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寂しがりやの治し方

最近あまりに寂しがりが悪化して、心臓痛や動悸が酷く成ってきました。 寂しがりなので友人に依存してしまって居るのですが、その子は遠い所に居る上に今忙しいのでかなりしんどいです。 近場の友人には見栄を張ってしまい甘えたり弱ったりが出来ない為、普通に遊んで居ますが、普通に遊んだ後余計に寂しくなったり、遊んでいる最中でも孤独感が押し寄せてきます。 メンタルケアもしようとしたのですが、つい強がってしまいカウンセラーの先生には事実が話せないのが現状です。 顔が見えないメールだと大分本音を書けるのですが…。どうしたら寂しくても心臓が痛くなったり、動悸が無くなったりすると思いますか?

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  • blazin
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回答No.2

確かに貴方は周りに強「がって」るけど。 本当に強くは映っていないんだと思うよ。 貴方なりに自分を保とうとしているプライド。 それは尊重している。 だから敢えて貴方の強がりには触れないだけで。 周りは貴方の不安定な部分も実は感じてるんだよね。 友達もカウンセラーも気が付いてる。 でも直ぐにその感じた不安定な部分に切り込んでしまうと。 貴方のプライドを損なってしまう。バランスを崩してしまう。 そう思うから周りは敢えて強がる貴方も貴方として受け止めているんだと思う。 もっと力を抜いて良いんじゃない? 寂しいから直ぐに全面的に頼る、甘える、依存するでは。 それは貴方が立てば、相手が立たないじゃない? 「お互いに」成り立つ形での力の送りあい、気持ちの分ち合い、支えあい。 貴方が目指すコミュニケートの形なんだと思う。 貴方は寂しくなると。 直ぐにその寂しさを何とかしたくなる。 そればかりに気持ちが捉われると。 自分の何とかしたいという気持ちを解決する事ばかりに頭が一杯になって。 自分を受け止める相手の今が見えなくなる。 直ぐに甘えたり、頼ったりしなくても。 落ち着いて話が出来たり、少しでも自分の多面、内側を伝えるだけでも 貴方のバランスは保たれるんだよね。 いきなり貴方に「全面的に」寄りかかられたら誰だってしんどい。 なぜなら受け止めたくても受け止められる部分と、受け止められない部分の区別が付かないから。 でも貴方が丁寧に、少しずつ素直な貴方を伝えてくるなら。 それは十分に受け止められる部分なんだよ。 寂しさ=弱さではない。 本当に強い人は強がらない。 強さとは弱さを受け止められる力。 貴方は弱い部分がある。それもまた貴方自身なんだよ。 そういう自分も大切にしてあげる一歩として。 時には友達を頼ったり、目上の人から意見を貰ったり、支えてもらったり。 それは凄く大切な事なんだよね。 だらしなく頼り続けるのと、苦しい時に、寂しい時に力を借りるのとは全然違う。 自分自身を立て直せたら。 そこからは自分自身で自分をコントロールしていけば良い。 全てを任せる訳じゃないんだから。 貴方にそういういい加減な意思がある訳じゃないんだから。 もっと肩の力を抜いて良いんだと思うよ。 貴方は貴方だよ。色々な面があって良いんだよ。 貴方は今支えて欲しい側なのかもしれない。 でも貴方が誰かを支える側に周る事だってある。 関係性は周ってるんだよね。 急に全面的に自分を晒せとは言ってない。 でも、既に貴方の中に受け止めて欲しい、理解して欲しい部分が存在しているんだから。 それは少しずつで良いから、素直に他者に伝えていく作業の中で。 貴方の中の煮詰る空気の入れ替えをしていかないと。 本当に身体に過剰な負荷が掛かって。 体調を崩してしまう事もあるんだからね。 カウンセラーに対しても。 いきなり対面では体裁を繕う貴方が居るなら。 面談の前にここに書いたような部分を書面にして。 まず読んでもらって。そこから話を広げていく事も出来るんだからね。 もっと自分を大切に。 それはそのまま周りの人たちを大切にする事でもあるんだから☆

usagi-love
質問者

お礼

なんというか、縋っている友達が良く今話してる相手をちゃんと見てと言っている理由が分かったような気がします。 そうですよね。強がってるのを気付いてくれない友人でなければ長くは続かないのですし、カウンセラーの先生に関しては困ってないと言ってしまうのでダメなだけですし…。 何とか余裕を作れるまで甘えないという方法しか思い浮かばなかったのですが、頑張ってみようかと思います。

その他の回答 (1)

回答No.1

寂しがりが悪化して、と云う事と、心臓痛や動悸が酷く成ってきました。と云う事は『心』或は『精神』という事を考慮した場合、同じ現象から起きています。これから書こうとする事は、只の理窟です。今悩んでいる貴方には届かないかも知れませんし、理解出来ないかもしれませんが、一人の人間としてこれから長い人生を歩む時に、判っているのか判らないで過ごすのかで、大変に違う道になってくると思いますので、書いてみたいと思います。参考になれば有り難いです。 人間の『心に湧き上がる』感情は大別して二つに分けられると感じています。一つは『幸福感=大勢の人と繋がっていて、ひとりぽっちでも、孤独と感じない心持=お金の多い少ないには替えられないもの』 そうしてもう一つが『大勢の人の中に居ても、或は特に近しい人といたとしても、報われない感じの孤独感から抜け出せない事=健康な身体を持ちながら、何時も幸福感からはほど遠いと感じられる心持。』 この二つの『湧きあがる感情』が何処からもたらせられるかを、書いてみます。その前に少し学ぶ事があると思いますので、その事を書いてから、にします。 人間の心(精神)の成り立ちから書いてみます。子供時代は、聖書に書いてある通り『天国』に一番近い存在と言えます。不安であろうが、お金が無かろうが、全てに無頓着だからです。不安でありながら不安の相手をしていないと云う意味になります。 是は脳細胞の『未発達』から、自然と出来てしまいます。脳が完成に近くなると云う意味は、脳の機能の分化が完成に近くなると云う意味があります。つまり『知恵が付いて、天国から追放される』ことを意味しています。 この脳の機能分化が完成に近くなると云う意味は、自身の心が『二つになって、矛盾した事や、対立した事や、分裂した事を』両方とも自分が判ってしまう事を意味しています。 つまり、『自身の心の中には二つの違う人格が同居した事』になります。一つは「自我意識」です。この人格は「意識する自分」と云う事で、判りやすいと思います。そうしてその与えられた機能は『全てを計算で割り切ってゆく能力です』結論から言うなら、『割切れない問題以外は総てを受け持っている』と云う能力になります。能力には限界が在るということになります、その限界点が『割切れない問題』という事になります。 もう一つの人格とは『自身の命そのものを働かせている機能そのもの』と云う事になります。そうして『顕在意識』とは一線を画して『無意識界や潜在意識界を働かせていて、尚且つ、命そのものも働かせている事』です。{どうしたら寂しくても心臓が痛くなったり、動悸が無くなったりすると思いますか? }と云う事は、人間の心の働きそのものをずばりと指し示している事になります。 人間の生活が滞りなく順調に流れて行く場合、全てにおいて『二つの意識が』順調に手を取り合って、『二つの意識が同調出来ているからです。』 人間の意識の根底では『二つの意識は』絶えず相談し合って、どちらの出番が最適かを相談して決めています。是は意識するしないに関わらずです。ですが顕在意識は、意識出来ません。 この事が判りにくい事から、精神科医達でさえ、『心を病む事の原因を特定出来ていません。』そういう訳で、心を病む事の完治、根治を打ち出せていません、その結果が『寛解』と云うあやふやな結論となっています。治ると云う事が如何云う事で、再発するかも知れない事でさえ、治ったと云う風に置き換えています。 心を病む原因とは『心の矛盾や対立や分裂』です、完治するとは、『心の矛盾の解消です』それは自身の心が言い争うをしなくなると云う意味になります。『心が何時も静寂の中に在って、困難にあっても、その場での最善策を創造出来る事』を意味しています。 残りが少なくなって来ましたので、そろそろ結論に入ります。『孤独感とは』自分の心が自分の心と対話しなくなる事を意味しています。つまり『意識する自分が意識する自分のみを頼ってしまい、無意識の自分を無視している事』になります。他の言葉で言うなら『意識する自分を忘れて』もうひとつの意識『無意識の意識』に身も心も預けられなくなった事を意味しています。 自意識のみでは、眠る事さえ出来ません。本当の深い眠りに入る事は、『意識が無くなって、すっかり、身も心も、無意識の自分に委ねる事』にのみ成就できる事です。自我意識単体では眠る事は在りません。これが不眠症の実態です。 自我意識が『眠る事や、我を忘れ果てた時』本当の眠りが訪れる事を意味しています。自我意識が出来ない事を出来ると勘違いしてしまう事が、人間の障害になっている例です。 心臓を働かせている者は、自我意識ではありません。自我意識が引っ込んだ時、もうひとつの意識が手を差し伸べています。

usagi-love
質問者

お礼

長々とありがとう御座いました。今は全てを読む気力が無いため流し読みしてしまいましたが、余裕が出来次第じっくりと読ませて頂きます。

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