よく過ごすことができます。そのぶん、自分や社会にたいして多くのものを生産し、社会に寄与することもできるでしょう。同じ時間のなかで、たくさんの仕事をして、たくさんの人を笑わせて、たくさん買い物もできちゃいますから。本人だけではなく、関連する多くの人がハッピーになります。 一方で、時間効率がわるい人は、自分だけでなく、周囲をハッピーにさせる効率も低くなります。 多くを得たり与えたりすることのほうがよいとか、すぐれているというのは、大勢の人が存在する「社会」がそこにあることではじめて存在する概念です。 影響を及ぼす相手がいなかったり、少なかったり、競争もない社会。極論を言えば、ひとつの星にひとりが住んでいる状態。そういう状態を想像すれば、ひとりに与えられる時間は、平等だということがイメージできるとおもいます。 最初の話にもどりますが、「時間」は、そこに社会があってもなくっても、人がいてもいなくっても存在するもので、そういう意味では平等です。ただし、社会における利益に照らして考えた場合、時間はお金と似たような消費財になってしまうので、消費財としてみたときに、不平等になるのです。
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誤解のなきよう追記です。 エネルギーは平等ではありません。 時間は感じる違いはあると思います。 それを感じる体を持っている人には、 平等だと思います。 感覚的にエネルギーを活かす活かさない エンジンを捜す自身は大切にしたいです。
あなたの時間が?のその背景に道具が読めるんですが。 その道具を使う人と必要でない人、 あなたは道具に振り回されている人 観察している貴方は良いのです。 力の捕らえ方は違うと思います。 人が肺から出しているガスと、 飛行機のエンジンから出しているガス、 比べることが理解できません。
- miko-desi
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自転車で休憩をとりながら移動に一週間かかる場所に 飛行機で一時間で行けたら 節約できた時間に何をしてても、何もしなくてもいい、 夢を叶えたり、趣味に没頭したり、楽しいばかりならいいけれど。 自分が好んで捻出できた「自由時間」となるなら 時間は誰にも平等に流れていることになります。 しかし普通そうはならない。 移動時間を節約しなければならないほどの拘束時間があるのです。 よって予定を早める手段や技術より 「自由時間」をどうやって捻出するかが知恵であるのでしょう。 今3次元ぐらい?立体の世界に住んでいますが、 才能がある人というのは 次元が増すごとに時間の早さは同じでも 想像力で時間を立体以上の世界??として感じているはず。 その増した構築要素を数学や物理学などの公理で証明できたら タイムマシンをつくる初歩的な理論ができますが。 美しさとか夢とか、優しさなんかかもしれません。
- mnemonic29
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他人になれないので、実際はわかりません。 平等かどうかは考えても仕方ないことでしょうね。 大事なのは、自分の時間を有効に使うことではないでしょうか。 例えば質問内容にあるバスや自転車での移動時間も楽しんでしまえば、有意義な時間を過ごしたことになるのではないでしょうか?
- 6186move
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物理の専門的な観点でいうと、アインシュタインが発見したように、 時間の流れ方は一定ではありません。地球上では同じですが、 宇宙空間と地球では時間の流れ方に差があることがわかっています。 存在しているものの中で時間よりももっと安定しているのは 光の速さだそうです。 詳しくはアインシュタインの著書をお読みください。 質問者さんがお尋ねなのはこういうことではないですよね。すみません。 時間の感覚に差がある別の例は、大人と子どもだと思います。 年齢を重ねるごとに時間が過ぎ去るスピードは速くなってゆく と言われています。 0才の子にとって1年間は未知の長さです。 1才の子にとって1年間は100パーセントの増加です。 2才の子にとって1年間は50パーセントの増加です。 10才の子にとっては10パーセントの増加です。 経験に基づいて感じ方の尺度が違うので、 新しい1年が過ぎ去る感じ方も違う結果になるという考え方です。 この意味でも時間の長さは不公平に感じるものかもしれません。 40歳の人は1年という長さを40回経験しているので、 1年を10回しか経験していない10歳の子より有利といえます。 大人は1年の長さを年々知り尽くしていきますが、 経験が浅く時間の感覚の尺度が短い子どもは追いつくことはできません。 年下の人よりは有利というだけです。 質問者さんが言っておられるお金のあるなし、才能のあるなしは、 ウサギとカメの話のように感じます。 早く移動できるウサギは明らかにカメより有利なのかどうかと。 スタートが同じなら絶対ウサギが有利に決まっていると感じますよね。 でもウサギもいろいろ、カメもいろいろです。 ウサギにもハプニングは生じますし、つまずく事も油断もあります。 そのすきにカメが追い抜くこともあるという話です。 飛行機に乗って移動できる金持ちは墜落事故に遭うかもしれません。 絶対不利だと思った車や電車や船の人のほうが先に着いたりすることも あります。 要はやってみないとわからないということです。 カメがウサギをうらやんだところで飛び跳ねることはできません。 カタツムリが鳥をうらやんだところで飛ぶことはできません。 不公平に思えても自分なりに最善を尽くすしかありません。 他と比較するのはナンセンスです。 ウサギは早く着くかもしれませんが、カメにしか見えない景色があるかも しれません。 有利不利を何で図るかの問題だと思います。 私はこんな考え方なので、焦ることも不公平に感じることもなく、 ありのままの自分で全然OKというライフスタイルを満喫しています。 答えになっているかわかりませんが、 興味深いテーマだったので回答させていただきました。
お礼
ご回答ありがとうございます 幸せにいきるにはありのままの自分を認めてあげて、いかに自分らしく生きることができるかにかかっているのですね。
- OrangeCup150
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時間はみな平等に与えられています。 しかし、お金は平等に与えられてはいませんから、経済的制約によって時間の使い方が制限されます。 時間の感覚が異なるのは経済的制限によるものが大きいと思います。 もっとも、 bananamayo さんが不平等と感じるのは、速いことが良いこと、もっと時間(お金)があったらという考えにとらわれているからではないでしょうか? 物事をそういう視点で見ていると、出来事を楽しむことを忘れてしまうものです。 結局、時間というものは退屈にすごすか、楽しんですごすかの違いでしかないのだから平等・不平等よりも楽しむことを考えた方がいいとおもいますよ。 近年の傾向として、何でも効率と考える風潮があり文化の危機を感じています。たとえ効率化したとしても退屈な時間が増えるのであれば一体、人生に何の価値があるでしょうか? スローフード、スローライフのように人間的、文化的に豊かな人生・生活をわたしたちは取り戻す必要があると思います。
お礼
迅速な回答ありがとうございます。 お金があればもっと良い時間をすごせるのではないかという考えが私の根本にはあると思います。 そして、退屈に過ごすのか、楽しんで過ごすのかも、お金があるほうが比較的容易に可能となるのではないでしょうか? たしかに、バスでの移動時間を楽しむことや、自転車でしか見れない景色を楽しむことも重要なことだと思います。しかし、本来の楽しみではないことに時間が使われてしまうことにどうしても残念な気持ちがわいてしまいます。 結局、お金がある人と比較するのではなく、 お金が無いには無いなりに、それぞれの楽しみを見つけることが大切なのかもしれません。
1日に与えられる時間は、人間皆平等で24時間です。問題はその使い方です。いかに効率良く時間を使うか。それが全てだと考えます。確かに金持ちとそうでない人とでは、差はあるでしょう。でも金持ちの全員が全員、時間を上手に使っているとは思いません。それは、そうでない人にも言えます。 身近に例を挙げれば、カレーを煮込んでる間に、別の事だって出来るわけですよね?時間というものは、いかに効率よく使うか。ムダな時間をいかに省くか。全てはそこに集約されます。
お礼
迅速なご回答ありがとうございます。 お金があるかないかではなく時間をいかに効率よく使えるかどうかが重要なのですね。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 やはり、crivelli45さんのおっしゃるとおり、社会においては時間効率の良い人が自分や周りの人を幸せにでき、ある時間内に生産できる量も多いため、相対的に時間効率の悪い人との差がでてくるのだと思います。 また、お金がないことを嘆くより、今を楽しみ、少しでも自分の能力を高めることが 大切なのだと思いました。