• 締切済み

殺人・殺生についての矛盾について

何故、殺人はいけないのに、殺生には極刑がないのでしょうか? 人は、家族や友達、周りの親友が悲しんだり、その人のこれからの未来を奪うから絶対にしてはいけないのだ。 このように、NHKの週刊こどもニュースでやっていました。しかし、矛盾は一切指摘されていませんでした。 ペットや、その辺にいる野良猫。そして、実験動物に使われるとても可愛い兎や二十日ネズミ、害虫(美しいモンシロ蝶の、幼虫)を何故、殺すことが出来るのでしょうか? 人との違いはいったい何なのでしょうか?ここに、矛盾は全く無いのでしょうか? もしよろしければ、この矛盾を、 こどもに、「人を殺してはいけないよ」と自信を持って言える、お父さん、お母さん、 小中の教師、 大学などで生物を使う実験している方 に答えていただきたいです。もちろん、このことを真剣に考えている方ならだれでも歓迎です。 また、差し支えなければ、書く前に、 矛盾の有無と、どの立場(親?教師?)からの意見なのかを書いてください。よろしくお願いいたします。 因みに、私自身は、昔(小学校)からこのことが疑問で、薬学に行かなかった、ごくごく普通の大学生です。 なお、法律的に殺すとまずから。というお答えは必要ありません。 なぜ、人を殺してはいけないかを、上記の視点からすごく矛盾を抱えて悩んでいる、小学低学年の子に分かるように教えてください。 よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • ticky
  • ベストアンサー率36% (123/337)
回答No.9

建前も大事だと思います。 子供は経験が大人に比べて少ないです。 すべてを理解してもらうことは不可能です。 (大人でも同じはずですけどね。) それに、自分自身が、あまり良くないと思っていること(つまり、現実の負の部分)を子供たちに教えたくはないと思います。 だから、建前をいわざるを得ない。 つっこまれても、口を濁すのです。 たとえば、どうやって子供ができるのという質問に、実際を理解させるのはまずいですし。 大人の我が儘ですけど、子供に見えないことは、見えなくていいとおもってしまうと思います。 人間の方が大事だから、殺したっていいなんて子供は、あまりいてほしくないし、小さい子には、夢や理想や、よい勘違いはもっていてほしいです。 本題に戻ると、「セオリー」は幻想ではないと思います。 実は結構同じ考えの人がいると思いますよ。 #なんか、偉そうなことを書いてますけど、私も実は、普通の大学生です。明後日提出のレポートがまだ残っていて、これから頑張るのです。でもとりあえず寝ようかなぁ(だめだめだ、こりゃ)。

tihiro_t
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 >建前も大事だと思います。 において私は子供のころから真っ向反対です。 12/25の早朝、プレゼントがおいてあったことにものすごく疑問をもち、親にかなり抗議したほどです。また、私の親は赤ちゃんがどこから来るのか?という問いにもかなり分かりやすく教えてくれました。それに、今、小学校に生理の時間があるのも私にはうなずけます。 ちょっと、本題から外れていますが、セオリーが幻想ではなく、同じ考えの人がいるというのは、私にとって少しでも救いとなる言葉です。ありがとうございます。 >レポート もう、朝の3時じゃないですか。 コレから頑張るの? 寝ちゃいかん。寝たら死ぬぞ~。起きるんだ。頑張れ~

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • yeslets
  • ベストアンサー率31% (47/151)
回答No.8

一人の親です。  難しい問題ですが、この矛盾は人間のエゴに発するものだと考えています。  人間に限らず、生あるものは、「殺して良いもの、殺してはいけないもの」を区別します。どこでその区別が生じるかというと、「自分の利害」です。実験動物が死ぬことで人間の病原菌が解明され、将来における人間の寿命を延ばすことが出来る。だから実験動物は殺しても良い、と考えれば納得できますか?私はこれで一応納得できますが、その根源には「人間の」寿命というエゴがあるという視点を忘れてはいけないと思います。  不殺生を戒とする仏教でも「精進料理」として植物を食べます。でも植物だって生きているのです。食物連鎖というもののなかで、人間がその頂点にいるとは思いませんが、食物連鎖というもの自体、それぞれの生き物が「殺して良い物」と「殺してはいけないもの」を自分(種)の範囲だけで線引きしているのではないでしょうか。人間もその例外ではないということでしょう。  「海の中では何万の鰯の弔いするだろう」                (金子みすず)  私は子供に「人間のために命を奪われた生物に対する供養の心」を説きつづけたいですね。  蛇足ですが、たとえば外国の航空機事故のニュースで「日本人に死者はいないもようです」と言われるとホッとしますが、その後で「ホッとした」自分の発想を見つめると、やるせない気持ちになります。

tihiro_t
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 子供には、供養の心ではなく、実(じつ)を取る、殺さない心を説きたいと思っています。 しかし、あなたのように、私も考えています。だから出来ません。 >最後の「ホッとした」までは思わなくても、それに近い物は感じているのもその一つです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.7

 #1です。補足がありましたので、再び回答します。  ものごとを分かりやすく説明する時に、困った問題になるのが、どんな事象にも必ず例外が存在する事です。しかも、例外と言うのは多岐に渡って膨大な種類があるので、例外を全て話せば、説明が非常に分かりずらく難解になってしまいます。  (人間には「男」と「女」の2種類の性別が存在すると一般的に考えられますが、ごく稀に染色体異常などで、性別が未分化な「男」でも「女」でもない人間がいます。  この例外をいちいち説明していたら「男女雇用機会均等法」に置ける育児休暇と復帰の問題は、分かりやすく説明できません)  質問文に「小学低学年の子に分かるように教えてください」とあったので難解さを避ける為、あえて例外には一切触れずに原則だけを書かせてもらいました。  「人間は自分と同じ同族とそれ以外を区別しています。」と書いたは原則で、モチロンこれに当てはまらない例外は多数存在します。  ですが、全体から捉えた数量的に少数なので、例外とします。  (ちなみに、日本の人口は約1300000000人です。この数を全体とすると、130000000人という巨大な数でも、全体の1割という事で例外になります。  >昨今の凶悪事件のニュースや裁判を見ていると、これ(守るべき存在で~)を感じる場面がありませんでした。  当たり前です。ニュースや報道と言うのは、存在する確率が低い例外的な事実をを伝えるものです。簡単な言いかたをすれば、珍しい事件だからニュースになるのです。  例外を扱っている、ニュースなどの報道を見て、一般的な原則を感じるわけがありません。  マスコミの情報だけが全てだと思ってると、大事な事実を見失いますよ。  >人間に近い動物や、それ以上の動物を、かわいいねずみや、牛や豚に置く人にとっては、この仮説(守るべき~)もいまいち説得力がありません。  すいません。私の理解力では、文章の真意が把握できません。「それ以上の動物」とはなんですか?  かわいいねずみや、牛や豚を人間以上の存在とするという意味ですか?  もし、そういう意味なら一般的には、人間は食物連鎖の頂点であると考えられています。  人間以外の動物を人間以上と考えるのは、例外的な考えだと思います。

tihiro_t
質問者

お礼

回答いただき本当にありがとうございます。 以下に、私の意見を加えながら書かせていただきます。 >小学低学年の子に分かるように教えてください >(最後の行より)例外的な考えだと思います。 例外の説明を求めていると考えてください。実際の世界は、マスコミの情報以上に、例外ばかりで混沌としている世界ですから。もっと言えば、私たち以上に、例外を見る目を小学生は持っていると思います。私たち以上に、なぜ?、と言う発言を良く聞きます。 この世は、事実は小説より奇なりだと思いませんか。 >それ以上と言うのは、ヒンズー教が多数を占める国では、牛を殺せば死刑です。そういった意味で、人以上に評価しているところもあるということです。 また、ネズミに・・・と言うのは、その所有者のの思い入れが、人と同じくらい、それ以上にあれば、人と同じように重要な存在となるという意味です。 もちろん、私が挙げたことを例外だから考えないというのであれば、そうかもしれませんが、もう少し広く人間の本性を考えた時には、 >人間は自分と同じ同族とそれ以外を区別しています。 >同族は守るべき存在で、それ以外は必要があれば命を奪っても仕方ないと考えます。 こう考える根拠はどこにもなく、むしろ矛盾点のみが際立つ気がしました。ですので、説得力がないと回答させていただきました。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ticky
  • ベストアンサー率36% (123/337)
回答No.6

たとえば、ある人の前に、かわいらしい子供がいるとします。 自分もこんな年頃を過ごしたのだ、とやや感慨を覚えます。 この子は、これからどんな人生を送るのだろう。 この子を愛する人が必ずいるはず。 そう考えると、その子を殺すことはできるはずがないとおもいます。 子供でなくて、目の前にいるのが大人だったとしたら、どうでしょう。 彼(女性を含む)を愛する人、よく思う人、友達がきっといるでしょう。 彼が愛する人もいるでしょう。 彼は今までどんな人生を送ってきたのでしょうか。 それは分からないけど、きっと彼なりに頑張って一生懸命に生きてきたに違いないし、将来も同じでしょう。 こう考えるとやはり、人を殺すということはありえないはず。 人が人を殺すなんて事は、してはいけないことなのではなくて、起こるはずのないことだと思います。 (当然、そのようなことを起こしてはならない。) さて、人じゃなくて、他の動物、植物だったらどうでしょう。 たとえば、ある人の目の前に、ごきぶりがいるとします。 その人にとって、ごきぶりの家族や友達などは、気になりません。 そのごきぶりの将来も、その人にとっては問題ではないです。 むしろ、できれば目の前にいてほしくない。 だから、ごきぶりを殺すのでしょう。 犬だったら。 人間は犬に対して思い入れが深いです。殺したいとはなかなか思わないでしょう。 けれど、人間と犬とどちらが大事でしょうか。 人間にとっては、やはり人間が重要ではないでしょうか。家族と赤の他人では、いざというときは家族の方が大切だと思うでしょう。それと同じだと思います。 それに、犬の人生(犬生?)は人間とはまた異なったものであるはず。そう考えると、その犬の来歴や未来についてあまり考えることはないでしょう。やはり、人間(とくに集団としての人間。さらにいえば人間は群れずには生きることができない)には、人間以外の動物などは、あまり重要ではないのだと思います。 実験動物でいうなら、その実験によってその動物が死ぬのと、その実験の成果によって、多くの人が助かるのと、どっちを重くみるかということです。 同じような論理のせいで、欧米でひどい奴隷制が存在したのでしょう。 人の感情、道徳が、人以外の生物を含むから、「天然記念物」だとか、「愛護法」が一応存在します。 大多数の意見を反映してできるものが法律でしょう。 私は、一応、以上のように考えていますが、「できるだけ」殺生はしないように心がけています。 人間と同じに考えれば、どんな存在でも貴重なはずだからです。

tihiro_t
質問者

お礼

回答いただき本当にありがとうございます。 >人間と同じに考えれば、どんな存在でも貴重なはずだからです。 私は、主にこのように考えた視点から物事をみています。そして、やはり、貴方の指摘のように、自己分析をすれば、より人間の方に共感できるから殺さないのだと思います。(イラクで人が殺されてもすぐに、TVのチャンネルを変えれば、5分もすれば殆ど心が痛くないし・・・) ただ、人を殺してはいけないよ。といっている大人の立場が建前だけなのかと思うと、子供のころから考えていた私のセオリーが幻想だと思うし、昨日のこどもニュースも全て建前だけとなってしまいショックです。こんな大嘘を放送するNHKにお金を払うのは馬鹿らしくなります。 もっと、完璧(奴隷制存在がありえない)な理論というか、道徳心は無いのでしょうかね? なければ、みんな建前の中だけで語っている道徳となってしまい、小学校・中学校・高校で受けた道徳の時間はいったいなんだったのか?と、ほとほと疑問に思ってしまいます。また、今の小学校の道徳という時間が意味をなさなことに誰一人教師は疑問をもたないのでしょうかね? 建前を教える前に、ほんねを言えよ!と思ってしまいます。どうなんでしょ。脱線してすいません。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#15014
noname#15014
回答No.5

何故殺人は法律的に許されないことなのか そもそも法律とは何故存在しているのか その事が貴方の思考から抜け落ちてるような気がしますが。 貴方が抱えている矛盾のようなものは、貴方の思考停止に端を発しているのではないでしょうか?

tihiro_t
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 抜け落ちてはいないと思います。理由は以下に述べさせていただきました。もし、ご意見があればレスよろしくお願いいたします。 法律が何故存在しているのか > 人が自由な幸福追求を妨げられることなく、共生して生きていくため。と言うのが建前でしょう。 しかし、法律はヒューマニズムを軸に定義されており、人の感情、道徳が人以外の生物を含むのに対し、規模があまりに狭量だと思います。ですので、法では私の矛盾に十分な答えが出せないと考えています(特に、殺人と他生物の殺生の矛盾について)。 建前でないのは↓ >ま、法律の本当の趣旨は、一部の権力者の利権確保ですが・・・(今回は、ここでは述べません) http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=633887

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.4

まず、「何故、人は人を傷つけたり殺してはいけないか?」ですが、「自分が他人から危害を加えられない為の取引」だと考えます。「取引」ですから、一方的に破ってしまった人間は、他者からも同様の扱いを受けるでしょう。 群れで協力して生きるヒトという生物が、お互いにリスクを減らし利益を得る為に同族との争いを避ける、というのは絶対必要な条件です(同じヒトであっても国家や宗教、人種が違うと同族とみなさない連中も居ますが)。 私自身は、人間と他の生物(犬猫から蝿蚊ゴキブリ、雑草、細菌に至るまで)の生命自体に違いは無いと思っています。 しかし、他の生物は同族でもありませんし互いの身の安全を保証する取引ができる相手でもありません。 それならヒトは他の生物を無尽蔵に殺してもよいのか?と問われたなら、答えは「NO」です。 ヒトも自然に生かされている生物の1つでしかありません。また、自然は人間の考えが及ばない程にいろいろな条件が複雑に絡み合って構成されています。害虫もその一部です。ヒトが下手に手を出せば自然界のバランスが狂い、自分達の首を締める結果になるかもしれません。 しかも人間は、他の生物に対して強力なダメージを与える力を持っています。その力を無制限に使えばどういう結果をもたらすかは想像がつくと思います。 その為、どこかで、ヒトが他生物に対して力を振るう事に制限が必要になってくるでしょう。 私個人が考えている「力を振るう制限範囲」は、自分の生命維持(食べる、身を守る)に関わること迄です。 以上が私の考えです。

tihiro_t
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 通常は、心で感じて行動しますが、極論は、利己的人間っぽいロジックで処理するというのはなんか嫌ですね。 でも、私も、こういった考え方を良くします。 ただ、真実を知ればたくさんの生物(人を含む)の死の上(アパルトヘイトからマルタと言われる人体実験、害虫駆除など多岐)に我々が成り立っていることにやりきれなさを覚えます。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • fujishiro
  • ベストアンサー率28% (162/574)
回答No.3

生物系大学院生。 まず、第一に、#1の方もおっしゃってますが、人間って社会を構成する一員なんですね。 だから、社会の構成員としての役割を果たさなければならない。そのうちのひとつとしてその中の社会ルールを守らなければならないということが考えられます。 そのルールの中に同じ社会の構成員を殺してはならないというのは一般的だと思います。隣が敵だった~なんてのは一番、社会の不安材料になりやすいから当たり前ですね。 これは裏を返せば、人間でも「仲間」でなければ社会ルールで罰せられない可能性がある、ということなんですね。もしも本当に「人間を殺すこと」が罪なら戦争に英雄なんているわけないですね。「仲間を殺すこと」が罪なんですね。 ぶっちゃけ、今の世の中は「地球人類」という立場に立ってモノをいうことがあたりまえ、良識的なんで「仲間」=「人類全体」と考えるべきだと意識的・無意識的に考えているから人を殺すことが罪となるんですね。 お分かりでしょうか、「人は、家族や友達、周りの親友が悲しんだり、その人のこれからの未来を奪うから絶対にしてはいけないのだ」なんていうのは建前も建前、なんですよ。 はっきりしているのは「仲間」を殺すのは、「社会の構成員として間違っている」ということなんですね。これを道徳的な飾った言葉で説明するから矛盾が出てくるんです。 狂牛病、自分が食べる肉で病気になったらこわいでしょ?だから始末するんです。わたしとしてはこの影響で牛の骨髄液から作られる実験試薬が高騰して辟易しています。 かわいい実験動物?かわいくねーっての(笑。 いっておきますけどこれだってムダに命を奪っているわけではありません。この実験の積み重ねこそが人間の命を救う可能性もあるわけです。 野犬の安楽死?野犬がいて人を襲ったらこわいでしょ?狂犬病はいまだにアジアにあるんですよ。日本にはありませんが。保健所で長く買うと人間に回ってくる税金が少なくなってしまいますから、始末せざるを得ないのです。ちなみに保健所では安楽死ではなく、犬は苦しみぬいて死ぬそうです。 もう一度いいますと、「仲間」を殺してはいけないのです。たとえ人間同士でも「仲間」以外の生命は等価値ではないのです。どういった「仲間」がふさわしいかはわかりませんが。さらにこんな世の中ですとだれが「仲間」かなんてはっきりわかりませんけどね。もちろん「作られたルール」なんですから故意でもそうじゃなくても破るやつは出てきます。 ま、今の世の中、かわいい動物を殺すのは社会不安を増大させてるのかもしれませんがね。 しかしこれを小学校低学年に説明するのはかなり勇気が要るなぁ。っていうかこういうことをあんまりはっきりいうのも社会不安を増大させることになるのかもしれないけどね。 とにかく、それが正しいかどうかは別として、人間って命を等価値にはなかなか扱えないし現在も扱ってないのよ。 だから最低限のライン引きとして人を殺してはいけないなんていってるだけ。いくらなんでも隣の人まで敵と疑って過ごすわけにはいかないからね。

tihiro_t
質問者

お礼

回答いただきありがとうござします。 >いっておきますけどこれだってムダに命を奪っているわけではありません。 その主張については、多分、結構知っています。ご心配なく。それを、踏まえての意見です。 つまり、あなたの根拠は、生物(人を含む)を殺すことが悪いのではなく、仲間を殺すことが悪いということでしょうか? しかし、どのテレビ番組を見てもこのようなことは書いて無いと思います。 なぜでしょうか?私は、このことが、法や、ルール、社会常識以外の、道徳か何かで解決出来る可能性が0%ではないことと、希望的観測を持っているのですが・・・ だからこそ、殺人を犯した人でも、カウンセリングなどを受けて社会復帰をしたり、反省したり、反省文を書いたり、命日にはお参りに行ったり、両親に謝罪の言葉をして死刑に望んだりするのではないでしょうか?(勿論、単に刑務所に行きたくないとか、早く出所しいと言う脅迫観念もあると思いますが、全員が全員こうだとは思っていません。)

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • BIGMAC
  • ベストアンサー率25% (624/2491)
回答No.2

食うために殺すのは良いのです。 殺さなければ殺される状況にある場合、殺してもいいんです。 食わないのに殺すから罪になるんです。 殺されないのに殺すから極刑に値するんです。

tihiro_t
質問者

補足

回答いただきありがとうございます。 BIGMACさまの回答で、考え方に疑問を感じましたので、返答させていただきます。もしよろしければご回答ください。よろしくお願いいたします。 >> では、狂牛病、野犬の安楽死、実験動物(とてもかわいい兎やネズミ)の問題はどのように説明がつきますか?

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

 変に難しく考えると、矛盾を感じるかもしれません。  人間は牛や豚などの命あるモノを食糧として食べ生きています。しかし、人間は食べません。  人間は自分と同じ同族とそれ以外を区別しています。  同族は守るべき存在で、それ以外は必要があれば命を奪っても仕方ないと考えます。  あなたも、人間の同族とそれ以外を区別して、牛や豚などの肉を食べて生きてきましたよね?  同族とそれ以外を判別する能力は、人間以外にも自然界に生きている生物には備わっています。  生物は、生きている限り同族を発展させようとします。  この考えは、きわめて自然的なものです。  だから、集団としての秩序を守るために同族である「人間」を殺すと極刑になる可能性があるのです。  また、人間以外の動物でも同族に近いかどうかで区別されています。  牛は家畜で、飼育されて食糧になりますが、人間に近い存在の犬や猫を無闇に殺すと動物虐待になり、罰せられます。しかし、これは日本の場合です。韓国は食糧として犬を食べます。  人間に近い生物をどこまで同族とするかは、国や地域によって、線引きが微妙に違うようです。

tihiro_t
質問者

補足

回答いただきありがとうございます。 bad-money-drivesさまの回答で、元となる考え方に疑問を感じましたので、返答させていただきます。もしよろしければご回答ください。よろしくお願いいたします。 >人間は自分と同じ同族とそれ以外を区別しています。  同族は守るべき存在で、~ >> 本当でしょうか? 一応、区別することはできても、昨今の凶悪事件のニュースや裁判を見ていると、これ(守るべき存在で~)を感じる場面がありませんでした。と言うことは、全部の人間に通用するわけではないと言うことでしょうか? また、人間に近い動物や、それ以上の動物を、かわいいねずみや、牛や豚に置く人にとっては、この仮説(守るべき~)もいまいち説得力がありません。いかがでしょうか?

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A