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どうして人を殺してはいけないのか

物騒な質問ですいません。 でもよく考えれば考えるほどわからなくなるのです。 このことを聞かれたらうまく答える自信がありません。 法律で定められているから、悲しむ人がいるから、その人が人類の発展に貢献するかもしれないから などの意見を見聞きしましたが、どれもピンときません。 人が人を殺すってどういうことなのでしょうか。 学生の馬鹿な質問で気分を害された方がいらっしゃったらすみません。

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回答No.9

>どうして人を殺してはいけないのか この場合複数の観点からの「いけない」理由が考えられます。 それらを受け入れるかどうかは、当人の自由です。 A)法的な観点 法律はすべての殺人を犯罪(いけないこと)とは定義していません。 「罪刑法定主義」により、法律が犯罪と定義しない行為は、犯罪ではありません。 そして、法律はすべての殺人を犯罪とはみなしていません。 法とは、正義を規定し国民に要求するものではありません。 法は、トラブルに際して、個人の権利や自由を守る為に定められているものです。 その為には、警察や軍隊のような、暴力装置が必要になります。 法を犯した代償を支払うことを、暴力を持って拒否するものに権力を行使する場合、暴力を以って強制するしかありません。その過程において殺人が必要になる場合もありえます。 法は、そのような場合の殺人は犯罪としていません。 (以上から暴力装置という言葉から、ネガティブなイメージを受けますが、これは学問上の専門用語であって、該当する組織を侮辱する言葉ではありません) 一般に言われている殺人が犯罪とされるのは、憲法で保証されている、「個人の生きる権利」を侵しているからです。 実は、法律は殺人をする自由は認めています。 法律には、~したものは・・・の刑に処すとはありますが、~してはいけないとは書いていません。 これは、前述のように、法が正義というものを定義していないからです。 この場合、所謂自殺幇助の問題がありますが、現実に裁判が起こっています。 判例では、情状酌量で減刑されてはいるようですが、殺人罪という扱いは変わらないようです。 これには、以下の理由があります。 1:自殺者当人が証言できない為に、本当に死を望んでいたか立証できないこと。 2:安易に認めた場合、社会的な影響が大きいと思われる為。(公共の福祉・利益が損なわれる) (2も正義や道徳ではなく、社会全体の治安を保つ必要性からのものです。) 道徳・常識の観点) 平時の社会は、その国固有の歴史と文化に基づく常識という不文律に支配されており、全ての関係はそれに基づいて動きます。 また常識の背景となる文化自体が、論理や理性に拠っては居ない為に、それら同士が矛盾する場合があり、 そのために、常識=法とはならない場合があります。 たとえば、「礼儀」は社会生活で重要ですが、それを無視しても犯罪者にはなりません。 ところが、常識自体が時と供に変化する上に、人毎にばらつきがある感覚の、最大公約数的なものなので、社会の常識=特定の個人の感性とはならない場合が多々あります。(その場合はDQNとか呼ばれるらしいです) ということで、当事者が、それらを無視する事により、社会から受ける不利益を受け入れる事を納得している場合は、道徳や常識は全く意味のない概念になります。 宗教的な観点 宗教ごとに、殺人を悪とする理由が違う上に、それを受け入れるかどうかは、当人の自由です。 都合で正義になったりする場合もありますし。 ということで、 人を殺していけないという理由はありません。 (それによる罰を受ける必要がないと言っているのではありません。)

noname#130530
質問者

お礼

詳しく書いていただきありがとうございます。 やはり人を殺してはいけないということは、法的な理由より道徳的な理由からきているのだと思います。

その他の回答 (13)

  • nama777
  • ベストアンサー率26% (183/699)
回答No.14

まるで 「なぜウンコを食べてはいけないのか」 と悩んでいる小学生みたいですね。 分からないなら、実際に食ってみれば? マズいから。 あるいは 「なぜ包丁で手首を切ったらいけないのか」 でもよい。 分からないなら、実際に切ってみれば? 痛いから。 少なくとも誰に迷惑をかける訳でもないので、どうしても気になるなら試してみたらよいと思います。 >どうして人を殺してはいけないのか 一言でいうなら、迷惑だからでしょう。あなたの好奇心を満足させるために、無関係の人が殺されては迷惑だ。このくらいは分かりますよね。 それも解らないというのは、「どうして人に迷惑をかけてはいけないのか」 と聞いているに等しいと言えます。

noname#130530
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • borg121
  • ベストアンサー率6% (363/5466)
回答No.13

 単純明快で自分が殺されたくないから、人(人⊃自分)を殺してはならないということにしたのです。

noname#130530
質問者

お礼

ありがとうございます。要約すればそうなのですね。

  • rowena119
  • ベストアンサー率16% (1036/6310)
回答No.12

人は誰でも、天寿を全うする権利が有るのです。それを勝手に奪うことは許されないのです。しかし、集団で行なう戦争で大量に人を殺すことは、許される場合があります。大義の名のもとに。

noname#130530
質問者

お礼

戦争では天寿を全うする権利を奪うことが許されるのですね。 それが正しいのかそれとも・・・ 考えさせられました。ありがとうございます。

  • takapeko
  • ベストアンサー率44% (251/563)
回答No.11

深く考えなくていいですよ、考えれば考えるほど宇宙と同じで深みにはまります。 まず殺していいなら、自分も殺されてもいいということになります。貴殿はこれを善しとしますか? また元に戻せるものならいいでしょう。それでいけば人を刺したとかなら傷口がふさぎますし、何とか元の生活に戻せると思われます。しかし死なせてしまっては元に戻せません。お金や時間を費やして元に戻せるなら少々のことは許されると思います。が、戻せないというのはダメと考えるべきでしょう。 貴殿は人の死を見たことや看取ったことや立ち会ったことはありますか? 最低でもそれらの経験がない人に私は殺してはいけないかの質問はしてほしくないと考えます。なぜなら「悲しむ人がいるから」というのがピンときてないようですから。 人を悲しませることは殺人じゃなくてもいじめだろうが破壊だろうがとにかく本来はダメと考えるべきなのです。他人の痛みを感じ想像できることで社会は成り立ち、法律もそれにそって出来ていると思いませんか? 私は小学生のときは友人を亡くし、中学では先輩、大学では友人そして最近では祖母や母親が無くなりました。またバイクに乗っていたことから事故現場に立ち会ったり、ボランティアで捜索にも出てますから死人を普通の人よりもたくさん見ているでしょう。人はこんなに簡単に死んでしまうのかと思うと、殺してどうとかなんていう考えは持てないと思います。 学生さんということなので時間があれば、本当はお薦めできないけど病院の救急搬送の近くで見ていてください。命のせめぎあいの現場を見れば自ずとあなたなりの答えが見つかると思います。 気分は害しませんがやはり人生経験のなさを感じてしまいます。もっともっと頭で考えるのではなく、多くのことを体験してみて下さい。

noname#130530
質問者

お礼

ありがとうございます。私は人の死に目に立ち会ったことがほとんどありません。 だからこのような質問をしたのかも知れません。 今はただいろんなことが知りたいのです。

  • qbtkgda
  • ベストアンサー率26% (98/365)
回答No.10

答になっていなくてすみません。 貴方様の言うとおりだと思います。 戦争になれば、敵を殺さなければいけない、また身内が死ねば喜ばなければいけない、なのに、平時では個人的な殺人はだめ、 だけど、昔は無礼打ち、仇討は良かった。 現代でも、人殺しは国が飯付きで豚箱を用意してくれる。被害者は死に損、またその身うちは泣き寝入り、また、死刑を執行する職業もある。 でもひとつだけ言えるのは、自分の好きな人や身うちは死んでもらいたくないです。 だけど、今の与党の連中は国を弄んだのだから、腹切りくらいしてもらいたい。 そんな感じです。 つまり、良いか、悪いかの是非、は道徳というより、支配者の意見と多数決だと思います。そして今現在は職業以外の、人殺しは、御法度です。

noname#130530
質問者

お礼

多数決ですか。確かにそうかもしれません。みんなが良しとする社会を目指すなら多数決で人殺しだって・・・・ でもそう考えると怖いですね。 ご回答ありがとうございます。

回答No.8

同類を殺すことはいつかは滅亡することを意味します。 また、共食いができるのは下等動物になりますから、高度な動物である人間は殺し合ってはいけません。

noname#130530
質問者

お礼

ありがとうございます。なるほどそういう見方もありますね。

  • wwo
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.7

人を殺すと悪いことになったのは、人道や人権、道徳や思想の理由からではなく、もっと単純に「人を殺すと兵力が削がれるから」、「人を殺すと生産力が落ちるから」です。 通常、人を殺すとは、敵国の人間を殺すのではなく、農民や商人が自国のすぐそばにいる農民・商人を殺すのを意味してます。 兵隊が自分の小隊の同僚兵を殺すのを意味してます。 そんな事を自国民に勝手にさせていたら、国が壊れてしまいます。なので勝手な殺人は禁止。 ですが日本などに昔からあったように『あだ討ち』や『敵討ち』はそれなりの理由を付して申請すればお上から許可状が発行され、対象者を殺害するのが合法的になり、それ以上に推奨・絶賛事項になりました。 これはむやみ勝手な殺人は困るが、決まりにのっとった殺害は自国の兵力も削がないし生産性も落ちないどころか、悪いやつを自主的に殺してくれる良い行ない、、となるわけですね。 また、商人や農民が敵国に忍び込んで敵国人を殺害してくれば、帰国すれば大々的にもてはやされ、英雄化します。敵の兵力を削ぎ、生産性を貶めるのは良い行ないだからです。 以上の様に殺人の禁止は自国利益の保全を国の上層部が望むからであり、そして国の中流階級にとっては社会の安全度を高めて自分の生存確率を増す為にあって欲しい社会制度となり、下層階級にとっては上層・中流の人に虫けら扱いされない良い仕組みとなり、安心して生産活動にいそしめます。 総じて、国内での相互の殺人行為の禁止は、国内の安全を保ち、安定して生業にいそしめる環境作りを推進する事となり、国力を高めます。 人間社会の古来からの原理であります。 ただし、同様に原理として、敵国の人間の無差別殺害はどの国でも推奨事項となり、同様に自国内に潜む敵の殺害も国の利益の為に推奨事項と成ります。

noname#130530
質問者

お礼

ありがとうございます。 つまり国の安定のためなのですね。

noname#131426
noname#131426
回答No.6

宗教的な問題です。 神様や仏様というのは、人々を精神的・肉体的に支配下に置くために創られました。 それぞれ解釈の違いにより、多数の流派に別れていますけどね。 一般的には、他人 特に、親殺しは大罪とされています。 神様の名の下に階級を作り、その階級の下位の者は上位の者に従い、上位の者は神の名の下に殺しても下位の者は上位の者を殺してはならないように、法律というものを造りました。 少数の上位の者が多数の者を支配するためには「恐怖」というものが重要な力となります。 同じ国家に属する場合は、同様に、法律でもって縛ります。 当然、国家の指導者たちが殺されないように支配するためです。 好き勝手殺し合いを認めると、国としての体力を作ることが出来ません。 戦国時代の日本と同じです。 外国が攻めてきたら大変なことになっていたでしょうね。 で、この殺しちゃいけません。と言うのが簡単にひっくり返るのが戦争です。 たいていは、民族の紛争です。 宗教に大してさほど関心を持たない民族なんでしょうね。日本人って。 他の国は、民族=宗教=国家 ぐらい重要なことなんですけど。 民族が違う。宗教が違う。となれば、「にんげんじゃねぇ」となるわけで。 宗教が違えば、「俺の神様の敵」になるわけです。 当然、神様の命令だし、人間じゃないから殺しても罰は当たらない。となるわけです。 ww2の日本でも、鬼畜米英でした。 米英は赤鬼どもで、女を殺しに来る。だから兵隊になって女子供を守ろう。天皇陛下のおられる日本を守ろう。 と、吹き込まれたわけですね。 今ほどの情報文化はありません。 言われたことは全て真実になります。 だからこそ、日本の兵隊さんは、遠く離れた戦地で家族のためを想い、殺し、そして殺されました。 人を殺すときは、多分、『狂っている」と想います。 訓練しなければ、冷静に人は殺せません。訓練する過程で、すでに狂っているのです。 ですから、本当に人を殺した兵士たちは、本国に還ってきても多くの心の障害を持ちます。 日本の裁判で、心神喪失の状態にあったと言うことで減刑されることがあります。 私は間違っていると思います。 人を殺す時、全ての人は「狂って」いるのです。

noname#130530
質問者

お礼

宗教とは初耳です。確かに関係ありますね。 狂っている、ですか・・・・。正気でいて人を殺すなんて考えづらいですよね。

noname#127707
noname#127707
回答No.5

あなた自身はいかがでしょうか、道を歩いていたら見ず知らずの暴漢に襲われて殺されてしまった、あの世でこの事実を肯定し納得できますか。 あなたは死ぬわけですから、あーも寸もないでしょうが、あなたの家族や親しい友人が通りがかりに刺されて殺されたら仕方ないことと理解できますか。 人間社会は最大公約数的な意見を集約することが最大多数の幸福ですから、多くの人々が意味もなく殺されることを嫌い、親しい人が犯罪に巻き込まれて亡くなることを拒否する以上、殺してはいけないという掟を作り、それを守らせることが公共の理にかなうからです。 生物は自分が生きるために他者を殺します、これは生きる以上仕方ない事で、ベジタリアンと言われる人も植物を殺して食べますし、ウィルスを殺したり蟻を踏みつぶしたり、すべて生存のためです。 人が人を殺す、貧困だから金を奪うためにとか、一応自分が納得できる理由は付けますが、それを正当化すると、金持ちはガードマンを雇い自分の身を守り、道路が混んでいたら歩行者をはね飛ばして先を急ぐ、一種の独裁になり多くの人は踏みつけられます。 ピラミッドと同じで、頂点の人はやりたいことができるが、裾野の人は何もできない。 そうならないための掟であり、秩序の維持とともに自分の身を守るという意味もあります。 殺すことを肯定してしまえば、自分が年を取ったときに殺されても文句は言えないわけで、最初の回答のように普通はそれを望まないので殺さないだけです。

noname#130530
質問者

お礼

社会の秩序を守るため自分のためですか。 わかりやすかったです。ありがとうございます。

  • hosu1009
  • ベストアンサー率11% (9/78)
回答No.4

人が人を殺すという事は、そういうことです。 それ以外の何者でもありません。 人は幼少のころから大人の人に「人を殺してはいけない!」と教えられます。 なので、人が人を殺すことを悪いと事だと思うのは、基準にすぎないのかも... それより、教育というものが人間の基準や価値観を構築するものだとしたら、 それほど怖いものはないと思う。 逆に幼少のころから大人に「人を殺すことは良いことだ!」と教えられたら... という事なのかもしれませんねw

noname#130530
質問者

お礼

人を殺すことを肯定させられたら・・・恐いですねやっぱり。

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